第2話④ エリスのもやもや
~Interlude~
「悪い、エリス。こちらのお客様はうちの常連なんだ。ここは俺が案内するから、エリスはほかのお客様の案内やオーダーに回ってくれ」
「う、うん……」
悠斗から指示を受けたエリスは、彼に言われた通り、ほかの仕事に移った。別の客からの注文を取り、五郎が淹れた特製のブレンドコーヒーを運ぶ。
その最中、さっきまで引っかかっていた記憶がふとつながった。
(そうだ、やっと思い出した。あの子、確かほかのクラスの子だ)
転校してきた当初、エリスは恭弥たちのグループに連れられ、色々とほかのクラスを案内されていた。
そのとき、休み時間に席で独り、黙々と読書していたのが彼女だった。
日本では、どのクラスにも必ず何人かは休み時間を一人で過ごしている生徒がいたが、その自分のものとは正反対の長い黒髪と、背筋を綺麗に伸ばした姿勢の良さが、エリスの中で強く印象に残っていたのだ。
エリスは客にコーヒーを差し出し、トレイを胸元に抱えると、その少女、真岡葵のことが気になってそちらに視線を移す。すると、ちょうど悠斗が彼女にコーヒーとケーキを提供しているところだった。
そして、悠斗と葵はぽつぽつと会話を始める。もちろん、何を話しているかは聞こえない。
(何話してるのかな……)
何となく後ろ髪を引かれながらカウンターに戻る。すると、PCで事務作業していた美夏がこちらに振り返った。
「エリス、どうしたの? そわそわしちゃって」
「あ、うん。今、悠斗が接客してる女の子、うちの学校のほかのクラスの子だったなと思って。わたしは話したことないんだけど」
美夏は首を伸ばして悠斗たちがいる奥の席へと視線を向ける。
「ああ、あの子ね。うちにしょっちゅう来てる常連さんだね。確か、真岡さん……だったかな。あの席で、よくパソコンとにらめっこしてるよ」
「彼女、ここで何してるの?」
「さあ? お客さんのプライバシーには立ち入れないよ。まあ、悠斗は理由を知ってるみたいだけどね」
「悠斗は知ってる」。その美夏の何気ない一言に、エリスはなぜか胸の内に霧が覆ったような気がした。
自然と根掘り葉掘り聞いてしまう。
「……美夏。あの子と悠斗って仲良し、なの?」
奇しくも、この直後に葵が悠斗に尋ねたのと同じ質問だった。
美夏は「おや」と思いつつ答える。
「うーん、どうだろうねえ。確かにあの子は常連だけど、いつも悠斗と話してるわけじゃないしね。傍目から見たら、あんまり仲がいいって感じじゃないかもね」
「あ、そうなんだ」
エリスは、自分でも無意識のうちに声のトーンを上げていた。これもまた意識の外で、安堵の息を吐く。
その様子を見た美夏の瞳が、獲物を見つけた猫のように光り、口元も吊り上がった。
「だけどね」
「?」
「あたしの見立てじゃ、あの真岡って子、悠斗目当てにここに通ってるんだと思うよ」
「……えっ?」
エリスの碧色の瞳が大きく見開かれた。
美夏は「おお、こりゃあ予想以上の反応だね」と楽しげに笑う。
だが、別に嘘をついているというわけではない。
「あの子、たまに悠斗がシフトに入ってない時に来ることがあるんだけど、どう見ても悠斗がいないかフロアを探してるんだよ。あたしが『今日は悠斗はお休みですよ』って説明すると、『あ、そうですか。別にそれはどうでもいいんですけど』って否定してみせるんだけど、その日は長居しないですぐ帰っちゃうんだよ。無表情に見えて、わかりやすい子だね」
「……悠斗はあの真岡さんの気持ち、気づいてるの?」
エリスの声もまた、ぎこちない硬さを伴っていた。
「まったく気づいてないと思うよ。あの子鈍いし。別に無神経ってわけじゃないんだけど、自己評価が低くて、自分は好かれる人間なんかじゃないって思い込んでるところがあるからね」
「……うん」
それは、エリスにも思い至る点が多々あった。
悠斗は謙遜が過ぎるところがある。自分が自分がと前に出すぎないのが日本人の美点だとエリスも思ってはいるが、悠斗に関してはそれが行き過ぎているように感じる。
そして、それが彼の、自分に対する自信のなさから来ているのだろうということも。
ただ、エリスには、悠斗がなぜそうなのかはわからなかった。
悠斗は学業をはじめとして、他者と比べて特別何が劣っているというわけではない。
容姿については、日本人ではないエリスには良し悪しがよくわからない部分はあったが、少なくともエリス自身は悠斗に不快感はない。美夏や葵の悠斗に対する態度を見ても、優れてるとはいえないまでも好みの範疇には収まるレベルなのだろう。
そして、自分のように日本のコミュニケーションのしきたりを理解していないわけでもない。
美夏を同じようなことを考えたらしい。
「ちょっと口下手で不器用なだけで、いいヤツなんだけどね。姉代わりとしては結構心配でさ」
うん、それは知ってる。
悠斗は優しい。他人をきちんと、強く思いやれる。
わたしを救ってしまうくらいに。
だからこそ、エリスは悠斗が集団から浮いているのが疑問だった。
もちろん、エリスの国にだって差別もいじめも偏見もある。だが、それは人種だとか宗教だとか生まれだとか能力だとか、もっと外から見て分かりやすいボーダーから生まれるものだ。
容姿も能力も比較的均一(とエリスには見える)な日本の学生のなかで、悠斗がそういう扱いを受けていることが理解できなかったし、納得もしていなかった。……でも、
「でも、あの真岡……葵さんは、悠斗のいいところをちゃんと知ってるってことだよね。だから彼女は悠斗を……」
とエリスが次の言葉を紡ごうとしたところで、二人の後方から、「あはは」と笑い声が聞こえてきた。
振り返ると、葵がおかしそうに笑っていた。さっきまでの仏頂面が嘘のようだ。悠斗も呆れた顔をしているが、少なくとも嫌そうではない。
彼女は悠斗の理解者だ。表情だけでそれがわかる。
悠斗のいいところを知ってる子がいてよかった。
なのに。
(なんで、こんなにモヤモヤするんだろ)
談笑する二人から目が離せない。
悠斗の困ったような、それでいて楽しそうな横顔を見ると、胸が疼いて、切なくて、苦しくなる。
すると、葵との話を終えた悠斗がこちらに振り返る。目が合ってしまった。
悠斗が「ん?」と首を傾げる。
エリスはぎゅっとトレイを強く抱き締めると、慌てて視線を逸らした。
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