第5話③ 彼女の初めての来訪

 あの子、どこで見たんだっけ……? ダメだ、思い出せねえ……。


 俺は自分の当てにならない記憶をまさぐりながら、映像研の部室の扉に視線を送り続ける。


「……悠君。いつまで今の子に後ろ髪を引かれているのかしら?」


 すると、桐生が不機嫌さ満々の冷たい声を飛ばしてきた。


「なにが、『俺は面食いじゃない』よ。可愛い子とくれば誰かれ構わず見惚れちゃって」

「いや、違うって。あの子、どっかで見たことあるなって思っただけだ」

「ふーん……ルックスのいい子はすぐ覚えちゃうのね。さすが男子。それとも化石みたいな口説き文句のつもり?」

「だから違うっての」


 確かに今の子はかなり……いや、めちゃくちゃ可愛かったが、俺が印象に残ったのは、顔よりむしろ“声”だった。

 うまく説明できないが、大声を出していたわけでもないのに、不思議と聞き取りやすかったというか、芯が通っていたというか。アナウンサーのような声、といえば伝わりやすいだろうか。


 桐生は「……どうだか」とつぶやくと、スタスタと俺を置いて歩き出してしまった。めんどくせえなあ、もう。

 俺が小走りで桐生の背中を追うと、彼女は視線をそのまま前に向けたまま言った。


「会長のところに戻る前に、演劇部に寄っていきましょ。真岡さんもそろそろ解放されてる頃だろうし」

「強引だよな、西條先輩も」


 今日の放課後、俺が真岡を迎えに2組へ行くと、ちょうど彼女が西條先輩に連行されている最中だった。唖然としていた俺が立ち尽くしていたところに桐生が通りがかり、代わりに俺との同行を申し出てくれた。そして今に至るというわけだ。


「そうだったわ。真岡さんで思い出したんだけど」

「ん?」


 桐生はふと立ち止まり、上半身だけこちらに向ける。


「……悠君は知ってたの?」

「は? 何が?」


 さすがに、ここはこれだけじゃわからねえぞ。


「……真岡さんにああいう……物を書く特技があるってこと」


 ………。


「……なんで、そんなこと聞くんだ?」

「だってあなた、真岡さんの書いた話をすごく面白いって褒めてたけど、書けたこと自体には全然驚いてないみたいだったから。まるで、あのくらいできて当然、みたいな反応だった」

「……あ、いや、それは」


 ……しまった。確かに、俺はあいつの書く話の内容にばかりに目が向いていたが、桐生たちからすれば、あのクオリティの脚本が出てくることそのものが衝撃的だったはずだ。

 俺は小さく首を振る。


「……すまんが、俺からは答えられん。知りたきゃあいつに直接聞いてくれ」

「……彼女、聞いたら答えてくれるかしら」


 桐生は自嘲気味に笑う。


「……言われてみれば、それは微妙かもな。あいつ、他人に干渉されるのが嫌いなタイプにしか見えん」

「……そうね。真岡さん、私のことは苦手だろうし。悠君とのこととなれば、なおさら話したがらないでしょうね」

「……?」


 ……あれ? なんで俺の話になってんだ? 

 今の言い方だと、桐生が聞きたいのは、真岡の特技のことじゃなくて、それを俺が知っていたかどうか、ということのように思える。


 ……ただ、いずれにしろ、俺の口からそれを説明するのは憚られた。

 どちらも察しのいい桐生にはバレバレかもしれないが、だからといってベラベラ話していい事にはならない。

 おそらく、真岡は自分が小説を書いていることを、俺以外の誰にも言っていない。


『誰にも言うなよ? 言ったらマジで息の根止めるから』

『いや、絶対に言わない。そもそも言う相手がいないし』


 まあ、このように俺が知ってしまったのもただの偶然だったわけだが、その後もプロデビューする、ということまで打ち明けてくれたのだから、俺のことを一応は信用してくれているのだろう。

 そんな彼女の気持ちを裏切るような真似をするわけにはいかない。あいつも、俺が自分と同じようなぼっちだと思ったからこそ、心を開いてくれた部分もあるんだろうし。


「……繰り返しになるけど、やっぱり言えん。悪いけどさ」


 俺が申し訳なく再び拒否すると、桐生は「別にいいわよ」と前置きし、


「真岡さんはきっと教えてはくれないだろうけど、それでも

「……?」


 妙に引っかかる物言いをした桐生は、「ふふっ」とやけに蠱惑的に笑うのだった。


 ×××


 そして。

 西條先輩から攫われた真岡を取り返し、高梨会長に司たち映像研の状況の説明をし、あれこれ残っていた雑務を片付け、ようやく俺は帰途についた。


「たでーまー」


 すっかり遅くなり、もう夜7時を過ぎていた。クタクタのヘロヘロである。帰宅部かつ、終業チャイム後は脱兎のごとくすぐ帰ることに定評のある俺が、こんな遅くなるなんて……。慣れないことをしている自覚がありすぎる。


「あ、悠斗、おかえりー!」

「兄貴、遅かったじゃん」


 ……ん?


「……エリス?」

 

 凝った肩を回しながらリビングに入ると、なぜか琴音と一緒に夕飯の支度をしているエリスがいた。花柄のエプロンがとても可愛らしい。その長い金髪をひとまとめにおさげしているのもすごく新鮮で、これまた可愛い。

 ……じゃなくて。


「……なんでうちに?」


 もう覚えていない人が大半だろうが、今の俺と琴音は海外転勤中の両親の勧めで、マスターの所有するアパートの一室で暮らしている。

 つまり、マスターの家でホームステイしているエリスは、本当の意味でお隣さんである。しかし、俺と琴音がマスターの家やブラックキャットに世話になることはあっても、エリスがうちに来るのは、俺が知る限り初めてだった。


「今日はね、悠斗がお願いあって来たんだ!」

「お願い?」

「うん、これだよ!」


 エリスはそう言うと、リビングのテーブルの上にあった一冊の本を手に取り、俺のほうへ勢いよく突き出してきた。


「悠斗、わたしと台本の読み合わせ、しようよ!」

「……はい?」

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