第4話③ ぐるぐるとのぼっている

「ほーん、それじゃあウェブ版とかなり話変わるのか」

「まあ……あのクソ女にこれでもかってダメだしされまくったからな」


 扉に背中を預け、やれやれと肩をすくめて苦笑いを浮かべる真岡に、俺は正直ホッとしていた。手を繋ぐなんて互いに慣れないことをするより、このほうがよっぽど俺たちみたいのには合っている。二人の間に、人一人がすっぽり入れるくらいの空間が残る、この距離感が。


「真岡、ずっと編集の人のグチ言ってるけど、具体的にどういう指摘をされるんだ?」


 そして、俺たちの話題は自然とこれに行き着く。お互いに、会話デッキも手札も貧弱だからな。

 真岡は思案するように口元に指を当てると、


「うーん……一番多いのはストーリーの交通整理かな。ほら、ウェブ小説って書きながら更新するから、同じような話繰り返したり、思いついたその場のノリをいきなりぶち込んだりするだろ? 改めて最初から読むと色々と矛盾してたりするんだよな」


「……なるほど」


「あとは起承転結っていうか、話に強弱をつけるっていうか。前半のエピソードを後半に生かすとか、盛り上がりどころを意識しろとも言われたな。特にあたしの作る話って、本当の悪役とか出ないし、主人公と男の会話シーンばっかで物語の起伏が少なくて冗長になりがちだし」


「え? でも最近のトレンドってそういうんじゃないの? 主人公とヒロインがずっとイチャイチャしてるのばっかじゃないか。ハラハラする話とか、イライラするキャラとか、鬱屈とした展開ってウケないんじゃないの?」


 これはネット小説界隈だけの話ではなく、比較的読者がタフそうな青年漫画なんかでも同じような状況だと何かで見た。昔なら鬱展開が数巻レベルで続くとか当たり前だったが、今は数話でも我慢できない読者が増えているらしい。


 だから、ウェブ小説でどうしてもそういうのを書きたい作者なんかは、「#鬱展開」とかのタグを入れて事前にフィルターをかけている。いや、読む前から先の展開わかってたら面白さ半減どころか9割減じゃん……なんて思っちゃうのは、俺がオールドタイプ読者からだろうか。

 あと、ガキ大将キャラとか暴力ヒロインとか、もはや指定絶滅危惧種だよな。


「それ、単におまえがそういうの好きなだけじゃ……まあいいや。1話1話が短いウェブならそれでもいいけど、一冊の本でずっとそういう展開だと読んでて飽きちゃうんだってさ。確かに、言われてみりゃそうだなって」

「ふむ」


 俺もアプリやサイトで暇つぶしに眺めるのと、本屋できちんと買う小説では好みが微妙に異なる。自分では無意識だが、きっと読書に求めているものが違うのだろう。

 そして、会社のカネを使って出版して、日本中の本屋の棚に並べようとするなら、そういう層にも訴求できるようなものに仕上げなくてはならない。


「聞いてる限り、至極もっともな指摘だと思うんだが。何が不満なんだ?」

「不満っていうか……」


 そこで真岡は目を伏せた。表情にも陰が差す。


「迷ってるって表現のほうが正しいかもしんない」

「……迷ってる?」


「もちろん、編集が入ると物語としてのクオリティがどんどん上がってるって実感はあるよ。でも、そのためにお気に入りのキャラ削ったりとか、我ながらうまく書けた!ってシーンをなくしたりとかしなきゃいけなくて。あと読者ウケとか、考えなくちゃいけないことも多いし。好きなものを好きなように書くのとはやっぱ違うんだな、って」


「……でも、それがプロになるってことだろ?」


 真岡は「うん」と頷いた。


「事前にイメージはしてた。色々言われるんだろうなって。でも予想より全然厳しかった。まさか半分以上書き替えることになるなんて思ってなかったし。正直、こんなに否定してきて内容も変えようとするなら、なんであたしなんか選んだんだって何回も考えたよ」


「……だけど、真岡はそれに食らいついていって、だからいいものができそうなんだろ? 十分才能があるってことじゃないか」


 そして、真岡を選んだ編集部も、彼女を導こうとしている担当編集の人も、その審美眼は間違っていないってことだ。

 しかし、真岡は今度は首を横に振った。


「……自分が前に進んでるって感触があればそれでもいいんだ。でも、何かを身につけるたびに、逆に前持ってた何かを失くしてるような気もしてて。行ったり来たりっていうか、グルグル同じとこを回ってるっていうか。スランプとは違うんだけど」

「…………」


「劇の脚本も結構気合入れて書いちゃったのもさ。作品が決まってるってわかりやすい縛りの中で好き勝手できたからなのかもしんない。ちょうどいい題材だったから」

「そっか……」


 つまり、トライアンドエラーを繰り返しても、成長の実感がつかめない、ということなんだろう。こういう感覚は、芸術とかスポーツとかに打ち込んでいる人間でないとわからない気がする。そして俺は帰宅部だ。


 そんな俺に大したことなど言えない。だから、


「……それでも、俺には真岡はどんどん昇ってるように見えるけどな」

「……え?」


 このくらいのことしか伝えられない。

 

「前に進んでるかは真岡の感覚だから俺にはわかんないけどさ。高い所には昇っていってる。そう思う」


「……何だそれ。前と上って、どう違うんだよ?」


「それこそ、俺の感覚だよ。真岡、デビューが決まってからすげー頑張ってるだろ? たまに俺が委員会から帰ってきてブラックキャットを覗いたときも、集中しすぎてて声かけられないくらいだった」


 準備委員の仕事が途中から疎かになってしまったのも無理はないし、あの何かに取り憑かれたような姿を見てしまったら、とてもじゃないがまた手伝ってくれとは言えなかった。


「そのとき思ったんだ。ああ、上に行く、階段をどんどん駆け上がっていく人間って、真岡みたいな奴のことを言うんだろうなって。あれだけ一つの物事に熱中……一心不乱になれるヤツって、そんなに多くないと思う」

「柏崎……」


「羨ましいよ。すごく」


 正直な、本当の気持ちだった。


「真岡はその場をグルグルしてるつもりでも……俺みたいな人間からからしたら、ちゃんと昇ってるよ。螺旋階段みたいにさ」


 どんどん、高く。

 手が届くどころか、望遠レンズを覗かないと見えないくらいの、高さまで。すごい速さで。


「もちろん、プロになるおまえの悩みは俺なんかじゃ全然わかってやれないけど……応援はするし、話だって聞く。……ま、地べたからだけどな」


 彼女から教わったように。めちゃくちゃ恥ずかしいけれど、俺は言葉というものを口にした。


 どれだけ伝わったのか。それとも突然の俺の語りに引いているのか。真岡は顔を伏せて、口元を引き結んで――――。


「……っ。ごめ――、――――ス」


「えっ?」


 真岡は顔を上げた。暗闇の廊下に淡く光るランタンの輝きが、その紅潮した頬と、潤んだ瞳を陽炎のように映し出す。


「か、柏…………悠斗」

「……えっ」


「あたし、あたしは――――――」

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