第5話④ 『遠い放課後』

 遠い放課後。


 俺が準備委員になってから、再びタイトルを耳にする機会が増えた例の曲だ。

 一度どこかで話題にしたと思うが、この曲は元々、桐生の姉である美夏さんが3年前の杜和祭で歌ったオリジナルソングである。


「お姉ちゃんの曲、小野寺さんが歌うのね」


 桐生がつぶやいた。その声色は平坦そのもので、言葉の裏にある感情は推し量れない。

 司も何かを感じたのだろうか、苦笑いを浮かべる。


「うん。学生の作った曲がトリってインパクト弱いかなとも思ったんだけど、やっぱり学祭だしね。幸い、他校はともかく校内での知名度は高いし」

「校内放送とか去年の杜和祭とかで定期的に流されてるもんな」


 もう卒業しているはずの美夏さんの歌声を、高校に入ってからまた聞いたときは変な感じがしたもんだ。恭也にはご褒美だろうけど。


「それに、中等部出身の生徒は当時のライブも目撃してるしね。会長とか西條部長とか。かなり盛り上がるんじゃないかしら」

「なるほど。確かに」


 3年前のあのステージも、確か1日目の終わりだったはずだ。最初は素人の学生のライブだけに、遠巻きに見ている人間が多かった印象だが、次第に美夏さんの綺麗で伸びのある歌声に人が集まり、この曲を披露する頃にはテンションが最高潮に達していた。……まあ、陰キャな俺はそういうノリにまったくついていけず、最後まで遠くから眺めているだけだったが。


「つーかこれ、ベッタベタのラブソングじゃん……。めっちゃこっぱずかしい歌詞だし、いかにも学生が書いたって感じ。背中かゆい。直視できない」


 俺と同じくパンフレットをチェックしていた真岡が、げんなりとした表情になる。本当に嫌そう。……って待て。


「いや、おまえが言うのかよ……」


 真岡さんよ、わりとその手のツッコミが目立つけど、自分が今何をやっているのかもう少し自覚してはどうですかね。

 確かに、『あなたの瞳に映るのは誰』とか、『もうここ(ルビが『教室』)にはいない君』とか、同意したくなるのもやまやまなフレーズが多くあるのは事実だが。


「あたしならもっと上手く書く自信あるし。もっと遠回し表現とかモチーフとか使ってさ。直接的すぎるのって情緒を失うと思うんだよな」


 真岡は俺にだけ聞こえるように小声で反論してきた。いや、そりゃあおまえならできるかもだけどさあ。てか、やっぱ作家ってめんどくせえ人種だ。


「この歌詞、桐生の姉貴が書いたのか? 最近よく話題に出るけど、ブラックキャットにいつもいるあの人だよな?」


 真岡が尋ねる。何だか妙な話のような気もするが、真岡にとっては同学年の桐生よりも、美夏さんのほうが先に顔を知っていたことになる。

 彼女の問いに、桐生は「違うわ」とあっさり否定した。


「むしろ、お姉ちゃんは書かれた側よ」

「……は?」


 ……は?


「一緒にバンドを組んだギターの人のラブレターだったって噂ね。お姉ちゃんへの」


「「…………」」


 一瞬、桐生の言っていることが理解できず、俺と真岡は三点リーダーを吹き出しに乗っけつつ、互いに顔を見合わせた。

 やがて、その意味するところに思い当たって。


「「……………………」」


 二人して、さらに絶句。ひょっとしたら、さっきの木戸たちの抱擁を目撃しちまったときよりも衝撃だったかもしれない。

 揃ってしばしフリーズしたのち、先に凍結状態から解凍された真岡が、引いた様子でどうにか言葉を紡ぎ出した。


「……リアルでそんなイタイことする奴、実在すんのかよ……。いや、そういう展開考えたことがないわけじゃないけど」

「……リア充マジ怖い。マジおかしい」


 ……いや、片想いを歌った曲ってのは知っていたけどさ。

 正直、言葉を失うどころか寒気までしてきた。パルプ紙の上か、フィルムの中か、次元の向こう側くらいでしか目にしたことがないような、青春模様を繰り広げる連中が現実に存在するのだ。


 自分の心情を歌にして、それにメッセージとしても意味も込めて、おまけに人前で披露するとか。それこそロミオじゃねえんだぞ。


 正直、とてもわかり合える存在とは思えない。

 自らの本当の気持ちを表に出すなど、そんな簡単なことではないし、軽いものでもない。リスクだってデカすぎる。失うものが大きいはずだ。


 とてもじゃないが、その後の美夏さんの結末を聞く気になどなれなかった。恭也はこのエピソードを知ってるのか?


「でもさ、歌を作るきっかけなんて案外そんなもんじゃない? そもそも、歌の歌詞なんてクサいフレーズの羅列なんだしさ」

「ジョークとしてじゃなくて、ちゃんと学生たちから共感が得られてるってのが大事よね。あのライブの後、勢い余って告白しちゃった人もちらほらいたらしいわよ」

「マジかよ……あり得ねえ……」


 ガチでドン引きしている俺と真岡に対し、リア充寄りの思考を持つ桐生と司は一定の理解を示す。……司、結局おまえもそっち側かよ。


「そんな拒否反応起こさなくても、メロディと合わされば自然と聞けるって。歌ってそういうものでしょ?」

「まあ、そりゃそうだけど」


 確かに、この曲はコテコテの歌詞に反して、イントロの入り方や主旋律のギターが結構かっこよかった記憶がある。


「ましてや、今回はバージョン2021ってことで、曲をデジタルチックにアレンジしてるんだ。Vtuberが歌ってるって設定だからね」

「さすがに凝ってんな……」


 こういう細部までこだわるところが、司がオタク界隈で支持されている理由なんだろう。


「それに……」

「?」


「この曲についてはさらなるサプライズも用意してるからさ。楽しみにしててよ、“悠斗”」


 司は人を食ったような笑みで言った。

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