第4話② 恋愛に不向きな二人
「や、やっと着いた……」
「ここが音楽室だな」
距離にして階段含めてもわずか数十メートル。だが、その間にいくつもの困難と恐怖(あくまで俺にとって。真岡は楽しげだ)が立ちはだかった。いきなり背中に赤い水滴がポツンと落ちてきたり、ガタガタとでかい風の音が響いたり、テレビのバラエティ番組で使われるような煙(ゲスト登場とかであるプシューって出るあれだ)を吹きかけられたり。
俺はその度に悲鳴を上げそうになり、心臓は爆発しかけた。恐怖のあまり、真岡に何度も抱きついてしまいそうなったが、俺のなけなしの男としての見栄か、はたまた陰キャとしてのチキンさか、それだけはどうにか堪え切った。セクハラ厳禁、絶対。
「し、失礼しまーす……」
ランタンと俺の手で両手が塞がっている真岡に代わり、慎重に引き戸を開ける。そして、おっかなびっくりまずは数歩、足を踏み入れる。廊下と違い、防音が施されている音楽室には絨毯が敷かれていた。
慎重に足を進めると、教室の奥、グランドピアノのそばに何やら人影が見えた。……お化け役の学生か?
俺はじっと目を凝らす。すると、
「……あ?」
「……え?」
俺と真岡の声がハモる。
なぜか、うちの制服を着た一組の男女が抱き合っていた。
いや、何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何が起こっているのかわからなかった。
「お、おい、こんなところで……」
「だ、だってぇ……」
やたら甘ったるい声。
「「…………」」
俺も真岡も、沈黙、絶句、硬直。
……これはあれか。ひょっとして、恐怖の演出の一環なんだろうか。音楽室で心中した恋人同士の幽霊って設定とか。
なんて現実逃避しても効果はなく。
やがて、ガタガタ物音を立ててしまった俺たちの気配に気づいたらしい男が、こちらへ視線を向ける。バッチリと目が合ってしまった。「やべっ」とその表情が雄弁に語っている。一方、女のほうはぎゅっと男の胸に顔を押し付けたままで、こちらに気づいた様子はない。
「「……!」」
瞬時に俺と真岡は互いに無言で回れ右、そして脱兎のごとく猛ダッシュ。
よくアニメなんかである、「お邪魔しましたー……」みたいなセリフも気まずすぎて全く出てこなかった。
廊下に飛び出した俺たちは慌てて戸を閉め、二人してその場にへたり込む。
「な、何やってたんだよあいつら!?」
「何って……いや、まあアレだろ」
リア充にしか許されない悪魔の所業。つまりはイチャつきというヤツだ。どこまでやってたのかは知らないが。見たくもねえ……。
「だからってこんなとこで……」
「……俺らみたいのには刺激が強いよな」
彼女いない歴=年齢(事実)と、彼氏いない歴=年齢(推定)だし。
そもそも、俺のような人種は他人とのスキンシップが極端に苦手だ。エリスとの握手でさえ、懊悩にまみれたのは記憶に新しい。同じぼっち族の真岡だって似たようなものだろう。
……ん? スキンシップ?
我に返って少し冷静になれたのか、ふと右手から伝わる温かな感触が甦った。
「あっ……」
「うっ……」
真岡と、視線が交錯する。
いまだに俺の手首を掴んだままだった真岡は、弾かれたようにその手を振り払い、顔をそむけた。頬がやたら赤いのはランタンの光だけのせいではないだろう。
俺もきまりが悪くて、真岡の体温が残る手首を、意味もなく反対の手でさすってしまう。
「くそっ、桐生のやつ余計なこと言いやがって……。こんなの、意識すんなってほうが無理だろ……」
「え? 桐生?」
「うっさい、何でもない!」
なぜか真岡は勝手に声を荒げ、体育座りで顔をうずめてしまった。
「………」
長い沈黙。……気まずい。あの発情カップルめ。このふいんきどうしてくれんだ。
「……で、でも、これで取材にはなったじゃねえか。最高のサンプルだろ?」
こんな軽口を叩くのが精一杯。
真岡はわずかに顔を上げた。
「……前向きに捉えられりゃそうだけど……。でも、なんか生々しくて、正直、結構引いた」
「いや、こんなとこでイチャつかれてたら普通にドン引きだろ。公序良俗違反だし」
「えっと、そういうんじゃなくて……。何て言ったらいいんだろ……ちょっと大げさに言うと、気持ち悪いっていうか、汚らわしいっていうか。そんな風に思っちまったんだ。あたし、潔癖症のつもりはなかったんだけど」
「……まあ、言いたいことはわからなくもない」
ついさっきも思ったことだが、とにかく俺たち陰キャは他人との距離が広い。精神的にだけじゃなく、物理的にも。人と肌が触れ合わせる機会などゼロに等しい(最近はともかく)。そのせいか、肌がぶつかるどころか、人が数十センチの距離に近づいてきただけでも非常に抵抗感がある。広いパーソナルスペースを侵されたくない。
「手くらいなら全然いいんだけどさ。ああいうこと、もし自分がするとしたら、すごく抵抗感があるっていうか。怖いっていうか」
そんな人間が、赤の他人と抱き合うことに拒否感を覚えるのも無理はない。というか、間違っても真岡にしがみつかなくて良かった。洒落にならん。
俺は言った。
「別にそれでもいいだろ。こういう感覚って人それぞれだし、無理強いしていいようなことじゃない」
俺もどっちかといえばそのタイプだしな、と付け加えると、真岡の瞳がわずかに揺れた。「だから、何でそういうとこだけ優しいんだよ……」とだけ、つぶやいた。………。
「……でもさ、恋愛物でデビューしようとしてるのに、そこは避けて通れないだろ? 柏崎だって知ってるよな? あたしの作品に“そういう”シーンがないってさ」
「それは……まあな」
彼女の言う通り、真岡の描く作品には直接的な表現、いわゆるラブシーン的なものは一切出てこない。匂わせることさえない。肉体的な接触よりも、精神的な繋がりこそが大切で至高、そのメッセージは作中の至るところで感じられる。
「だからこそ、俺はおまえの作風が好きなんだけどな。綺麗で儚くて純粋だから、美しい、みたいな」
「……そういうとこが乙女思考なんだよ。野郎のくせに。いや、むしろ童貞思考?」
「やかましい」
真岡は抱えていた腕をうーんと上へ伸ばした。ようやく緊張が解けてきたらしい。
「あーあ。幽霊や化け物は全然平気なのに、何で人間は苦手なんだろな」
「何言ってんだ。一番めんどくさくて怖いのは人間だろうが」
「ははっ、今の柏崎がそれ言っても全然説得力ないじゃんか」
「ぐっ……」
そんな軽口を叩き合いながら。
「でも……ありがと、柏崎」
「……おう」
真岡は本当に嬉しそうに笑った。
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