第3話① 桐生千秋 その1

 桐生千秋。


 彼女は俺と同じ庄本高校2年7組の女子生徒である。

 ……そして、もう仲の良くない”元”幼なじみだ。


 桐生はその大きな鳶色の瞳を、俺とエリス、交互に向ける。


 栗色のミディアムヘアーには軽くウェーブがかけられ、その可愛らしい顔にはその素地の良さを損なうことのない薄いメイクが施されている。夏服のブラウスにブルーのニットベストと、下品でない程度に短いスカートという服装が、いかにも今時の女子高生といった感じだ。そして、やたらとデコられたスクールバッグを肩から下げている。


 エリスが日本人のイメージする通りのエキゾチックな白人美少女、真岡が一昔前のオリエンタルな和風美少女だとすれば、この桐生はまさに垢抜けている、という表現がぴったりくるファッショナブルな現代的美少女だ。


「えっと……千秋?」


 最初に反応を示したのはエリスだった。キョトンと首を傾げている。

 桐生は、わずかに目尻を下げた。


「こんばんは、エリス。本当にこのお店を手伝ってたのね」

「え? ……う、うん、そうだよ」


 さっきの真岡とは違い、桐生は俺たちと同じクラスなので、エリスも当然面識がある。

 桐生もまた、その容姿のイメージ通りのハイカースト所属。恭弥たちとは違うグループだが、絡みもそれなりにあるようだ。ないのは俺だけェ……。


「でも、ごめんね、千秋。ちょうど今から閉店なんだって。また来てもらえるかな?」

 

 エリスはきっぱりと言った。なぜだかよくわからんが、どうやら調子を取り戻したらしい。


 それはともかく。


「エリス、いいんだ」

  

 俺はかぶりを振る。すると、エリスは「??」と頭にクエスチョンマークを浮かべていた。


「おっ、やっと来たね、千秋。何だかんだで結構久しぶりじゃないか」


 カウンターの向こうにいた美夏さんが、「よっ」といつもの軽いノリで手を上げ、こちらへとやってくる。


「……久しぶり。お姉ちゃん」


 だが、対照的に桐生はどこか緊張した面持ちだった。


 そして、桐生の衝撃(いや、随分と布石を打っていたのでそれほどでもないと思うが)の一言に、ぽかんと小さく口を開けている美少女が一人。


「……お姉ちゃん? 誰が、誰の?」

「そこの桐生の姉が、美夏さんだ。苗字だって同じだろ?」


 エリスは小声で「キリュウチアキ」、「キリュウミナツ」となぜか片言になりながら、二人をそれぞれ指差す。エリスさん、それは行儀がよろしくないですぞ?

 美夏さんは苦笑いし、桐生は気まずそうに顔を逸らしていた。

 あまり似ていない姉妹……のように見えるが、やはり二人そろうと顔立ちは近しいものがある。


「確かに、言われてみれば二人、似てる……。それにファミリーネームも同じだし。なんで気づかなかったんだろ?」


 エリスはむーと唸っている。


「何、今は一緒に住んでないんだし、気づかなくてもしょうがないさ。それに、北欧人のエリスから見たら、日本人の細かな顔の違いなんてわからないでしょ」


 美夏さんがからからと笑いながら言った。

 まあ確かに、外国の人の顔を見分けるのって難しい部分があるよな。仮に俺が逆の立場だったとして、エリスの兄弟姉妹をすぐ見抜けと言われても、おそらく無理だろう。


「いやあ、本当は最初にあたしや父さんからエリスにも言うべきことだったんだけさ。我が家もちょっと複雑だから、なかなか言い出すタイミングがなくてね」


 美夏さんが少し困ったように言うと、エリスは「それはいいよ」と頷いた。


「家族だっていろいろあるものね。事情はそれぞれだよ」


 ……? エリス、なんだかやけにあっさりしてるな? 

 ……まあ、家族との在り方なんて国や文化でまちまちだろうし、気にすることでもないか。特に北欧諸国だと、子どもは早めに親離れして暮らすって聞いたことがある。離婚も多いらしいし。


「でも……」


 と思ったら、エリスが非常に痛いところを突いてきた。


「でも、それならどうして、悠斗と千秋はそんなによそよそしいの? お互いにファミリーネームで呼んでるし。千秋が美夏の妹なら、悠斗は小さい頃から知ってるんだよね?」

「ま、まあな……」

「クラスでも話してるとこ、見たことないし。二人が知り合いだなんて、まったく思わなかったよ」

「いや、ホントそれな……」 


 俺はちらりと桐生に視線を向けるが、彼女はむすっとした表情で、俺と目を合わせようともしない。

 美夏さんは呆れたように言った。


「何、あんたたち、まだギクシャクしてるの? ……まあ、千秋も悠斗もお互いのことをほとんど話題にしないから、そうなんだろうとは思ってたけどさ。もういい加減にしたら? 何年経ってると思ってんのさ」


