第4話④ 真岡葵 その4

~Another View~


 あ、こいつ同類だ。


 それが真岡葵という少女にとっての、柏崎悠斗に対する第一印象だった。

 根が暗くて、人付き合いが苦手で、現実が嫌いで。だから、中二病……いや、高二病患者のように、どこか周りを斜に構えて見ていて。


 葵はなぜか、あの日のことを思い出した。悠斗と初めて出会った、あの冬の日のことを。


 自宅ではイマイチ執筆に集中できない葵が、安住の地を求めてたまたま見つけた、住宅街にひっそりと佇む小さな喫茶店。それがブラックキャットだった。店内には鬱陶しい同年代とかが全然いなくて、その落ち着いた雰囲気がすぐに気に入った。


 まさか初めて訪れたその日に、殴り書きした新作のプロットを置き忘れてしまったのは一生の不覚だったけれど。バッグの中にメモがないことに気づいたときには、久々に本当の意味で肝が冷えた。


 バレたらヤバい。マジでヤバい。ましてや、自分はどう見ても文学少女なんてタイプではない。その尊大な態度とぶっきらぼうな性格のせいで、問題児や不良に間違われることもしばしば。


 そんな自分が小説、ましてや夢見がちな恋愛物を書いてるなんて、絶対に誰にも知られてはならない。秘密を知った人間はこっそり消すまである。


 だが、遅かった。

 しかも、プロットを見つけた店のウェイターは、まさかの同じ学校の生徒。最悪のパターンだった。


 この男子、確か7組の生徒だったはず。なぜ知っていたかというと、校内でたまたま見かけたことがあったからだ。ある日、授業が退屈すぎてぼーっと窓の外を見ていたら、体育の合同授業で輪に入れずポツンと浮いている同級生らしき男がいた。こいつは、その時の痛い野郎だ。


 ……まあ、だからこそ覚えていたんだけど。ぼっちは常にぼっちを探してしまうという悲しい習性ゆえに。


「……読んだ?」


 完全犯罪に向いてる殺人方法って何だろ。一番確率が高いのは、やっぱり事故に見せかける、かな。そういえばこの間ミステリーを書こうと思って資料本を借りたっけ。後でひっくり返してみよう。


「誰にも言うなよ? 言ったらマジで息の根止めるから」


 半分は冗談だが、半分は本気だった。

 

 だけど、その自分の切羽詰まった脅しに対する彼の答えは。


「いや、絶対に言わない。そもそも言う相手がいないし」


 ……やっぱり、こいつ同類なんだ。



  ×××



 別に顔が好みだったわけじゃない。というか、この柏崎悠斗のパッとしない顔面に惹かれる女なんているのだろうか。

 

 ただ、悠斗の前では変に気を遣わなくてよかった。

 自分の容姿につられてウザ絡みしてくるチャラい男どもとは違って、適度に放置してくれるし、適度に干渉してくれる。比率でいうと8:2くらい。(都合の)いい距離感だった。


 それに、悠斗とは話が弾まなくても大して気まずくない。初めから口下手な奴が相手なら、会話が続かなくても自分のせいじゃない。気楽だった。安心できた。

 学校の、高校生の、ノリと空気だけが支配するくだらないコミュニケーションのルールの外にいられた。


 気がつくと、ブラックキャットに通い詰めるようになり、そのたびに悠斗の姿を目で追っている自分がいた。千秋の姉である美夏(この時は知らなかったが)から、聞いてもないのに悠斗の不在を伝えられることも増えた。


 ……ひょっとしてこいつのこと、気になってる男子、くらいにはカウントしてもいいのかもしれない。いや、顔は好みじゃないし、全然ドキドキもしないけど。でもまあ、一緒にいてイヤじゃないし。何より、あたしの作品を読んでくれてるみたいだし。それをわざわざ口にしないのは、ちょっとだけ粋かな。作家志望としては、語りすぎないのはアリかも。


