第4話① デート(前哨戦)

 今日は暑くなりそうだ――――。

 強い太陽の光を手で遮りつつ、俺は駅に向かって歩を進める。

 辺りを見渡せば、街の街路樹たちもすっかり新緑へと色を変えており、空を見上げれば、雲一つない抜けるような青空が広がっていた。まさに五月晴れ。着々と夏の足音が近づいている。


 エリスとの待ち合わせ場所である改札前に着き、腕時計に目をやると8時50分。約束の9時の10分前。まだエリスは来ていないようだった。


 ふむ、ちょうどいい時間に着いたな。


 よくドラマやアニメのカップルが「楽しみすぎて一時間も前に着いちゃったー!」とか「待ってる間も楽しかったよー」なんてやってるが、現実にそんなことをする奴はいないだろう。待つほうは時間を持て余すうえに緊張感ばかりが高まってしまうし、待たせたほうは恐縮するか、「重っ……気合入れすぎ」と引いてしまう。


 いや、実のところは俺も、1時間前にはこの辺りまで来てしまっていたのだが、コンビニで漫画を読んだり、カフェで時間をつぶしたりして今に至る。重要なのは、“待ち合わせ場所には早く行き過ぎない”ということだ。力が入りすぎていても、気が抜けすぎていてもいけない。そして、相手にどちらとも思われないのが、常識的な10分前行動だ。


 とか何とか気を回しすぎてる時点で、十分すぎるほど肩に力が入ってんな、と自嘲する。でも、それも無理はないはずだ。


 エリスは、一体どういうつもりなんだろう。


『悠斗と一緒がいいの―――』


 あの真剣で、どこか熱を帯びたエリスの視線が伝染してしまったかのようで、昨日の夜はロクに眠れなかった。

 要は心臓がバクバクいって、緊張してしまったのだ。


 俺はこんなにも心が振り子みたいに揺さぶられたのに、当のエリスは、俺が誘いにオーケーするなり、「えへへ、ありがと悠斗! じゃあまた明日ね!」と、さっきまでの切なげな表情が幻覚だったんじゃと思うくらい、あっさりした態度で琴音たちところに行ってしまった。琴音が「楽しかったー!」と満足気に朝帰りしてきたあたり、昨夜は相当盛り上がったのだろう。


 ……俺がこんな体たらくで、今日はエリスに楽しんでもらえるのだろうか。ある意味では、エリスの祖父母の足跡を辿るという、結構な重要ミッションでもあるのに。

 いや、まずそれ以前に、俺は今日エリスとずっと二人きりで、平静でいられるのだろうか。

 改めて、モテない陰キャにはハードルが高いことを引き受けてしまった。


 なんてごちゃごちゃ考えていると、背後からいきなりポンと肩を叩かれた。

 日頃、俺は人からボディタッチをされることなどない。誰とでも適度な距離(この場合は物理)を保っている。

 ましてや、その相手が、今まさに俺の思考のほぼすべてを埋め尽くしている金髪の美少女ならば。


「うおっ!?」


 思い切り声を上げて驚いてしまっても無理はないだろう。


「な、なんだよエリス、脅かないでく――――」


 と言いながら後ろへ振り返る。だが、そこにいたのは、


「……お姫様じゃなくて悪うございましたね」


 不機嫌そうに腕を組んでいる真岡葵だった。


「へ? ……真岡? なんでここに?」

「何でって……出かけようと思って駅に来たら、おまえがぼけーっと突っ立てたから声をかけてみただけだ」


 よく見ると、真岡は夏らしいブルーのシャツに黒のスーツパンツという出で立ちだった。肩にはグレーのトートバッグを下げている。

 相手がエリスでないとわかっただけで、俺もだいぶ冷静さが戻ってくる。


「……何だその格好。遊びに行くってより、仕事にでも行きそうな感じなんだが。女子高生ってよりOLみたいだぞ」


 背が高く、凛とした姿勢が印象的な真岡は、もともと大人びた雰囲気を漂わせていることもあり、ビジネスカジュアルな装いがよく似合っていた。美夏さんと同年代くらいと言われても驚かない。


 ……というか、思わず言っちまったが、この感想、めっちゃ失礼じゃねえか。相手は花(?)の十代(真岡が何歳かは知らない)だぞ?

 だが、どういうわけか真岡は怒ることもなく、俺の言葉を肯定した。


「実際そんな感じだよ。実は今日、東京で二回目の“打ち合わせ”なんだ」

「……打ち合わせ?」


 何だその、作家と編集とかがやりそうなことは。

 ……って、あれ?


「真岡、おまえまさか、ひょっとして――――」

「ああ、そのまさかだよ」


 真岡はコクンと頷くと、ニカっと笑ってVサインをしてみせる。

 大人っぽいな思うや否や、途端に幼い彼女の表情が顔を出す。

 このコロコロと変わる二面性がいかにも芸術家気質、って感じだ。


 いや、それよりも。


「マジか!? すげーじゃんか! それって書籍化してプロになるってことだろ!? いつ声がかかったんだ?」

「先月、かな。いきなりDX文庫の編集と名乗る人間からメールが届いてさ。最初はなんかの詐欺かと思ったよ」

「DX文庫って言ったら大手じゃねえか! やったな!」


 さっきまでの緊張を忘れ、やたらテンションが上がってしまった俺が勢い込んで言うと、真岡は深呼吸するように胸に手を当てた。


「ああ、自分でもびっくりしてるよ。もう1回打ち合わせしたんだけど、まだ自分のことじゃないみたいで気持ちがふわふわしてる。……うん、すごく浮ついちゃってる、あたし」


 まあ、そりゃそうだよな。自分がネットを通じて世に出した作品が多くの人間に読まれ、評価され、そしてついにプロにまで認められようとしている。


 俺みたいに取り立てて才能もなく、追いたい夢もなく、やるべき使命もなく、影法師のような位置にいる人間には、きっと一生味わえない。


 だから、俺は真岡を褒める。こいつは今、すごいことを成す入口に立っているのだから。


「でも、おまえが評価されたこと自体は不思議でも何でもないだろ。俺は、真岡が書いた物語の面白さは商業作品にだって引けを取らないと思う」


 ネット界隈の流行りを抑えつつも、登場人物たちの丁寧な心理描写と、息つかせぬ次々と転がる展開。精緻で流麗な筆力。それでいて過剰すぎない、語りすぎないバランスの取れた演出。

 真岡の描く世界が俺好みの作風で、真岡が俺の知り合いという贔屓目を差し引いても、プロと遜色ないレベルにあると思う。


 俺がストレートに称賛すると、真岡はちょっと目を丸くしてから、すぐさま頬を朱色に染めた。


「な、何だよ柏崎。あたしの作品、今までそんなに褒めてくれたことなんてなかったじゃないか。というか、感想自体、初めて聞いたくらいだよ」

「いやいや、ちゃんとサイト上で応援や感想のコメント残してたろ。真岡が上位ランカーの常連になる前から」

「それはそうだけどさ。あんた、リアルではこの話に触れてこなかったじゃないか」


「……それこそ言葉を返すぞ。おまえ、リアルでこの話には触れてほしくなさそうだったじゃないか」


 俺が反撃すると、真岡は「うっ……」と否定できずに黙ってしまった。

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