第4話⑦ デート(中盤戦)

「へー、これが例の講堂なんだな」


 そのまま大通りを抜けて正門に回った俺たちは、この大学の象徴ともいうべき講堂を眺める。

 こういう建物を見ると、いかにも大学、という感じがする。我ながらボキャブラリーに乏しい感想だが。

 しかし、いくら有名な建築物とはいえ、あくまで講堂というお堅い建物だし、あんまり特別な感慨は湧いてこない。俺には知識も美術センスも無機物属性もない。

 だが、エリスは違うようで、「わあ」と感嘆の声を上げた。


「わたしは学校っていうと、こういうほうがしっくりくるなあ。ちょっと国に帰ってきたみたいな感じ」

「確かに、日本の古い大学は洋風な建物が多い気がするな。あくまでイメージだけど」


 まあ、江戸時代後期以降の偉い人たちが欧米に留学し、その影響受けて作ったんだから、当然と言えば当然なんだろうけど。


 エリスはたっと駆け出して講堂の目の前に立つと、こちらに振り返って手を大きく広げた。いかにも外国人的な大きなジェスチャーだ。

 

「おばあちゃんたち、ここでよく待ち合わせして、それからデートしてたんだって!」


 エリスは目を輝かせて言った。


「ほーん、そうなのか」


 確かに周りを見渡すと、ちょうどゴールデンウイークなためか、休校にもかかわらず、講堂の周辺では、サークルやら何らかのグループやらが集合場所としているようだった。「○○サークルはここです!」なんてプラカードもいくつか見える。


 時期が時期だし、おそらく新歓コンパの集まりとかなんだろう。俺、ああいうところに入れる気がまったくしねェ……。これでもかというくらい輪に入れない自信がある。勇気を出して参加してみても、ロクに会話に混じることができず、家に帰った後に「死にたい……」とベッドで悶絶する未来しか見えない。


 よく観察すると、集まっている新入生らしき学生たちも、その様子には温度差が見える。オシャレな格好をし、合コンみたいなノリで男女楽しく盛り上がっている連中もいれば、何となく手持ちぶさたになってスマホをいじったり、仲良さそうにしているメンバーの様子を窺ったりしている奴らもいる。心なしか、後者は俺に近いアトモスフィアを醸し出している気がする……。ちなみに、そういう連中は男ばかりだった。


 わずか二年後の自分を未来視しているような気分になって、胸が苦しくなる。なお、ここでの苦しさとは、切なさや甘さみたいな青春的なものは一切含まれない。本当にただただ心が痛いだけである。


 どうして、ここまで来てこんな気分にならなきゃいけねえんだ……。

 と世の不条理さを嘆いていると、俺の視線の先にいたぼっち気味の男子学生に、ギロリとなぜか突然睨まれた。

 え? な、何で? 俺、あなたたちに同情と共感を覚えていたんですけど……?


「悠斗、どうしたの? ぼーっとして」


 心ここにあらずな俺を心配してか、エリスが俺の顔を覗き込んでくる。いつも通り、距離が近い。その小顔を「ん?」と可愛らしく傾ける。そのパールで彩られた形の良い唇に目を奪われてしまう。


 すると、その男子学生の眼光がさらに鋭くなった。悪意どころか殺意さえ感じる眼差しである。よく見ると、ほかにも同様の視線がいくつも俺に向けられていた。なかには、露骨に舌打ちする学生もいる。


 そこでようやく、その理由に気づく。

 そ、そうか……、今の俺、妬まれてんのか……。


 確かに、この超絶美少女であるエリスと一緒にいる男を見れば、嫉妬と僻みのエネルギーが極限まで高まっても仕方がない。元気玉ならず嫉妬玉が作れるだろう。俺だってそうする。間違いなくそうする。

 

 い、いや、違うんですよ、これには色々と事情があって……。

 と大声で周囲に言い訳しそうになるが、当然そんなことはできない。自分が嫉妬を受ける側になることなど想像したこともなかったが、これはこれで相当に居心地が悪い。


 でもつい先週、エリスとショッピングモールに行ったときは、彼女の美しさにはたくさんの視線が注がれたが、そのヘイトが俺に向くことはなかった。釣り合わなさすぎて、俺が付き人やおまけにくらいにしか見えなかったのだろう。


 じゃあ今日は……?

 ということは、たったこの一週間程度の間に、俺とエリスの距離感も変わったのだろうか? 周囲から勘違いされるくらいには“そう見える”ということだろうか?


