第2話① 真岡と桐生 その1

 そして翌々日の放課後。

 桐生に言われた通り、俺は杜和祭の準備委員会のミーティングに出席するために視聴覚室を訪れていた。

 すると、いきなり意外すぎる人間に出くわした。


「……何でおまえがいるんだよ、柏崎」

「……そりゃこっちの台詞だ」


 黒髪ロングの和風美少女にして、その艶やかな容姿とは裏腹なぶっきらぼうな口調。

 俺のバイト先であるブラックキャットの常連、真岡葵は座っていた席で気だるそうに頬杖を突いていた。

 だが、彼女は俺の姿を認めるなり、「ははーん」と意地の悪い笑みを見せる。


「わかったぞ。さてはおまえ、どこの企画にも混ざれなくて、クラスの連中にこの委員を押しつけられたんだろ? 大方、『柏田君。柏田君って真面目だし、こういうの向いていると思うんだよねー』とかって、メインどころの女子に頼まれて、泣く泣く断れなかったってとこか?」


 真岡はサディスティックな笑みとともに、下手くそな演技を交えながら言った。文筆の才能はあっても、演劇のセンスはないらしい。


「……そこまで具体的に説明してくれるなんて、どこかの誰かさんもさぞかし同じような体験をしたんだろな。……あと名前わざと間違えるのやめろ。ホントに『柏木君』ってクラスの女子に間違えられたときのこと思い出しちゃっただろうが」


 しかも、つい昨日のことである。もう5月も半ばだってのに。その子、まったく悪意がなくて、逆に俺にまったく興味がないことがわかっちゃって余計にショックだったんだよなー。あれ? 心に血がドクドク出てるみたいに痛い……。

 俺がその心の傷に耐えつつジト目で反撃すると、真岡は露骨にあたふたしだした。


「……あ、あたしは違うぞ。ホームルームそっちのけで改稿のアイデアを考えてたら、いつのまにか委員にされてただけで……」


 ……そっちのほうが問題じゃねえか。てか、大丈夫かよこいつ? 本気でハブられてたりしてたら気の毒すぎるんだが……。


「つ、つーか、女子に名前覚えてもらえないのって、男としてプライドが傷つくよな。良かったな、柏崎。一応あたしは覚えてやってるぞ。一応だけどな」


 にもかかわらず、真岡はテンパりながら減らず口を叩くという器用な真似をしてくる。

 ……まあ、この件はとりあえず突っ込むのはやめておいてやろう。お互いに立ち直れない傷を負うだけだ。


「……はあ、もういいよ。でも、こんなことしてて平気なのか? 書籍化の作業って結構大変なんだろ?」


 俺が仕方なく話題を変えてやると、真岡は待ってましたとばかりに目を輝かせた。


「そりゃ大変なんてもんじゃないぞ、柏崎。やっぱり編集って容赦なくてさ。展開を思い切って変えろだとか、メインキャラの一人をバッサリ切れだとか、平気で言ってくるんだ。こっちには色々思い入れがあるってのに。もう何回もケンカしちゃったよ」


 真岡はやれやれと肩をすくめた。

 何だろう、こいつの態度に微妙にイラッとする。あえて言うなら、『俺って毎日大変な仕事任されちゃってさー』と忙しいアピールをSNSでする意識高い系社会人みたいな……。


 だがそれよりも。


「いきなりそんな調子で大丈夫なのかよ?」


 こいつ、頑固そうだし、目上の人間とか敬わなさそうだし。揉めに揉めて話が破談になったりしなけりゃいいんだが……。


 しかし、真岡は少しだけ殊勝な表情になると、その手を強く握りしめた。


「……うん。編集のダメだしを直していくと、自分の作品がもっと面白くなっていくのがわかるんだ。悔しいけど、やっぱプロだよな」


 ……どうやら無用な心配だったらしい。真岡は自分のプライドを守ることよりも、目指すべき道をきちんと優先しているようだ。きっと、プロの世界でも成功できるのは彼女のような人間なのだろう。だから、


「……そっか。じゃあ、ちゃんと完成させてくれよ。絶対買うし、楽しみにしてるから」


 俺にできるのはこうやって応援することくらいだ。


「……うん。サンキュ、柏崎。あたしも頑張るよ」


 照れたようにはにかむ真岡。俺も思わず苦笑してしまう。

 だが、自分の夢を嬉々と語る真岡を見ていると、俺は喜びと同時に、どこかぽっかりと胸に穴が空いたような気分になる。


 エリスといい、真岡といい、日々平凡と……いや、平凡にさえ届かない生活を送っている俺からすれば、彼女たちはとても眩しくて、嫌でも自分との違いを思い知らされてしまう。


 将来の夢があって羨ましいとか、そんな単純な理由ではなくて。

 リアルが充実していて妬ましいとか、そんな短絡的な話でもなくて。


 もっと深い部分で……そもそもの人間の器というか、度量というか、もっと根っこのところで、俺と彼女たちの間ではとてつもない差があるような気がする。


 今でこそ学校の同級生だけど、そう遠くないうちに―――――。

 そんな思考の迷路に陥っていると―――――、


「柏崎君。そろそろ時間なんだけど、席についてもらえない?」


 いつのまにか背後にいた桐生が、俺に声をかけてきていた。振り返ると、彼女は大きなドッチファイルを抱えている。今日のミーティングの資料のようだ。


「あ、ああ。悪い」


 我に返った俺は、慌てて真岡の隣の席に腰を下ろした。すると、桐生の視線は当然のように真岡にスライドする。


「柏崎君。この人は?」

「ん? あ、ああ。こいつは2組の真岡。俺と同じ準備委員だってさ」

「なんで女子の友達が全然いない柏崎君が、2組の子と知り合いなの?」


 桐生はごく自然に“女子の友達が全然いない”という形容を付け足してきた。いや、あえて今そこを強調する必要ある? まあ事実なんだけどさあ……。


「こいつはおま……ブラックキャットの常連なんだよ。それで店でよく顔を合わせるんだ」


 俺が背景を説明すると、桐生は「へえ、そうなんだ。この子が……」とフラットな声でつぶやいた。そして、


「私は柏崎君と同じクラスで、“幼なじみ”の桐生千秋よ。よろしくね、真岡さん」


 やけに明るい笑顔でそう言うのだった。

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