第2章 文化祭準備編

第1話① 二人の登校(失敗)

「おっはよー、悠斗!」

「おう。おはよう、エリス」


 そして連休明けの最初の登校日。俺が約束通り、ブラックキャットの前でエリスを待っていると、彼女は手を大きく振りながらこちらにやってきた。

 とはいっても、今の俺と琴音はマスターのアパートの一室を借りているわけで、実質同じ建物の中に住んでいるのだが。


「えへへ、待った?」


 エリスは嬉しそうに言った。彼女の制服姿の時のトレードマークでもあるベレー帽がぴょこぴょこと揺れている。そして、そのエメラルドの瞳でじぃーっと俺を見てくる。うずうず、わくわく、という擬態語が背後に踊っていそうだ。

 どうやらこの前やり損ねた、“お約束”を待っているらしい。


 俺の返答は決まっている。


「ああ、待った。結構待った」


 ただいまの時刻、8時20分。うちの学校の始業は8時40分で、ここからゆっくり徒歩だと30分くらいかかる。俺は普段チャリ通学だったのだが、エリスに合わせて今日から徒歩にすることにしていたのだ。

 軽く走るくらいしないと間に合わん。ちなみに、俺は20分程度待ちぼうけをくらっていた。


「うう、ごめん……」


 エリスはしょんぼりと肩を落とす。


「というかエリス、本当に朝弱かったんだな」

「う……で、でも思い切りお寝坊したわけじゃないんだよ!? いつもと同じ時間には起きてたんだから!」

「いや、だったら何でこんなギリギリになったんだよ?」


 4月に転入してきて以来、エリスが実際に遅刻をしたことはない。だからこそ、俺はエリスが朝に弱いことを知らなかったのだ。


『だ、だって……おめかしにいつもより時間かかっちゃったんだもん……』

「?」


 エリスは珍しく、母国語でぶつぶつと何かをつぶやいた。うつむいて両手の人差し指をつんつんしているあたり,言い訳をしているのだろうということは伝わってくるが、当然俺にその細かい意味まではわからない。あとその仕草は可愛すぎるからやめてほしい。


 すると、エリスは思いついたように「あっ!」と声を上げた。


「じゃあ、あれは? 自転車の二人乗り! 日本のアニメとかでよく見るよ! あれなら間に合うんじゃないかな!?」

「はい、却下。あれはフィクションの世界での話です。実際にやったらお巡りさんに捕まります」


 俺が棒読みの敬語で拒否すると、エリスは「えー」と頬を膨らませる。……いや、いくら可愛くアピールしてみても、ダメなもんはダメだからね? 

 ……だが正直、俺も少し……少しだけ、エリスとの二人乗りしている風景を想像してしまった。もちろん、絵面としては月とスッポンなことは自覚している。そして、俺の今後の長い人生でも、ベスト3にランクインすること間違いなしのリア充シーンだろう。むしろ俺の人生のハイライトまである。


 ……まあ、やらないけどな。普通に補導案件だし、それ以上に学校の連中にどう思われるかわからない。陰キャかつはっちゃけるのが苦手な俺には、複数の意味でハードルが高すぎる。


「というわけで急ごうぜ? いきなり遅刻はしたくないだろ」

「……うん、わかった! 行こう、悠斗!」


 エリスは少しだけ残念そうだったが、すぐに笑顔を見せてくれる。この切り替えの早さも彼女の美点だ。

 こうして、俺たちは小走りで学校へ向かうことになった。そのせいで会話らしい会話もあまりなく、エリスが言っていたような、それらしい登校風景にはまったくならなかった。

 

 それでも、こんな瞬間も、いつかは懐かしい思い出として俺の記憶に残るのだろうか―――――。



               ×××



「おう、悠斗。どうしたんだよ? 今日、ちゃっかりエリスと二人で登校してたじゃねえか」

「……恭弥」

 

 その日の昼休み。ゴールデンウィーク明け初日ということもあり、クラスにはどこか気だるげな雰囲気が漂っていた。そんな状況にあっても、いつも通り、菓子パンをかじりながら黙々とスマホゲ―に興じる俺(もちろん一人)に、冷やかしの声をかけてきたのは俺の幼なじみの一人にして、当クラス最上位カーストのイケメンリーダー、喜多きた恭弥きょうやである。


