第4話⑬ 二つの宝石、二人の気持ち
「『二つの大切な宝石と共に――――』か」
俺は、エリスのおじいさんが残したメッセージを読み上げる。
女将さんの思い出話の通り、どうやら真宮寺さんは日本人らしい、遠回しな表現を好む人だったようだ。……それにしちゃあ、ちょっとキザな感じな気がするけど。
エリスはこめかみに指を当て、ぷすぷすと頭から煙が出ているような表情で言った。
「”二つの宝石”って何なんだろ……。あっ、結婚指輪とか!?」
「まあ、それもなくはなさそうだけど……それじゃ、“共に”とは言わないんじゃないか?」
「うーん、そっか。じゃあ、悠斗はおじいちゃんが何を言いたかったのかわかるの?」
「……まあ、想像はつくな」
「ホント!?」
「ああ」
エリスがキラキラした、期待のこもった瞳で俺を見る。う、眩しい……。二重三重の意味で。
……ま、まあ、あんまりもったいぶるような話でもない。
ただ、一つだけ事前に確認しておこう。
「エリスのおばあさんは……この後すぐに故郷に帰ったんだよな?」
「う、うん……。おじいちゃんとは半年くらいしか一緒に暮らせなかったって言ってたから」
ならば間違いないだろう。
俺は簡潔に答える。
「だったら答えは一つだ。その“二つの大切な宝石”ってのは、エリスのおばあさんと……お母さんのことだろ」
「あっ……」
エリスはハッとしたように目を見開く。
“宝石”なんて例え、まず間違いなく自分にとって一番大切なもの……つまりは、妻とその身に宿していたお子さんのことだろう。
ただ、こういう比喩は日本人より、むしろ外国の人のほうが好みそうな気はしたが……。まあ、例えば俺が「Two treasures」とか「Two diamonds」とか聞いてもピンとこなかっただろうし、エリスが思い至らなかったのも無理はないのかもしれないが。
「エリスは、おばあさんが故郷に帰ってからお母さんを妊娠してるのがわかったって言ってたけど……もうこの時には、二人とも子どもがいることは知ってたんじゃないかな」
真宮寺さんの“共に”という言葉がそれを裏付けているし、このあとすぐにプロポーズしたのも頷ける。……それがうまく伝わらなかったのはご愛嬌ということで。
ひょっとしたら、エリスのおじいさんがこの後ずっと独身だったのも、これが理由だったのかもな。
「おじいちゃん……。そうだったんだ……」
エリスは感極まった表情で、再び仲睦まじげに寄り添う真宮寺夫妻を見つめる。その目にはかすかに目に光るものが見えた。
……よかったな、エリス。
俺は女将さんに向き直り、頭を下げた。
「今日は……ありがとうございました。彼女もここに来れて嬉しかったと思います」
「いやあ、構わないさ。こういうのも学生街で長く店をやる醍醐味だしね。それよりも……」
「? 何ですか?」
「あんたたちも、一枚どうだい?」
ニカっと笑う女将さんの後ろで、店主さんが大きなカメラを淡々と構えていた。
×××
「悠斗! 今日は楽しかったね!」
「……ああ、そうだな」
あの後、恥ずかしながらも店主さんに写真を撮影してもらった俺たちは、そのまま帰りに池袋に寄り、買い物やらゲーセンやらで散財した後、こうして庄本駅に戻ってきていた。駅のロータリーへ出ると、すっかり辺りは薄暗くなっている。何だかんだで遊び倒してしまった一日だったらしい。
(なんつーか、普通のデートだったな……。いや、普通のデートって全然知らねえけど)
ただ、屈託なく笑うエリスを見ると、少なくとも失敗ではなかったようだ。俺という人間のスペックやコミュ力の低さからしたら、上々すぎる結果だろう。まあ、俺がうまくやったなんてことはまったくなく、何を見ても楽しそうにしてくれるエリスのおかげでしかないのだが。
「えへへ、こういう写真もいいよね」
エリスは店主さんが撮影してくれた写真を嬉しそうに眺める。
店主さんが持っていたのは、レトロなポラロイドカメラだった。その場で現像された写真を、エリスと俺の二枚分、すぐに渡してくれた。デジカメやスマホにはない、アナログらしい温かみのある色合いだ。
「でも悠斗、ちょっと緊張しすぎじゃない? おじいちゃんと同じような顔になってるよ」
「……しょうがないだろ。慣れてないんだから」
エリスの苦笑いに、俺はふんと顔を逸らす。
陰キャはそもそも写真が苦手なのだ。学校の集合写真なんかも、隅っこに自然と隠れてしまう。実際、俺は中学の卒業アルバムにだって、まともに写っている写真などない。
……それに、エリスみたいな美少女と一緒に写真を撮るなんて、緊張するに決まっている。エリスは俺に肩をぶつけてくるくらい接近してくるし。身体は柔らかいやら、いい匂いはするやらで、シャッターが切られたときの記憶はすでに曖昧だ。
「ま、まあ俺のことはいいじゃんか。それよりも……よかったな。その、おばあさんたちに会えて、さ」
