第5話⑥ メインテーマ②
「琴音……?」
そのクリスタルのような瞳をぱちくりさせるエリスに、琴音は続けて言った。
「エリスさんの目に、兄貴とその……葵さん? がどう見えてるかはわからないけど、そんないいもんじゃないですよ」
「え、でも……」
何かを反論しかけたエリスに、琴音は小さく首を振る。そして、ムカつくくらいの、俺と血がつながっているとは思えない、同級生とかなら一瞬で恋に落としそうな、とびきりの笑顔で言い放った。
「だって、兄貴みたいなモテない卑屈男に、他人と……特に女子と気持ちが通じ合えるわけないじゃないですか。そんなの、ただの勘違いです」
……え?
「その葵さんだってそうです。別に兄貴のことなんてわかってるわけじゃないと思います。こんなめんどくさくて、うざい男子」
……何、だと?
絶句する俺をよそに、困惑した表情でエリスが言った。
「で、でも、悠斗と葵って息が合ってるし、よくアイコンタクトしてたりするし……」
……確かに言われてみれば、俺も真岡も互いに口下手なぶん、視線だけで適当にあれこれ済ませることはそこそこあった。もちろん、琴音の言う通り、大して意味が通じているわけではない。……エリスにそこまでじっくり観察されていたとは思わなかったが。
「それは上っ面な部分だけです。大事なことを言わないままで、本当の意味で仲良くなれるわけなんてないですよ。ましてや男子と女子なんですし」
とはいえ。
「……ずいぶんわかったような口利くんだな」
さすがに多少は反論したくなった。琴音は年の割に大人びているところは多々あるが、これはいくら何でも背伸びしすぎたセリフだろう。第一、男女の機微がおまえにわかるの? ちなみに俺はまったくわからん。
しかし、琴音は冷めた口調であっさり切り返してきた。
「だって兄貴、それで一回失敗してるじゃん」
「……何?」
「自分の思ってることをちゃんと言わないで曖昧にしてたから、千秋姉といつのまにか疎遠になっちゃったんじゃないの?」
「…………」
俺と桐生の距離が遠くなったのは、中学に入って以降、明らかに学内カーストが違ってきたからだ。あいつは上流貴族階級へのエスカレーターを昇り、俺はスラムの下層にエレベーターで降下した。小学生の頃には無意識だったランク付け。身分。イケてる、イケてない。1軍、2軍、3軍。それについていけなかった非リアは少なくないだろう。
「……別にそれは関係ないだろ。それに、俺みたいなのに関わられても、桐生にとっては迷惑だっただろ」
「千秋姉がそう言ったの? 『迷惑か?』ってちゃんと聞いたの?」
「……それは」
……この妹、痛いところを突いてきやがる。いや、あの中学校という場所の空気で、そんな簡単なことじゃねえだろ、とか、じゃあおまえならできたのか、とか、言い訳なら色々ある。だが結局、反論はできなかった。
「ほらね。エリスさんに兄貴のそういう情けないところ、見抜かれちゃったんだよ」
琴音は心底呆れた、といった体で深い溜息をついた。
「こういうことですよ、エリスさん。兄貴はただヘタレなだけなんです。おまけに妄想癖が強いから、何を言わなくても、相手に伝わってる気になってるだけ」
「おい」
さすがにそこまでお花畑じゃねえぞ。というか、どっちかといえば相手に伝わるのを諦めてるタイプだぞ俺は。
……まあ、声には出してないんだけど。
「でも、それはただの甘えです。だから、それこそエリスさんみたいな人が厳しく躾けてくれないと、兄はすぐダメになっちゃうんです」
「いや、躾けって……」
「……琴音は、悠斗に厳しいんだね」
歯に衣着せぬ発言を連発する琴音に、ドン引きしている俺はもちろん、さすがのエリスも苦笑を隠せない。
「そりゃそうですよ。妹としては、兄貴にはもうちょっとコミュニケーション能力を上げてもらわないと。将来ニートになられても困りますし、そうなったら恥ずかしくて外歩けないですし。一生独身はもう諦めてますけど」
……このクソ妹めが。
と罵ってやりたかったが、現状俺はニートが未来の姿の候補ナンバーワンなので、何も言い返せない。生涯毒男については言わずもがな。
ただまあ、非常にムカつくが、琴音がルックスもコミュニケーション能力も平均以上なのは事実なので、親父たちに孫の顔が見せられない、という可能性は低いだろう。現に今も、結構モテているらしい。そういう意味では俺に余計なプレッシャーはないのだが。両親も、俺については諦めているフシがある(血の涙)。
なんてしょうもない思考にカロリーを費やしていると、エリスがぽしょっとつぶやいた。
「……それはないんじゃないかな。……もしそうだったら、わたしこんなに悩んでないし……」
「……へ?」
「……え?」
そして、俺と琴音の声がハモる。後半はよく聞こえなかった。俺だけでなく琴音も「エリスさん、今なんて?」なんて言ってるから、俺が難聴野郎という批判はここでは当たらない。
「……う、ううん、何でもないよ! ……じゃあ悠斗、話がだいぶ逸れちゃったけど、今から読み合わせ、付き合ってくれるかな?」
そう言ったエリスは、顔を隠すようにひょいと台本を持ち上げた。その頬がかすかに赤く染まり、視線をさまよわせている様子が見える。……何でこんなに可愛いの。
「……ああ。ちと照れくさいけどな」
演劇なんて、どう考えてもガラじゃねえし。斜め読みする限り、恥ずかしいセリフも結構あるみたいだし。
「じゃあ、今度こそ始めよっか!」
気持ち明るくなったエリスのソプラノボイスが部屋に響く。どうやら、少しだけ元気が出たらしい。
……腹は立つが、ちょっとだけ琴音に感謝だな。
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