 ただ、恋愛物を書いておいてあれだけど、現実の恋とか愛なんてこんなもんか。気にはなるし安心はするけど、特段熱くなることも夢中になることもないし。

 そんなガラにもないことをちらほらと考え始めた頃だった。


 彼女が現れたのは。


 葵から見ても、悠斗が例の超絶美少女、エリス・ランフォードのことを意識しているのはバレバレだった。初めて彼女を近くで見たあの日もそうだった。


 とはいえ、葵はそんな悠斗の態度に気もそぞろになる一方で、どこか楽観視している自分もいた。


 どう見たって、二人は明らかに身分が違う。釣り合いっこない。それに、何よりこんなパッとしない男を気にかける女は自分くらい。そう思っていたから。


 出会った当初から、エリスがやけに自分を敵視する視線を向けてきたのも、日本で初めてできた友人を取られる、そんな子供っぽい嫉妬くらいに思っていたし、悠斗に対して馴れ馴れしいのも、文化の違いから来るもので深い意味はないと考えていた。


 エリスにあたふたドギマギしている悠斗を観察していれば、いい小説のネタになる。その程度のつもりだった。


 しかし、結論から言えば、その見通しは極めて甘かったと言わざるを得ない。


 葵が想像していたよりもずっと、エリスが悠斗に対して本気だったから。


 そうなってしまえば、自分の気持ちや感情を素直に表現するエリスに、自分のような捻くれ者が勝てるわけがない。到底太刀打ちできない。


 でもその時は、葵としてはそこまで執着しているつもりではなかった。

 悠斗がエリスに憧れや羨望だけではなく、引け目や諦観や劣等感も同時に抱いているように。

 自分もまた、そうした正負の感情に折り合いをつけるのは苦手ではないから。「まあ、そんなもんだよな」と消化できるほうだから。

 気持ちを育むのは苦手だけど、枯らすのは得意だから。感情という栄養分を、心の苗に与えないようにする術は熟知しているから。


 そのはずだったのに――――。



 ×××



「こういう感覚って人それぞれだし、無理強いしていいようなことじゃない」

「羨ましいよ。すごく」

「応援はするし、話だって聞く」


「真岡は……ちゃんと昇ってるよ」


 もう、ダメだった。


 胸がドキドキしたとか、ときめいたとか、高鳴ったとか、そんな次元で済む話じゃなかった。

 まるで心臓が痙攣でも起こしたみたいに、握り潰されたみたいに、ぎゅうっと締めつけられる。

 

 痛い。苦しい。切ない。


 なのに、どこか甘くて。だけど、全然嬉しくもなくて。ものすごく息苦しくて。


 ごめん、エリス――――。でも、あたし、もう―――――。


「――――悠斗」


 いつのまにか彼の名前を言い直していた。何度もそう呼ぼうと思って、幾度となく口に出しかけて、でも一度たりとも言えたことはなかったのに。


「……えっ?」


 どうして、どうして、あたしなんかにそんな優しくするんだよ。自分みたいな可愛げがなくて、拗らせ切ってる女に。


「あたし、あたしは――――――」


 本当はエリスのことが好きなくせに。あたしのことなんか全然目に映ってないくせに。いつまで経っても葵って呼んでくれないくせに。


 そうやって、エリスにもそんなあざといセリフを吐いて心を奪ったのか? 桐生にも平気でそんな甘い言葉をかけてまた火を点けたのか? バカ。この最低男。似合わないんだよ。


「……ま、真岡?」


 ほら、何だよその間抜け面。全然かっこよくない。エリスも桐生も、こんなヤツのどこがいいんだよ。趣味悪いよマジで。


「……お、おい、ホントどうしたんだよ?」

「……っ!」


 無性に腹が立って、とにかく困らせてやりたくなった。

 この嵐のような激情を、思い切りぶつけてやりたい。この身が焦がされるような熱を、これでもかと伝染させてやりたい。

 イチャついてたさっきのバカップルみたいに。


 いきなり抱き締めて、無理やり唇を奪って、力ずくで押し倒して、それから――――。


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