 いや、美夏さん、それは……。

 だが、俺が説明する前に桐生が割り込んだ。


「お姉ちゃん。私と柏崎君は、別に仲違いしているわけでも、因縁があるわけでもないわ。勘違いしないで」


 やけに早口だった。


「じゃあ、どうして?」


 エリスは聞き返した。どこか不服そうに俺と桐生を見ながら。


「特にこれといった理由があるわけじゃないわ。そうよね、柏崎君?」

「……ああ」


 本当だ。特段の事情があるわけではない。まあ、それっぽいきっかけはいくつかあった気がするが、そのどれもが決定的な何かだったわけじゃない。

 ただ――――。


「ただ、私と柏崎君じゃあ、“いるべきグループ”が違った。それだけよ」

「……そう、だな」


 これでも、小学校の頃は俺と桐生も仲が良かった。恭弥や司、琴音や美夏さんも含めて。いわゆる仲良しご近所さんグループ。一時は、みんなが同じ班で一緒に登校していた時期もある。

 しかし、思春期を迎える―――つまりは中学の頃、おそらくは多くの幼なじみたちがそうであるように、俺と桐生の間も距離が広がっていった。


 桐生はお洒落やファッション、流行りの恋愛ドラマやSNSなんかに興味を持ち、付き合う友達もどんどん増えていった。その多くがクラスを仕切るような陽キャばかりの。


 一方の俺は、どうしてもそういうが好きになれなくて、明るい連中のノリに馴染めなくて、次第にアニメやゲーム、ラノベといった陰キャが好む内向きな趣味にのめり込み、ぼっちになってしまう時間が長くなっていった。


 中2の頃には、もう仲の良くない――――それどころが学校では他人のフリをしあうという、現実でもフィクションでもよくある“元”幼なじみの図式が完成していた。


 それでも最初のうちは、学校の外……要は学校の連中に見られないところでは、ぽつぽつ会話はしていたものの、桐生とその母親である春香さんが桐生家を出ていってしまったのを機に、いよいよ彼女とは疎遠になってしまっていた。

 それがまさか同じ学校に進学して、同じクラスになるとはさすがに想像していなかったが。


「……また、その“グループ”ってやつなんだ」


 エリスは気落ちしたように嘆息する。


「そうよ。エリスももう、わかってきてるでしょ? 日本の学校では、所属するグループで学校生活がほとんど決まるの」


 桐生は責めたてるように言う。しかし、彼女の言葉は紛れもない真理でもある。


「わからないよ」


 しかし、エリスははっきりと首を振った。


「確かに、仲のいい友達と、そうでないグループができるのはわたしもわかるよ? でも、ほとんど毎日同じ場所にずっと一緒にいるのに、挨拶もしないで無視しあう関係なんて、やっぱり変だよ。ましてや、二人はケンカしてるわけでもないんだよね?」


「エリスの国ではそうなのかもしれないけど、日本では日本の学校のルールがあるの。エリスもそれを理解して、合わせるようにしないと……これから先、苦労するわよ? ただでさえ、今のあなたは空気を読め――――」


「桐生、やめろ」


 俺は桐生の言を遮る。その先を言わせるわけにはいかない。

 

 俺が強い口調で止めたことによほど驚いたのか、桐生はその整った双眸を見開く。


「ここにはここのルールがあるからって、それをエリスにも押しつけるのはおかしいだろ。それに、エリスは間違ったことを言ってるわけじゃない」

「……別に無理強いしてるわけじゃないわ。ただ、そういう日本の学校の雰囲気を理解できないままやっていくのは辛いじゃない。……柏崎君なら、わかるでしょ?」

 

 そう言うと、桐生は悲しげにその長い睫毛を伏せた。


「ああ、わかる」


 よくわかる。わかりすぎて困る。トラウマや黒歴史だって腐るほどある。そもそも、これを懸念していたからこそ、俺は最初に恭弥にエリスのことを頼んだのだ。

 

 でも、今は。


「それでも俺は、やっぱりエリスにはこのままでいてほしいって思う。エリスは確かにハッキリものを言うけど、誰よりも優しい子なんだよ。無理にここに合わせようとして、日本のことを嫌いになってほしくない」

「悠斗……」


 エリスが俺に視線を向ける。その瞳は熱っぽく潤んでいる気がした。


「だから、桐生。エリスの考え方や人との付き合い方を尊重してくれ。空気や雰囲気なんて曖昧なものだけで、彼女を否定しないでくれ」


 これは、俺の先日の決意のひとかけらだ。こうやって、少しずつ思いを口にしていくほかにない。その結果、俺の立ち位置がどうなるとしても。


「……やけにはっきり言うのね」

「ああ。エリスを見習ってな」


 俺は、自分でぎこちないなと自覚しつつも、エリスに笑いかけてみる。彼女もまた、嬉しそうな微笑みを向けてくれた。


 すると、桐生はなぜかくるくると髪の先をいじり、「ふーん……。エリスにはそうするんだ」とつぶやく。そして、


「……だったら、何で」

「……え?」

「何で、あの頃の私にはそう言ってくれなかったのよ―――"悠君"」

 

 いたいけな、拗ねたような声色で言った。

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