第4話② 真岡葵 その2
今から遡ること半年前。確かクリスマスの直前くらいのことだったと思う。
俺がようやくブラックキャットでの仕事に慣れ始めた頃、俺と真岡はこの店で出会った。
そもそも、俺がブラックキャットでバイトをするようになったのは、高校に入学して以降、部活にも入らず友達とも遊ばず、家と学校をただ往復するだけのぼっち生活をしていた俺を見かねて、マスターと美夏さんに「ウチで働かないか?」と誘われたのがきっかけだった。
最初は、俺のような根暗に接客の仕事なんて「絶対無理!」と拒否していたのだが、「このままじゃあんた一生ニートだよ!」と、美夏さんに半ば強引に腕を引っ張られる形で働くことになったのだ。
真岡がうちの店に初めてやってきたその日、彼女はやたらとプロットとかストーリーだとかを、頭を抱えながらルーズリーフに殴り書きしていた。
ブラックキャットは、いわゆる昭和のレトロな雰囲気を漂わせた純喫茶で、コーヒーの値段もそれなりだ。だから高校生の客は少なく、たまに背伸びしたカップルがやってくるくらいだった。
そんな店に、うちの高校の制服を着た黒髪の美少女が一人でやってきたものだから、俺としてはかなり印象に残っていた。
そして、小説なんて作られた話を書こうとするような人間だからなのか、真岡はそのメモを店に置き忘れるという、実にベタな失敗をやらかしたのだ。
次の日、顔面を蒼白にした真岡が店にやってきて、保管しておいたそのメモを俺が返すなり「……読んだ?」と殺し屋みたいな目で睨まれ、背筋が震えたのを覚えている。
だが、俺も落とし物として誰のものかチェックするために、どうしても中身に目を通すしかなく、「申し訳ございません」と正直に言うしかなかった。
そのとき、真岡は「確か、おまえって同じ学校のヤツだったよな」と、どういうわけか俺の存在を認識していて、「誰にも言うなよ? 言ったらマジで息の根止めるから」と物騒な殺害予告をしてきた。
そして、俺も俺でスレている陰キャゆえに、「いや、絶対に言わない。そもそも言う相手がいないし」と痛々しい答えを返していた。すると真岡は、
「へえ、あんたも同類なんだ」
と言った。少しだけ嬉しそうだった。
それから、俺たちはたまに店で会話をするようになった。真岡も、じっくりと誰にも邪魔されずに作業できる場所に出会えたのだろう、ブラックキャットに顔を出す頻度が増えた。
そしてある日、俺は真岡が忘れていったメモの内容を思い出しつつ、ネットで検索をかけた。真岡は文芸部に所属しているようではなかったから、ネットにアップでもしているのではと思い至ったのだ。
結果はビンゴだった。
真岡は大手の小説サイトに自分の小説を投稿していた(ペンネームがひねりのないものだったからすぐにわかった)。
ジャンルは、まあメモを見てしまっていたのだからわかってはいたのだが、真岡葵の普段のイメージとは似つかない、青春恋愛ものだった。
しかも、主人公の少女と同級生の男子との出会いと別れ、そして再会までを描いた王道ロマンスな内容だった。
正直、非リアな俺には精神ダメージばかりが残りそうなストーリーだなと思いつつ、顔を知る人間が書いた小説がどんなものかという興味が勝り、期待半分、恐怖半分で読み始めた。
結論から言えば、ものすごく引き込まれた。
その時点で掲載されていたのは、主人公とヒーローが互いを好きになるまでの序盤だけだったが、どちらのキャラクターにも感情移入しやすく、あっという間に読み終わってしまった。
特に、女子が書いたわりには、主人公の恋人になる男キャラの造形がうまいと思った。
たまに琴音が持っている少女漫画なんかに目を通すと、「こんな都合のいい男いねーよ(笑)」となって続きを読む気がなくってしまうパターンが多い。(これは逆もまた然り(というか男性向けの作品のほうが顕著だろう)なので、これ以上の言及は避けよう。)
