第5話① 桐生千秋 その4
「今日の視察はここ、か」
例の脚本会議から一週間ほど。俺は毎日あちこちのプログラムのヒアリングに追われていた。想像していたよりもずっと忙しい。おかげで、今週に入ってからバイトのシフトも一切入れられていない。ブラックだ……。
しかも、今日俺と行動を共にしているのは真岡ではなく―――――。
「ええ。司がエントリーしている映像研のプログラムね。内容は……オタク向けコンテンツの制作と配信……か。ずいぶんざっくりしてるわね。結局何をするつもりなのかしら」
桐生は手に持っている資料に目を落としながら言った。俺がその様子をじっと見ていると、不意に彼女の瞳がこちらに向く。
「……どうしたの? ……あ、ひょっとして、一緒にいるのが真岡さんやエリスじゃなくて不満だったかしら?」
「……何でだよ。別にそんなこと誰も言ってねえだろ」
「ふふっ、冗談よ」
桐生はくすっと微笑んだ。
ゴールデンウィークに帰省してきて以来、こうしてまた、少しずつ彼女との会話をすることが増えてきていた。その回数に比例して、次第にかつてのぎこちなさも薄れてきている。
とはいえ―――。
「むしろ、桐生のほうこそいいのかよ? 俺なんかと一緒に行動してさ」
俺は曖昧にそう問いかけた。はっきりと言葉にしなくても、彼女にはこれで伝わる。
その理由がハイコンテクストな日本人同士によるコミュニケーションだからなのか、単に付き合いの長い幼なじみだからなのかは判別がつかないが。
「別に問題ないわよ。今は文化祭の仕事を一緒にしているだけだもの。周りに変に思われることもないわ。しかも、今日は真岡さんの代打ってだけだしね」
「さいですか」
確かに、言葉足らずでも真意はほぼ100%伝わったものの、こういう言い方をされると微妙にイラッとするぞ。
ちなみに、今日、真岡の代わりに桐生が一緒なのは、例の演劇の脚本コンテストが真岡のもので決定となったからだ。今、真岡は原案者として、西條先輩に連行されている。シーンの意味とか意図なんかを色々と聞きたいらしい。……てかあいつ、こんなことしてて自分の仕事は大丈夫なんだろうか……。
なんて将来有望な女子高生作家の未来を心配していると、
「それに……」
「ん?」
どうやら桐生はまだ言い足りない部分があったようだ。
「それに?」
俺が続きを促すと、桐生は苦笑した。
「エリスや真岡さんを見てたら、人の顔色を窺ってばかりの自分が、なんだか情けなくて」
「え?」
そう言った彼女は、茶色の髪をくしくしといじる。その表情には明らかな自嘲の色が浮かんでいた。
「だから、私も一歩踏み出してみようって思ったの。もう高校生なんだしね」
「桐生……?」
桐生は懺悔するように続ける。
「中学に上がってから、急に学校の人間関係とかグループ付き合いが難しくなってきて。クラスで目立たなかった柏崎君と話すと、周りの女子がヒソヒソしだしたりするのが怖くて……」
「…………」
いや、実際に彼女なりの告解なのかもしれなかった。
「彼女たちも別に悪意ばかりじゃなかったのに、『あの子と仲いいんだ?』って聞かれると、私はいつも、『うん』って素直に言えなかった。そうやってだんだん柏崎君と距離を取るようになって、あなたをずっと傷つけてきた」
桐生は強く首を振った。何かを振り払おうとするかのように。
「文化や考え方の違うエリスと真摯に向き合っているあなたを見て、改めて気づいたわ。柏崎君は昔と変わってない、変わってしまったのは私のほうなんだって」
「……別にそんなことは」
ない、と告げる前に、桐生は「あるわ」と強く遮る。
「別に許してほしいって言ってるわけじゃないの。ただ、あの時と同じ間違いをして、後悔したくない。それだけなの」
桐生はそこまで言い終えると、胸に手を当てて大きく息を吐いた。ずっと胸に抱え込んでいたものを言葉と一緒に吐き出した、まさにそんな感じだった。
俺は言った。
「……許すも何も、俺は最初から怒っちゃいねえよ。それに、他人の目を気にしてたのは俺も同じだ。おまえとはちょっと方向性は違ったけどな」
「……そうなの? ちょっと意外だわ」
「ああ」
友達のいないぼっち野郎と思われるのが嫌で、休み時間は人がいないところを無理やり探したり。女子に馬鹿にされるのが怖くて、たまに話しかけられたら妙に強気でクールぶってみせたり。
高校に入ってからは幾分諦めがついたが、俺だって中学の頃はそれなりに自尊心を膨らませていた。『俺はこんな程度の奴じゃないんだ』って自意識といつも闘っていた。誰かに……いや、みんなに承認してほしかった。
「中高生なんてそれが普通だろ。エリスや真岡なみたいな奴のほうがレアケースだ」
俺がそうまとめると、桐生の肩からふっと力が抜けたように見えた。
「やっぱり優しいのね。“悠君”は」
「……! ちょ、お、おま……! その呼び名は……!」
この間、ブラックキャットで再会した時は、思わず心の声が漏れてしまった感じだったが、今回は明らかに確信犯だった。
むず痒くて、彼女との色んな昔の思い出がフラッシュバックする。
「ちょっといきなりで図々しいかもしれないけど、今日からまたそう呼ぶわ」
桐生はいたずらっぽく笑った。……何で急にそんな余裕が出てきてるんだよ。
「……言っとくけど、俺は呼び方は戻さんぞ」
俺はこう意地張るのが精一杯だった。
「いいわよ。また、そう呼んでもらえるように頑張るだけだから。相当出遅れちゃったけどね」
「……え?」
俺が桐生の突然の宣言の意味を飲み込めずにいると、そのとき映像研の部室のドアがギイっと開いた。
「あれ? 悠斗に千秋? もう来てたんだ。そんなところで何やってんの?」
ドアの向こうから顔を出したのは司だった。今日はこいつに話を聞く予定だったのである。
「あ、いや、別に……」
とにかく気恥ずかしくなっていた俺は、ばつが悪く頬を掻くしかなかったのだった。
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