第5話④ 彼女が描く世界

 エリスと琴音が作ってくれた夕食に舌鼓を打った後(とはいっても普通のカレーだったが)。俺とエリスはリビングのテーブルの上で向かい合う。


「じゃあ悠斗、始めよっか! おっー!」

「お、おう……?」


 エリスが台本を片手に、元気よく声を上げる。その高いテンションについていけない俺は、困惑するばかりだ。というか、練習はいいんだけど何で俺が……?

 そして何より……。


「……なぜおまえがここいる?」

「……何よ、いちゃ悪い?」


 返事をしたのは、不機嫌そうに頬杖をついている琴音だった。


「いや、別に悪くはないんだけどよ……」


 やたらと睨みを利かせてくる琴音に気圧された俺は、もごもごと言葉がもにょってしまう。気の強い妹に弱い、情けない兄である。しかし、


「いいよ。せっかくだし琴音も付き合って? 劇の役は主人公とヒロインだけじゃないもんね」


 エリスがいつものように、えへへとにっこり笑う。それを見た琴音は何とも言えない微妙な表情で、口に手を添えながら顔を俺に寄せてきた。


「エリスさんとちゃっかり二人きりになろうなんて、そうは問屋が卸さないんだからね」


 やたらと警戒心丸出しだなと思ったら、それかよ。


「別にそんなつもりないんだが……。俺から誘ったわけでもないし。むしろ、おまえのとこに遊びに来てたんだと思ったくらいだぞ」


 いや、まあ、今、エリスがここにいるってことに関しては、心臓が生ライブのごとくビートを打ってたりはするんだけどね? これは男子としての生理現象みたいなもんだからしょうがないよね?


 そんなことを考えながら、台本に目を落としつつ耳をかき上げるエリスの色っぽい仕草に、俺はまた胸が高鳴るのだった。

 何度でも言うが、俺は面食いじゃないけどね!


 ×××


 というわけで、早速、真岡葵渾身の(かどうかは知らないが。片手間程度だったかもしれん。)『ロミオとジュリエット』の台本をもう一度斜め読みする。

 とはいえ、真岡のアレンジは、エリスが考えたニンジャ同士の抗争、のような突飛なものではない。


「ふーん……ジュリエットはイギリス人で、ロミオは日本人って設定なんだ」


 琴音がまず最初のアレンジ部分を指摘した。


「まあ、これはジュリエットをエリスが、ロミオを学校の男子がやるってことに配慮しただけで、大した考えや意味はなかったらしいけどな」


 そのはず……だよな?


「でも、この思いつきをうまく活かしちゃうのがあいつのセンスだよな」


 アレンジポイントその2。

 ジュリエットは幼い頃、日本で開かれたとあるパーティーに参加する。しかし、周りは日本人ばかりで、誰とも言葉が通じず独りぼっち。そこに、日本の資産家である門田もんた家の嫡男であるロミオが彼女にたどたどしい英語で声をかけ、二人は互いに友達になる。つまり、小さい頃に一度出会っていた、という設定になっている。


「ここはちょっと千秋のアイデアに似てるよね」

「まあ、物語のテンプレ……というか王道だからな」


 この手の設定は、古今東西、二次元、三次元も問わずありふれたものだろう。特に、日本の二次元では本当によく見かける。……ま、俺がギャルゲ……じゃなかった、ゴホンゴホン、ノベルゲームが好きだからそう感じるだけかもしれんけど。


 そこで、ここまで読み進めたエリスが言った。


「……でも、何でここ、『友達』なんだろ? どうせなら千秋のみたいに、ここで結婚の約束までしちゃえばいいのに。そのほうがドラマチックじゃないかな?」

「確かに、そのほうがお話としてもわかりやすいですよね。そうすれば、この“仕掛け”もいらなくなるし」


 エリスの疑問に、琴音も同調する。

 俺は答えた。


「……そこは、ま……作者の趣味じゃないか? 何でも直球ならいいってわけじゃない、って主張が伝わってくる、というか」


 これは実際に真岡の作品に触れている俺にしか気づけないことだろうが、とにかくパッションとラブだけでひたすら突っ走る原作にはない、『間』とか『空気感』とか『雰囲気』とか、そういう余韻みたいなものを作ろうとする意識が、この台本からは感じられる。


 もともと、真岡が書いているのは、ジャンルとしては一昔前のジュブナイル的な青春恋愛ものだが、王道とか正道とかからは一歩二歩、外れている話が多い。

 ヒロインとヒーローが仲良くなるのにやたら時間がかかるし、自信がなかったりひねくれてたりする登場人物は多いし、ストレートに気持ちや想いを口にしたりもしない。

 ヒロインたちがイチャイチャするにしても、直接的な場面は全然なく、何気ない会話シーンで互いの信頼や依存ぶりなんかを表現したりしてくる。


 まあ、こんな作風だからこそ、俺は彼女の描く物語が好きなわけだけど。


 自分の心情や思いを表に出せない奴らの気持ちは、痛いほどわかるから。


 そうやって俺がこの作品の、真岡葵の世界観の余韻に浸っていると、


「……悠斗って、ホント葵のことよく知ってるし、見てるよねー」


 金髪の超絶美少女が、冷気の呪文でも唱えたかのように言った。


「……ソンナコトナイヨ?」


 その絶対零度な声色に、思わずゼンマイのロボットのようなカタコトになってしまった。

 いや、マジで深い意味も他意もない。


「? そうなんですか? その、これを書いた葵さん……って、ブラックキャットによく来てる人ですよね? あたしもたまに見るけど、兄貴と会話してたことなんてほとんどなかったような……」


 琴音はこめかみに指を当てて疑問を呈するが、エリスは気持ち強めに首を左右に振った。


「違うんだよ、琴音。悠斗と葵はね、ずーっと二人でこっそりイチャイチャしてたんだよ」

「……え?」


 とんでもないことを言うエリスに、琴音がガチでドン引きした視線を俺に向ける。心なしか、身をよじって逃げる準備をしているようにさえ見える。


「その汚物を見るような目やめて? 言うまでもなく誤解だからな?」


 俺は思わず頭を抱える。そして、「エリスも冗談にしちゃ行き過ぎだぞ」と窘めた。だが、


「……悠斗。本当に、誤解なの?」


 やけに真剣さを宿したエメラルドの瞳を、エリスは俺に向けてくるのだった。

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