第5話③ わたしを見てて

「悠斗ー? どうしたのかなー?」


 ニコニコと笑顔を絶やさないエリスさん。いつもと変わらぬ天使のような微笑み。

 なのに。


「初めに聞いたわたしのことはスルーして、日和はちゃんと褒めるんだー?」


 なのに、猛烈なプレッシャーを感じて俺は冷や汗が止まらない。まさしく蛇に睨まれた蛙。猫にエンカウントしたハムスター。


「うっ、その……」


 こういう時は。


「その……悪かった。ごめん、気が利かなくて」


 きちんと謝るほかない。

 よく考えなくても、エリスが怒るのは当然だった。「似合う?」と最初に意見を求めてきたのは彼女のほうなのだから。いくら途中で一度話が遮られたとはいえ、さすがに失礼だし不誠実だった。


「……本当にごめん」

 

 俺が頭を下げると、エリスは気勢がそがれたように目を丸くし、やがてふっと肩の力を抜いた。


「……もう。悠斗、ずるいよ。そんな真剣に謝られちゃったら、わたし、これ以上怒れないよ」


「……悪い」

「また謝ってる」


 エリスは困ったように苦笑すると、話を切り替える合図と言わんばかりにもう一度くるりとシングルターンを決めてみせた。その長い金色の髪が流れるように舞う。


「……どうかな? わたし」


 彼女がくれた二度目のチャンス。今度は答える。

 でも、


「……うん、似合ってる」


 出てきたのは、そんな何の飾り気内のない一言だけだった。


「なんだか、日和のときよりあっさりしてない?」

「うっ……す、すまん」

「あ、べ、別にうれしくないわけじゃないんだよ?」


 エリスはあたふたと両手を振る。それに対して俺は……。


「その……今さらあれこれ付け足しても、嘘くさくなっちゃう気がして、さ。言葉が軽いっていうか」


 これがもうちょっと調子が良くて口の達者な男なら、ここでエリスのことも褒めそやしつつ、適度に言い訳も交えて機嫌を取ることもできるのかもしれない。

 

 だが、俺はそういうのが苦手だった。


 今さら取ってつけたように言い直すことに大した意味があるとは思えなくて、だから心の込め方が中途半端になって、余計に安っぽくなる。言霊の消えた抜け殻のようになる。

 彼女のような子に、そんな上滑りするだけの言葉をかけていいのかと躊躇ってしまう。


「……その、悪い。下手くそで」


 やり場のない苛立ちに、俺はガシガシと頭を掻いた。

 いや、だったら最初からエリスをちゃんと褒めろよ、って話だけど。

 それと、綺麗で可愛いと思っていること自体には何一つ偽りもないんだけど。


 だけど、彼女は。


「そんなことないよ。悠斗の言葉、ちゃんと伝わってるよ」


 そう言って、笑いかけてくれる

 こんなに優しくて素敵な女の子に、今後出会えることなどもう二度とないかもしれない。そんな思考が頭をかすめた。


 エリスは「じゃあさ」と仕切り直すように言った。


「代わりにってわけじゃないけど、一つお願いしてもいいかな?」

「え?」


 彼女は胸元で手をきゅっと握り締め、その透き通るような碧眼を真っ直ぐ向けてくる。


「わたしのステージ、ちゃんと見ててほしいな」

「……!」


「ライブの途中から、日和やほかのバンドメンバーと一緒に、わたしもステージに上がるの」

「…‥エリスがステージに?」


 こんなライブ衣装を着ているのだから、当然といえば当然だ。だが、なぜか俺は今までそこに考えが至らず、軽く衝撃を受けていた。


「さすがにキーボードの練習はほとんどできなかったからうまくいくかはわからないけど……がんばるから」


 言葉とは裏腹に、その口調には自信と力強さに満ちている。


「聞いて。わたしの演奏。明日のジュリエットだけじゃなくて、今日のわたしも、見てて」


 エリスは決意を示すように頷く。

 俺は答えた。今度は迷うことなく言葉が滑り出す。


「ああ、わかった。ちゃんと見てる。聞いてる。だから……頑張れ」


「うん、ありがとう、悠斗。……じゃあ、行ってくるね」


 小さく手を振り、身を翻したエリスを俺は見送る。


 その背中は小さいのに、大きかった。



  ×××



 開演まであと30分を切った。


 俺と真岡、それに桐生の三人は、準備のためにステージの近くでミーティングを受けていた。エリスや小野寺さん、それからほかのバンドメンバーは気持ちを作るために、すでに近くのテントで待機している。


「はいこれ。今日のセトリが乗ってるパンフレットだよ。それからこっちがサイリウム。お客さんを誘導する際に配ってほしいんだ」


 司から必要な資材が配られる。セトリってセットリストの略だっけ。

 俺はパンフレットを広げる。

 

「おおっ、俺でも知ってるような曲が結構あるな」


 俺たち世代にストライクな流行りのJ-POP、時代を超えて親しまれているような名曲と言われるアニソンやゲーソン。変化球どころだとボカロ曲なんかもあった。


「まあ学校の文化祭だからね。あんまり冒険できなかったんだよ。ホントは、もっと僕の趣味丸出しの選曲もしたかったんだけどね。具体的に言えばエロゲ主題歌とか」

「おいやめろ」


 小野寺さんにそれを歌わせる気だったのか。……って、彼女は元エロゲ作品の派生ゲームの主演をやるんだったか。だとすると、そのうちホントにカバーとかあるかもしれないな。……けしからん(なお本心)。

 とか、あれこれ想像してたら。


「ねえ司、これって……」


 桐生が自分の持っているパンフレットの一点を指差した。……どうやら、さっきの会話は聞かれずに済んだらしい。危なかったなんてもんじゃねえ。まあ、こいつの場合エロゲの意味がわからなかっただけかもしれないが。


「どうしたの、千秋」

「この最後の曲……」


 俺も桐生につられて視線を落とす。

 そこに書かれていた曲名は――――


 『遠い放課後』――――――

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