 ……ええい、よせ。このことは今はこれ以上考えるな。ドツボで底なし沼に嵌るだけだ。

 俺は必死に頭を切り替える。

 

「……い、いや、何でもない。そ、それよりエリス、せっかくだし、ちょっと聞いてもいいか?」

「うん、なあに?」

「エリスのおばあさんって何でこの大学にいたんだ? エリスみたいに留学してたのか?」

 

 その当時に、日本の大学に北欧の人を受け入れる土壌があったのかは知らないが。

 だが、俺の推測に、エリスは「ううん」と首を振る。


「おばあちゃん、そのときはこの大学の外国語の講師として働いてたんだって。とはいっても、正規の教員とかじゃなかったらしいんだけど。うちの学校でいうエマ先生みたいな? 今でいうチューターに近いのかも」

「なるほど」


 エマ先生とは、うちの学校のスピーキングを担当するイギリス出身の女性講師である。他の仕事をするなかで、うちでも授業をしてくれているフリーの英語講師だ。


「それで、ここで出会ったってことは、エリスのおじいさんも大学の講師だったとか?」


 職場恋愛なら、当時でも普通だったのではないだろうか。

 俺のさらなる問いに、エリスはまたしても「違うよ」と否定した。


「おじいちゃんは、その時のおばあちゃんの教え子だったんだって。おばあちゃんのほうが三つ年上なんだよ」

「はあ!?」


 俺は思わず声を上げてしまった。エリスは「何でそんなに驚くの?」と首を捻っている。


「じゃ、じゃあエリスのおじいさんは、学校の先生に手を出したってことか……?」


 これはやはり、エリスのおじいさんは相当なチャラ男……じゃなかった、プレイボーイ(当時的な表現に変換)だったのでは……。

 今のエリスを大人にしたような美人の外国語講師とか、俺だったら外国語どころか、日本語での会話さえ不自由になること請け合いである。

 そんな人を落とすとか、どんだけだよ。年上の外国人女性とあれやこれやがあった大学生活とか、それなんてエロゲ……じゃなかった、一昔前の文学小説のような展開だ。


「……手を出す? 手?」


 エリスは婉曲的な日本語の慣用表現にピンとこなかったようで、自分のその綺麗な手をためつすがめつ眺めている。……ここは意味が通じなくてよかった。

 そこでエリスは「あっ、そうだった」とポンと手を叩いた。


「二人の写真がここにあるよ」

「は?」


 そう言うとエリスはバッグからスマホを取り出し、画面をフリックさせていく。


「もちろん、今……っていうか、数年前の二人だけどね。日本で再会した後にここにまた二人で来たんだって」

「ああ、そういうことか」


 とはいえ、ここですぐにデジタルデータが出てくるなんて、ちょっとずっこけそうになってしまった。何だか風情というか、ロマンに欠ける気がするぞ。ローマの休日(実際に観たことはない)みたいな話だと思ってたのに。


「ほら、この二人だよ」


 エリスはスマホの画面を俺に見せようと身を寄せてきた。そのおとぎ話にでも登場しそうな黄金色の髪と宝石のような紺碧の瞳。そして透き通るような乳白色の肌。その美しさに、俺の心臓は嫌というくらい悲鳴を上げていた。同じような表現をもう何度も繰り返している気がするが、何度だってそう思ってしまうんだから仕方ない。


「……エリス、ちょっと借りていいか? 逆光で見えん」

「あ、ごめんね。……はい、どうぞ!」


 俺はエリスが差し出してきたスマホを受け取った。……うん、このままじゃ心臓麻痺で命が危ないからね、俺。

 どれどれ……。


「ん?」

「どうしたの?」

「これ、エリスのおばあさん写ってなくないか?」


 エリスのスマホの画面を見ると、そこには二人組の男性と女性が写っていた。男性のほうは老齢の日本人だ。俺のじいちゃんより少し若いくらいだろうか。どことなくマスターに顔立ちが似ている気もする。ということは、この人がエリスのおじいさんの真宮寺さんだろう。


 その隣にいるのは、エリスと同じ金色の髪を携えた女性。エリスにとてもよく似ている。だが、その外見は皺ひとつ見えず、四十代……いや、三十代くらいにしか見えない。


 エリスは「あれ、わたし写真間違えたかな?」とスマホを覗き込む。


「ってなあんだ。ちゃんと写ってるじゃない」


 エリスはそう言って笑みを浮かべると、そのミドルな美人女性を指差す。

 俺は「えっ」と一瞬放心し、目を数度瞬きしてみる。もちろん、その美しさも若々しさも変わらない。


 なん……だと……?

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