第4話⑫ やっぱり日本語は難しい

「あんたの顔を見てピーンと来たよ。そりゃ大学に外国の子がいること自体は珍しくないけど、嬢ちゃんほどの美人のそっくりさんはそうそういないからねえ」


「この人がエリスのおばあさん……」


 確かに、エリスに瓜二つといっていいほど似ている。モノクロの写真だから髪や目の色こそはっきりしないが、その流れるような長い髪、整った目鼻立ちが、エリスのそれと極めて重なる。それでいて、成人した女性の落ち着いた雰囲気も併せ持っていた。タイムマシンに乗って数年後のエリスを目撃したかのような錯覚に陥る。

 ……いやまあ、さっきの数年前の写真もあんま変わんないじゃん、というツッコミもあるにはあるが……。


 そして、隣にいるエリスのおじいさんこと真宮寺昭一さん。正装のスーツ姿で卒業証書を手にしていることから、彼の卒業式の時に撮影されたもののようだ。

 ただ、柔和な笑顔を見せているエリスのおばあさんに比べると、表情が真顔だ。エリスの言う通り、真面目で堅物な人物だった様子がうかがえる。


「……でもどうしてこんな写真が?」


 セピア色の写真にじっと見入っているエリスに代わり、俺が女将さんに尋ねる。


「うちの旦那は昔からカメラが趣味でねえ。ちょうどこの頃、ウチに来てくれてた学生たちに写真を撮ってくれるようにせがまれてさ。いつからか、卒業の時期にはこうして写真屋の真似事をするようになったのさ。当時はカメラも高くて学生が買えるような代物じゃなかったしね」

 

「なるほど」と俺は納得する。パソコンもスマホもデジカメもなく、簡単に記録を残せなかったこの時代。取っておきたい学校生活の思い出などほとんどない俺みたいなひねくれ者はともかく、当時の青春を謳歌していた者からすれば、こうして形の残る写真というものは、さそがし新鮮に映ったに違いない。


「このあと、おばあちゃんたちは離れ離れになっちゃったんだ……」

 

 ふと、写真を見つめたままのエリスが言った。


「……そうなのか?」

「……うん。おばあちゃんが国に連れ返されたのは、大学を卒業したおじいちゃんが『一緒に暮らそう』ってプロポーズしてくれたすぐ後のことだったらしいから」

「…………」

「……おばあちゃん、最初はプロポーズってわからなくて、『うん、いいよ』って普通に答えちゃって、オーケーをもらえたって勘違いしたおじいちゃんとケンカになったって言ってた」


 エリスは懐かしそうに笑う。

 

「ははっ。なんかまさに国際カップル、って感じの喧嘩の理由だな」


『一緒に暮らそう』……か。

 今や結婚前どころか付き合っている段階でも同棲なんか当たり前だし、海外では事実婚なんかもとっくに市民権を得ていると聞く。現代では、プロポーズとしてはかなり弱い口説き文句だろう。

 だが、こういう婉曲的な表現もまた、趣きや奥ゆかしさがあって俺はいいと思う。直接的な表現が苦手な俺からすれば、むしろ真似したいくらいである。……まあ、俺の人生にそのチャンスがあるかはまったく別問題だが。というか、ない可能性が大だけど。


 エリスは切なげに吐息をつき、愛おしそうに二人の姿をそっと撫でる。すると、もう時が経ちすぎて粘着力が落ちていたのか、写真がはらりと風に舞って床に落ちた。俺は静かにそれを拾い上げる。


「あ、ごめんね。悠斗」

「いや、大丈夫だ。……ん?」

「どうしたの?」

「いや、写真の裏側に何か書いてある。これは……」


 英語……じゃないな。アルファベットの羅列ではあるが、単語のつづりが英語とはまったく違う。よく見ると、英語には存在しないアルファベットも含まれている。間違いなくエリスの国の言語だ。

 それとは別に、日本語でも短い一文が添えられていた。こっちはエリスのおじいさんか。


「ほら。これ、エリスのおばあさんが書いたものじゃないか?」


 俺がそれを見せると、エリスは「うん」と首肯した。

 

「そうだね。これおばあちゃんの字だと思う」

「なんて書いてあるんだ?」

「えっと……日本語っぽく訳すなら、『大好きな彼とずーっとラブラブでいられますように!』とかかな?」


 ……は?


「……何その訳? 急にロマンチックさが欠片もなくなったんだけど」


 いやまあ、写真の内容からして、その手のことが書いてあるんだろうとは思ったけど。だとしても、あまりにも俗っぽくてチープだし、色々と台無しなことこのうえない。だが、エリスも納得できないらしく反論してくる。


「……悠斗こそなんで? 彼とかラブとか、クラスの女の子たちがよく使ってるし、日本のドラマや音楽やアニメとかでもたくさん見るよ?」

「いや、まあそうなんだけどさあ……。こういう時はもうちょっと風情というか、余韻というか……えっと、しみじみとした表現じゃないとさ。例えばだけど、『大切な人といつまでも』とか」 

 

 おっ、我ながら結構いい表現じゃないか? 真岡あたりにも良い採点をしてもらえるような気がする。……いや、ないか。「似合わねーな」と真顔で切り捨てられそう。


「えー、それじゃ何も伝わらないよ。『大切』とか、恋人相手じゃなくても使えるよね。それに『いつまでも』”どうする”のかわかんないし」

「そこを言い切りすぎないから、想像の余地があっていいんじゃないか。これこそが、さっきエリスが言ってた“わびさび”ってやつだぞ」

「……日本語、やっぱり難しいよ……」


 エリスは頭を抱える。すると、俺たちのやりとりをずっと見ていた女将さんが、突然「くくっ」と笑い出した。


「ど、どうしたんですか?」

「あ、いやあ、ごめんごめん。あんたたちのやり取りを見て思い出したんだけど、その二人もよくそういうことで喧嘩してたなと思ってさ」

「「え?」」

「『先生は日本語の奥ゆかしさがわかってない! 男はあれこれ喋るもんじゃない!』とか、『そういう君は、もっと言葉を言わないと相手に何も伝わらないよ! そんなんじゃ女性は不安になるだけ!』とかね。一気に記憶が蘇ってきたよ」


 まだお腹を抱えて笑い転げている女将さんを見て、俺とエリスはふと目を見合わせる。だが、次第に恥ずかしくなって、お互いに視線を逸らした。

 ……別に俺たちは喧嘩してるわけじゃないし、俺はエリスのおじいさんのように、自分の言葉足らずな部分を正当化しようとしたこともない。

 ……ただ、やっぱり同じようなすれ違いはあったんだな、といたたまれなくなる。『言ってくれなきゃわからないよ』とエリスに言われた時のことと、どうしても重ね合わせてしまう。


「え、えっと……じゃあ、おじいちゃんは何て書いたのかな?」


 エリスも似たような心境だったのか、慌てて写真に再び目を落とす。だが、すぐにその頬の赤みは消え、やがて「うーん」と唸り出した。


「悠斗……。やっぱり日本語って難しいよ……」


 そして観念したように、写真を差し出してくる。


 そこにはこう書かれていた。


『二つの大切な宝石と共に――――』と。

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