第5話⑤ メインテーマ①
「……エリス」
気がつくと、俺は息を呑んでいた。また、「えへへ」と微笑こそ浮かべてはくれたが、その綺麗な睫毛が所在なさげに揺れていた。
「エリスさんを不安にさせるなんてサイテー。兄貴のくせに」
ぼそりと、琴音が痛烈な一言を吐く。視線も剣山みたいに刺々しい。
うっ……、これじゃ俺がマジで最低のクズ野郎みたいじゃないか。
「ま、待ってくれ。さっきも言っただろ。ほんとに違うんだって」
針のムシロのような状況に、今度はこっちの言い方もガチ気味になってしまう。だが、真剣に否定すればするほど、より足場が狭くなっていくような気分になるのはどうしてだ。
「琴音の言う通りだ。真岡とはつい最近までロクに会話だってしてなかったんだ。むしろ、あいつとの話をするようになったのは、エリスが来てからくらいなんだよ」
エリスのブラックキャットでの一日就業体験。あの時学校中の話題をさらっていたエリスがあの場所にいたからこそ、真岡は俺にいつもより多めに話を振ってきたのだ。それからポツポツと会話する機会が増えて今に至る。
「それに、俺はあいつのことは何も知らない。趣味も、好きな食べ物も、家族構成も、LINEのIDも。普通の同級生同士なら当たり前にするような話も、あいつとはしたことがない。仲がいいって言うなら、それくらい知ってなきゃおかしいだろ?」
まあ、小説のことだけは知ってしまったわけだが。でも、逆に言えば、俺は真岡のことはそれくらいしかわからない。プライベートな事情を尋ねたこともない。真岡が描く小説の内容には、彼女の心情が現れてるんだろうな感じたことはあったが、もちろんそれを直接確かめたこともない。
そして、あいつもまた、俺の個人的な事情を聞いてくることはほとんどなかった。お互いの深い部分には踏み込まない。そのほうが楽だし、傷つくことは少ないと、俺も彼女も知っているから。
だから、俺と真岡は、エリスが思っているような関係じゃない。
だが、俺が理屈でそう主張しても、エリスは困ったように微笑むだけだった。
「だったら、なおさらだよ」
「え?」
「確かに悠斗と葵は、たくさんおしゃべりしてるわけでも、長い時間一緒にいるわけでもないけど……それなのに、お互いに『わかってる』って感じなんだもん。言葉を交わさなくても通じ合ってるっていうか、自然っていうか。日本語の“以心伝心”って二人みたいなことを言うのかなって」
「……そんなわけないだろ。真岡のことなんて何もわからん。それに、あいつは自分のことを知られるのを怖がってるところがあるしな」
そりゃ、生まれも育ちも文化も言葉も違うエリスよりは、真岡のほうが頭に浮かべている考えや抱いている気持ちに何となく想像がつくことはある。ましてや、あいつもぼっちで、不器用で、他人に対して疑り深い。視座や物の見方には近い部分があると思う。
でも、だからこそ「俺はおまえの気持ちがわかる」、なんて傲慢と勘違いの極みでしかない。そんな知った風な口を利くことこそ、真岡が最も嫌うもののはずだからだ。他人に理解される経験に乏しい人間はそうなりがちだ。
「……ほら。やっぱりわかってるよね」
エリスの瞳にますます切なげな色が濃くなる。
「わたしはずっと、相手の話をしっかり聞いて、自分の気持ちや考えをきちんと言うようにしてきたの。わたしの国にはいろんな階級や人種や、宗教の人たちがいるから。誤解をしないために、すれ違わないために、言葉で口にしないといけなかったから。それが当たり前だと思ってた」
「……ああ」
知ってる。
そしてそれこそが、俺が素直にすごいと、羨ましいと思ったエリスの強さ、気高さだった。
「でも、日本に来て……そうじゃないコミュニケーションもあるんだって知って。それに戸惑うことばかりだったけど、悠斗は『そのままでいい』ってわたしに言ってくれて。すごくうれしかったの」
エリスは胸元をきゅっと握り、言った。すると、琴音が驚愕したように目を見開く。
……いや、そういうの、妹に聞かれるとかすげー恥ずかしいんだけど……。
俺は琴音から顔をそむけつつ、頬をポリポリと掻く。
「……ああ、そうだよ。今だってそう思ってる。エリスが無理にこっちのやり方に合わせる必要なんてないさ」
「うん、ありがと。でもね……」
エリスはそこで一度、わずかに唇をわななかせた。
そして、小さく呼吸を整え、言った。
「悠斗は……嫌じゃないのかなって」
「……は?」
何――――、
「わたしにみたいにいちいち口にしなきゃ気持ちが伝わらないような子は、悠斗にとっては負担で、迷惑なんじゃないかって。葵みたいに、何も言わなくても心が通じるような相手のほうが、悠斗にはいいのかなって」
何言ってんだよ、エリス―――――。
「二人を見てると、どうしてもそう思っちゃうんだ」
エリスは深く肩を落とし、切なげな溜息をつく。その金色の髪が流れるように揺れ、瞳は潤んでいるような気さえした。
俺は無性にたまらなくなって、
「そんなわけ―――――――」
あるか、と言いかけて―――――、
「エリスさん。それは違いますよ」
俺の先に割って入ったのは、ずっと黙っていた琴音だった。
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