第3章 文化祭1日目

第1話① 前の祭り

 ワイワイガヤガヤ―――――。


 校内のあちこちから、やかましいくらいの喧騒が響いてくる。もうすっかり、日は沈んで夜の帳が下りているにもかかわらず、だ。

 ある者はトンテンカンテンと看板に釘を打ち、またある者は当日の衣装合わせの最後のチェックを行い、またまたある者は明日提供する料理の試作に精を出している。


 文化祭前日――――。


 いよいよ明日を本番に迎えた杜和祭を前に、出し物を行う各企画チームはラストスパートをかけていた。

 よくアニメなんかで見る、泊まり込みでの文化祭の準備、そのイメージ通りの光景が俺の目の前に広がっている。

 もちろん、今時泊まり込みを許す学校などそうそうない。ましてや、うちはお堅い進学校だ。どんなに遅くなっても20時には帰宅しろとのお達しが出ている。


 もともと俺のいる班の仕事は、各企画のプログラムの進み具合の確認と、必要な資材の調達だ。準備の最終段階に入った現在、すでに忙しさのピークは過ぎている。今の俺は、自分が担当した各企画チームに対し、当日運営するうえで問題はないか、最後の確認をして回っているところだった。


「うー……、眠みぃ……。さすがに一週間連続で3時間しか寝てないのは堪えた……」


 俺の隣で、寝ぼけ眼を擦っているのは、小説家としてのデビューを間近に控えた真岡葵である。いつもはその流れるような黒髪も、今は心なしか多少ボサついているように見える。……まあ、真岡はそのへんはかなり無頓着らしく、それでもキューティクルさを失わない黒髪に、エリスや桐生はかなり恨めしそうにしていたようだが。


「お、おう……、大丈夫か……? ここんとこずっとハードだったもんな」


 真岡は結局、劇の台本の素案を書いた者として、半ば監修みたいなことを西條先輩にやらされていた。もちろん、書籍化の執筆も平行作業。当初の「サボっていいか?」の宣言通り、途中からは俺との準備委員の仕事は手が回らず、ほぼ桐生にバトンタッチする形になってしまった(それでも、真岡は頑なに作家の件を桐生には話そうとしなかったが)。

 

「昨日、やっと修正稿を上げたから、とりあえず文化祭の間は平気だよ……。まあ、まだ何回か手直しが入るみたいだけどな。……ったく、あの女、ホント容赦ないんだからよ……」


 あの女、というのは真岡を担当する編集の人のことだ。たまにその女性に関する愚痴を真岡から聞かされる。

 ……それにしても、女子が「あの女」って呼ぶと何でこんなに怖いんだろうね? 男が「あの男」と呼んでもただの代名詞にしか聞こえないのに。


「それにしても……どいつもこいつも浮かれてんな。イラッとする」


 辺りを眺めていた真岡は、吐き捨てるように言った。600族ならずぼっち族らしい、率直かつ身も蓋もない感想である。

 まあ、言いたいことはよくわかる。俺も去年はこの時間にはとっくに帰宅していた。

 当然ではあるが、こんな遅い時間まで学校に残っているような連中は、文化祭に対して前向きで、青春を謳歌しちゃおう! なんてリア充が多い。


 この非日常の空気に中てられているのか、いつもより男女間の会話も多い気がする。こういう機会に少しでも異性とお近づきになっておきたいと思う輩は、男女問わず結構いるようだ。……秋には最大のビッグイベント、修学旅行もあるしな。それまでに彼氏彼女が欲しいとでも考えているんだろう。……ケッ。……おっと、思わず舌打ちしてしまった。やはり俺も真岡と同類らしい。


 すると、その同類の彼女も同じような思考に至っていたのか、苦虫を嚙み潰したような表情で言った。


「ホント、こういうふわふわした空気のときにドサマギで話しかけてくる男って多いよな。普段はあたしのこと怖がって近づいてこないくせにさ」

「何だよ、そんなことがあったのか?」


 真岡のほうからその手の話題を振ってくるのは珍しい。俺が問い返すと、彼女はうんざりとした様子で「ああ」と肯定した。


「特に、演劇を手伝ってる時はめんどくさかったよ。たぶん、普段は言わないようなカッコつけた台詞を劇中に言ったりするから調子に乗っちゃうんだろうな。男どもに『このままメシどう?』とか、『今度遊びにいかね?』とか、何度も誘われたし」

「……それで、何て返事したんだ?」


 一瞬、自分の喉が重くなった気がしたが、何かの勘違いだろう。


「あ? そんなの断ったに決まってるだろ。執筆で忙しいし、第一あんなチャラ男どもに興味ない」

「さいですか……」


 いくら何でもそこまでバッサリ切り捨てることはないんじゃ、と少し男どもに同情したくなった。だが、真岡はまだ怒りが収まらないようで、まくし立てるように続ける。


「特に腹立つのが、エリスには気後れしちゃって声かけられないけど、『あたしならイケそう』みたいな感じで接してくるヤツら。あいつら、そういうのに女が気づいてないとでも思ってんのかな? なあ、柏崎?」

「男の俺に聞くなよ……」


 こういう女子の生っぽい話、聞きたくないんだよなぁ。怖いし。それに、男としては学園のアイドルとか超絶美少女とかより、何となく話しかけやすい女子に流れるという気持ちはよくわかる。


 ……まあ、真岡も前者に当てはまらないというわけではまったくないのだが。普通なら、話しけるのに躊躇するレベルのクールビューティーだ。今回は、たまたま比較対象がエリスで、運が悪かっただけだろう。

 というわけで、俺はどうしても男子側の肩を持った意見を述べたくなってしまう。


「……まあ、そこまで言ってやるなよ。男は女子に話しけるにはすげー勇気がいるんだぞ? それに、エリスの代わりじゃなくて、前からおまえのことがいいと思ってた男も、本気だった男もいたかもしれないじゃんか」


 俺がそう言うと、なぜか真岡は恨めしげな視線を向けてきた。俺が「な、なんだその目は」と困惑していると、やがて「はぁ……」と大きなため息をつく。……だから何だってんだ。


「……ま、仮にそれなりに本気だったヤツが混じってたとしても、あたしは応える気はないよ」

「……そりゃあ、真岡は今大事な時期だもんな」



 きっと進路以上の一大事。この真岡葵という少女が、将来どんな大人になるのか。その岐路といっても言い過ぎでないかもしれない。プロ作家になるということは、それくらいの出来事のはずだ。


「……だから頑張れ。応援してる。アドバイスなんて何にもできないけど、愚痴くらいなら聞いてやるから」


 エリスの影響を受けてきているのか、俺は心底思ったことをきちんと告げていた。

 真岡は一瞬だけ面食らった表情を見せたが、やがて照れたように頬を染め、目をそむけた。


「……やっぱり、応える気なんかないよ。……ほかのヤツなんかに」

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