「……うん、そうだね。二人の写真も撮らせてもらったし」
エリスは、祖父母の写真が保存されたスマホに優しい眼差しを送る。
女将さんたちは最初、「二人のお孫さんだっていうなら、この写真はあげるよ」と提案してくれたのだが、エリスはそれを断った。その気持ちは何となくわかる。おばあさんたちの大切な思い出に、土足で踏み入るような気分になってしまったのだろう。
その代わり、おばあさんたちの写真は、エリスのスマホのカメラで撮らせてもらうことにした。昔のレトロな写真を、最新のデジタル技術でそのまま撮り直す工程は、やけにアンバランスで少し笑ってしまった。
まあそれはともかく、今日は万々歳な一日と相成ったわけだ。
「悠斗、今日は本当にありがとう! 悠斗のおかげで、おばあちゃんたちのこと、もっとたくさん知れたよ!」
エリスは満面の笑みを見せる。もう幾度目かはわからないが、俺はただただ彼女に見惚れる。言葉を重ねる必要はない。シンプルに綺麗だった。
「いや、俺は何もしてないさ。それより……」
そして、彼女のその微笑みは俺には眩しくて、温かくて……少しだけ痛かった。
「俺のほうこそ、ありがとな」
「え?」
エリスは、「ど、どうしたの? な、何で悠斗が?」と困惑している。
だが、別に驚くようなことじゃない。
「さっきの留学生の人たちとか、エリスのおばあさんたちの話を聞いて、改めて思ったんだ。やっぱり、国が違う人間同士のコミュニケーションって、そんなに簡単じゃないって。でもこの1カ月、俺はエリスと接してて、あんまりそういう風には感じなかった。最初はエリスが日本の言葉や文化に堪能だからだと思ってたけど、それだけじゃなかったんだよな」
エリスの透き通った瞳が、何度も瞬く。
「エリスは、俺たち……いや、俺にたくさん気を遣ってくれてたんだろ? エリスから見たら意味がわからなかったり、もどかしかったりすることもたくさんあったんだよな?」
「……!」
「俺は日本人の中でさえ表情は乏しいし、日本語でさえうまく感情を伝えられない。性格だって暗いし、ひねくれてるしな。でも、エリスはそんな俺にも辛抱強く接してくれたから、俺はエリスと仲良くなれた。だから……」
俺はそこで息を大きく吐き、言った。
「ありがとう、エリス」
エリスのその長い睫毛が揺れた気がした。
「俺はこんな性格だから、これからもエリスには伝えきれなかったり、物足りなかったりすることもたくさんあると思う。だから、もしエリスがそう思ったら、遠慮しなくていいからさ。その……エリスのおばあさんみたいに」
コミュニケーションの負担を、片方が一方的に押しつけられたり、我慢させられたりする関係が長続きするはずがない。かつての俺と桐生がそうだった。俺はこれまでずっと、そうやって間違えてきた。
でも、これだけ優しい彼女に、同じ思いをさせたくはない。とはいえ、日本で生活していく以上、エリスが自分を抑えないといけない場面は、どうしたって多く遭遇してしまう。……だからこそ、少なくとも、俺だけは。
「悠斗……」
エリスの瞳に涙が溜まっていく。
そんなエリスを見ていたら、「……なんだ、もっと簡単な言葉があるじゃないか」と気づく。
俺は言った。
「エリス。俺には気なんか遣わなくていい。もっと甘えてくれていいんだ」
まったく俺らしくもない、気障な台詞を。
「悠斗……!」
はらはらとエリスの頬に雫が流れ落ちていく。あの夕日の日より、もっと大きな涙が。
「って、さすがにカッコつけすぎだな、はは……」
エリスの泣き顔を見ていられなくて、そんな冗談ともつかない言葉を口にする。
しかし、エリスは小さく左右に振ると、涙の中にも明るい笑みを見せてくれた。
「……そんなことない。だって、悠斗はまたわたしを助けてくれたよ?」
そこでエリスは、涙をしっかりと拭うと、俺の目の前に近づいてくる。彼我の距離は数十センチもない。
すると、エリスはこてんとその頭を俺の胸元に預けてきた。
「……へ? えっと……エ、エリス?」
一瞬、理解が及ばなかった。俺は石像のように硬直してしまう。その柔らかな金色の髪が俺の胸をくすぐった。
「……悠斗、今言ってくれたよ。甘えて、いいんだよね?」
「い、いや……それは、あくまでコミュニケーションの話で、こういう意味で言ったんじゃ」
「……もうダメだよ。遅いんだから。それに、ハグはわたしたちの国じゃ立派なコミュニケーションなんだよ? 悠斗、わたしたちのやり方にも合わせてくれるんでしょ?」
「うっ……」
エリスはいつもとは違う、幼気な声音で言うと、俺のシャツをきゅっとつかんだ。……そう言われてしまうと返す言葉がない。
「……ちょっとだけ、だぞ」
「……うん」
エリスはそのとき、かすかな声で何かをつぶやいた気がした―――――。
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