第4話⑭ そして再び学校生活へ

 こうしてようやく、俺たちはブラックキャットまで帰ってきた。すっかり日は沈んでいて、店の前の夜道にはすっかり街路灯が点いている。


「悠斗、今日は本当にありがと!」


 エリスは小走りで俺の前に出ると、くるりと向き直り、小さく微笑む。街路の明かりが、ちょうどスポットライトのように彼女を照らした。

 その表情にもう涙はない。すっかりいつものエリスに戻っている。


「お、おう……」


 だが、俺の心臓の鼓動はまったく治まっていなかった。さっきの彼女からの唐突なハグは、俺の心を激しく揺さぶるには十分すぎた。

 しかし、エリスはそのことには何も触れてこない。やはり、あのくらいのスキンシップは、彼女からすれば大したことじゃないんだろうか。

 ……何だか、それは嫌だな。

 そんな俺の動揺を知ってか知らずか、エリスは俺の様子を窺うように顔を覗き込んできた。またしても心臓が早鐘を打ち始める。


「ねえ悠斗」

「ひゃ、ひゃい!? な、何だよ?」


 エリスは「どうしちゃったの、悠斗?」とクスクス笑い、言った。


「明日から、学校に二人で行こうよ」

「え?」

「だからさ、一緒に通学しよう? 朝、ここで待ち合わせして、一緒に通学路を歩くの」

「えっと……いや、でもそれは……」

「……嫌なの? 遠慮しなくていいって言ったの、悠斗なのに」


 エリスにしては珍しく、うるうると小悪魔っぽい演技で泣き落としにかかってきた。……さっきといい、甘えるってこういうことなの?

 俺は頭をガシガシと掻く。


「……もちろん、俺は嫌じゃないんだけどさ。その……何度か言ったけど、俺は学校では弱い立場だから。俺と一緒にいるだけで変な目で見られたり、バカにされたりするかもしれない。エリスがキツい思いをするかもしれないんだよ」


 我ながら情けない返事だと思う。でも、エリスにとってあまりいいことにはならないのは確かだ。日本の学校とはそういう場所だから。そして、それは『エリスに学校生活を楽しんでもらう』という当初の約束を破ることになる。

 だが、エリスは大きくかぶりを振り、


「そんなの、どっちでもいいよ」


 と、強い口調で俺の言葉を否定する。そして、俺が忘れていた、重要な事実を口にした。


「だって、わたしが悠斗と一緒にいられるの、あとたったの1年なんだよ?」


 ……あ。


「だったら、その間に少しでも思い出、作りたいよ。一緒に学校に通って、もっとたくさんお話して、遊んだりしたいよ」


 切々と彼女は訴える。さっきまでのからかいの表情は欠片もない。

 エリスはきゅっとその手を握った。


「今日、おばあちゃんたちの話を聞いてたら、そういう何気ない日々が大切だったんだなって思ったの。だから、わたしも悠斗とそんな毎日を過ごしたい。……時間は限られてるから」

「…………」


 ……そうだった。エリスと一緒に過ごせるのも、あと1年なんだ。


 一週間前までの俺だったら、「まだ1年もある」と思っただろう。

 だが、今日の俺はもう、エリスと同じく、と思っている。そのくらい、この数日の間に俺のエリスへの心境は変わってしまっていた。


 じゃあ、1年後の俺は、どうするのだろうか。どうなっているのだろうか。

 もともと非リアでぼっちな俺は、人間関係にはドライだ。小学校も中学校も、卒業式で泣いたことなんかない。同級生が転校しても、担任の先生が退職しても、本当の意味で寂しくなったこともない。


 だが、今度ばかりはわからない。いざエリスが故郷に帰るその時を迎えた時、俺は自分がどうなるのか、まったく想像がつかない。

 笑って送り出すだろうか。泣いて引き止めるだろうか。

 こんなものだとさっぱり割り切るだろうか。辛くていつまでも引きずるだろうか。


 冷静に考えれば、エリスが帰国した後も、今生の別れになるとは限らない。今時、SNSやらリモート通話やら、海外にいる人間とつながる方法などいくらでもある。ましてや、エリスは祖父が日本人だ。長い休暇の度に顔を合わせる、なんてことも充分できるだろう。


 だけど。それでも。


 今は、この時は、一言でも、一文字でも多く、エリスと言葉を交わしたかった。一秒でも長く、彼女の声を聞いていたかった。一回でも多く、彼女の笑顔を目に焼き付けておきたかった。

 それに、「どうせいつか離れ離れになるなら、これ以上仲良くするのはやめておこう」と、いつもなら陥る根暗な思考にもまったくならなかった。


 ……やばいな。自分ではずっと淡泊だと思っていたけれど、俺、実はめちゃくちゃ重くて、女々しい男なのかもしれない。


 だが、それに気づいてしまえば、答えは簡単だった。


「……そうだな。ごめん、俺が悪かった。……じゃあ、明日から8時にここ集合でいいか?」

「うん!」

「エリスから言い出したんだから、寝坊はするなよ? 美夏さんから聞いてるぞ。エリス、朝弱いんだって?」

「うっ、それは……。で、でも頑張るよ!」


 こうして、俺とエリスの間にまた一つ、約束が積み重ねられていく。


 エリスが日本を去るまで、あと11カ月―――――。


                              

第2章へ続く

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