だが、真岡の書いたヒーローは適度に人間臭く、悩みも根暗な性格の俺にも共感できる部分が多々あった。
それから、文章も俺好みだった。
例えばだが、
『僕たちはその頃まだ子どもで、互いを傷つけあった。罪を重ねた―――』
とか、
『ねえ、教室の黄昏時に君は今何をしているのかな?』(ヒロイン)
『いい質問だね。でも、君には今の僕が裸踊りでもしているようにでも見えるのかな?』(主人公)
みたいな、青春小説にありがちな表現や会話に俺はアレルギーを起こすタイプだが、真岡の書く文章は胸やけすることなく、すんなり頭に入ってくる。それでいて、時折グサリと胸を突き刺すような一文を差し込んでくる。
とまあ、長々と語ってしまったが、要するに俺は、一気に真岡葵という作家の卵のファンになってしまったということだ。
俺は真岡の作品を読み終えるなり、躊躇いながらも感想のコメントを書いた。
まだ、その頃の真岡は投稿を始めたばかりだったらしく、感想どころか閲覧者さえほとんどいない状況だった。
つまり、彼女にとって、自分の小説に初めて感想をくれた読者が俺なのだ。
それからも、俺は真岡が小説を更新するたび、評価や感想を送った。
ただ、そうしたのは、身近な人間の作品だから応援したいという気持ちよりも、単純に内容が面白かったから、という理由のほうが大きい。
次第に真岡の作品の人気が出てきて、さらに普段の会話の中で、俺が真岡の作品を読んでいることが何となく伝わっても、真岡が「あたしの作品どう思う?」とか「あの感想はおまえか?」聞いてくることもなかったし、俺も直接「読んでる」「面白かった」と彼女に言うこともなかった。
何となく、互いに示しあうことなく不可侵の境界線を引き、真岡も俺もそれを守ってきた。
単に照れ臭かったのかもしれないし、プライバシーに踏み込まれたくなかったのかもしれないし、このちょっと歪で秘密めいたやりとりを楽しんでいたのかもしれない。
しかし、たった今、その不可侵条約は破棄されたのだ。
俺がもう一度、「でも本当に良かったな」と伝えると、真岡ははにかんだ笑みを浮かべる。珍しい表情だった。
「ありがと、柏崎。……でも、それだけ喜んでくれたならもっと早く教えてあげればよかったかな」
「いや、いいさ。こういうのも悪くないだろ」
「……うん、そうだな」
真岡はそう言うと、顔をわずかに伏せる。それきり彼女は無言になってしまい、何となくいたたまれないような、それでいてどこかむず痒いような雰囲気が俺たちを包んだ。
俺も微妙に気まずくなり、少し距離を取りつつ視線を逸らす。すると、
「悠斗――――!」
すっかり耳に馴染みつつあるソプラノボイスとともに、エリスが笑顔で手を振りつつやってきた。
俺はホッと肩を力を抜く。
元々、今日はエリスにどう接しようか悩んでいたはずだが、今はエリスの明るさがこの妙な空気を振り払ってくれるだろうと思ったのだ。
俺も小さく手を上げると、エリスは俺の目の前までやってくる。
「おはよう、エリス」
「おはよう悠斗! 待った?」
「いや、ちょっと前に着いたところだ。時間ぴったりだし気にするな」
「うん、ありがと。えへへ、日本だとこういうの、”お約束”って言うんだ――――」
しかし、なぜかエリスはそこで言葉を飲み込んだ。その視線は俺の背後に向けられている。
その先には、いつのまにか伏せていた顔を上げ、やけに熱っぽい(気がする)眼差しをこちらへ向けている真岡がいた。
それを見たエリスは、
「ねえ、悠斗。これってどういうことかなー?」
いつもの柔らかさは欠片もない、明らかに怒気をまとった迫力のある笑顔を、俺に向けてくるのだった。
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