「……別に。今朝はたまたま店の前で会っただけだ」


 俺が画面に目を落としたままぶっきらぼうに言い訳すると、さらに幼なじみの一人である中性的なオタク少年、小笠原おがさわらつかさが割り込んできた。


「でもさ、普段は時間にきっちりしてる悠斗が、予鈴のチャイムギリギリに教室に飛び込んでくるのは珍しいよねえ。しかもエリスさんとほとんど同じタイミングにさ」


 司もまたニヤニヤと煽ってくる。

 こいつら目ざとい……。予鈴直前はクラスもざわついているし、誰にも気づかれずしれっと教室に入れたと思ってたのに……。


「…………」


 俺が黙秘権を行使していると、当のエリスはちょうど桐生と楽しそうに雑談していた。連休中、共に一晩過ごした(意味深)こともあって、二人はすっかり意気投合した様子だ。もうお互いにぎこちなさはまったく見られない。

 その二人の仲良さそうな姿を見て、恭弥が話題を変えた。


「それにしても驚いたぜ。まさかエリスがクォーターで、しかも千秋や美夏さんの親戚だったなんてな」

「ほんとだよね。悠斗は知ってたの?」

「いや、色々あってさ。俺も知ったのはつい一昨日だ。……というか、当人たちもその日まで知らなかったからな」


 今日の二時限目の休み時間、桐生は自分がエリスのはとこであることを、自分の所属するグループと恭弥たちのグループにもさらっと告白したのだ。


 学校内の情報の伝達というのは、クラス上位から伝わるのと、下位から伝わるのでは、その持つ意味が大きく異なってくる。例えば、俺が最初に司あたりにこの件を話してクラス内に知れ渡っても、「ホントかよ」「ガセネタ乙」と情報の信憑性が疑われること必至だ。何より、「え? エリスってあんなのと仲いいの?」と思われるのが非常にまずい。

 もし万が一、エリスの親戚が桐生ではなく俺だったとしたら、俺はその事実を学校内では隠そうとしたかもしれない。


 だが、桐生のようなクラスで存在感のある女子の発言は、正確性とともに重みのある言葉となって校内のネットワークに広まる。

 桐生もまた、そのあたりの感覚に聡いし、自分の発言力への自覚もあるのだろう。だから、自分のグループだけでなく、恭弥たちにも教えたに違いない。


 実際、桐生のカミングアウトの効果は覿面てきめんだった。

 4分の1は日本人の血が流れていて、しかもクラスメイトの親戚―――――。

 その事実が共有されただけで、クラスメイト達のエリスに対する警戒心や物珍しさが一段と和らいだ気がする。

 外国人だから、留学生だから、と特別扱いされることなく、普通にクラスの一員として受け入れていいのだという雰囲気になれば、エリスはさらにクラスに溶け込めるようなるだろう。


 ……ありがとな、桐生。


 「おまえが言うな」との少しの傲慢さを自覚しつつも俺が心の中だけで礼を言うと、ふとこちらを向いた桐生と目が合った。

 いつもならすぐにでも目を逸らされるところなのだが、なぜか今日の桐生はエリスと軽く頷き合うと、二人そろって俺たちのところにやってきた。

 俺が「えっ」と困惑していると、


「ねえ、柏崎君。その……ちょっといいかしら? 聞きたいことがあるんだけど」

「お、おう……? どうした?」


 さらに驚くべきことに、エリスではなく桐生から俺に声をかけてきた。

 俺が記憶する限り、高校に入学して以降、桐生のほうから俺に話しかけてくるのは初めてだ。

 それは桐生もわかっているのか、少し緊張した面持ちでいるように見える。俺たちが長く口を利かなかったことを知っている恭弥と司も、軽く衝撃を受けているようだった。エリスだけがニコニコと笑っている。

 

 桐生は胸に手を当てて小さく深呼吸し、そして、


「……柏崎君は、今年の文化祭はどのプログラムに参加するの?」

「……文化祭?」


 非リアな俺にとってすっかり忘却の彼方にあったワードが、彼女の口から飛び出して来るのだった。

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