第2話③ 真岡葵 その1

「一人なんだけど。いつもの席、空いてる?」


 黒髪の少女は淡々とした、抑揚のない声で言った。しかし、一方のエリスも、なぜか少女を見て目をぱちくりさせている。


「えっと、あれ? あなた、確かどこかで……」

 

 エリスは見覚えがあるとでも言いたげに、首を捻っていた。


「それで? 席、どうなの?」


 少女はぶっきらぼうに同じ質問を繰り返す。

 いや、それをエリスに言っても……と思ったところで、少女の視線がエリスではなく俺に向けられていることに気づいた。

 俺は少女とエリスの元に駆け寄る。


「エリス、お客様だぞ」

「あ、ご、ごめんなさい!」


 エリスは慌てて謝った。だが、「いつもの?」との意味が理解できないようで、俺に目線だけで助けを求めてくる。


「悪い、エリス。こちらのお客様はうちの常連なんだ。ここは俺が案内するから、エリスはほかのお客様の案内やオーダーに回ってくれないか」

「う、うん……」


 俺はエリスをその場から遠ざけると、少女に向けて頭を下げた。


「失礼しました、お客様。いつもの席は空いております。ご案内いたします」

「ん」


 少女は相変わらずの無表情だったが、エリスの対応を特段不快に思ったわけでもないらしい。胸をなでおろした俺は、少女がいつも座るコンセント付きの席へと案内する。

 彼女は席に着くなり、肩にかけていたバッグをテーブルの上に置き、いつものようにノートパソコンを取り出す。そして、またしても平坦な声で言った。


「いつもの」

「かしこまりました」


 俺は頭を下げてから、キッチンにいるマスターにオーダーを伝達、そして出てきた商品をトレイに乗せてサーブする。


「ご注文のカプチーノとチョコレートケーキでございます」

「ありがと」


 少女はPCのディスプレイを覗き込んだまま、小さく礼を言った。そして、


「柏崎」


 ぽつりと俺の苗字を呼ぶ。

 今日はらしい。

 俺も、彼女に合わせて接客モードを解除する。


「何だよ、真岡まおか


 この少女の名前は真岡あおい。俺たちと同じ庄本高校の2年生だ。ただし、クラスは違う。俺やエリス、恭弥や司は7組だが、彼女は2組だ。


 と紹介はしてみたものの、実は俺も彼女のプロフィールはこれくらいしか知らない。学校では、ほとんどかかわったことがないのだ。陰キャの俺は当然、クラスをまたいだ同級生との交流などないに等しく、彼女もまたクラスで目立つようなポジションではないらしい。必然的に、絡むことなど皆無となる。


 真岡はここの常連ではあるが、いつもPCでの作業に没頭しており、俺と会話することもあまりなかった。俺も俺で客との雑談は苦手なタイプだし、ウェイターとして、静かな時を過ごしたいと思っている客にこちらからベラベラ話しかけるわけにはいかない。


 あと俺が知っているのは、くらいだ。


 ただ、たまにこうやって彼女のほうから話しかけられることがあった。

 まあ、今日は話しかけられてもさすがに不思議はない。格好の話題の主がそこにいる。


「あの子、4月に留学してきたお姫様だろ? なんでここにいるんだよ?」

 

 真岡はPCを立ち上げ、カプチーノに砂糖をドバドバ投入しながら言った。ぶっきらぼうで少し男っぽい口調が彼女の特徴だ。そして極度の甘党でもある。……いつも思うが、いくらカプチーノとはいえ、それは入れすぎだろ。


「彼女のホームステイ先がうちの店長の家なんだよ。それで、今日は店の仕事を手伝ってもらってるんだ。……というか、お姫様って何だよ?」

「あたしも詳しくは知らない。ただ、クラスの連中が『今度留学してきたエリスって子は、ヨーロッパのとある国のお姫様』だって噂してたんだよ」

「それって、『噂をしてたのを盗み聞きした』の間違いだろ?」

「……うるさいな。『噂をしてたのが聞こえてきた』んだよ。ってか、柏崎に言われたくない」


 真岡は文句を垂れながらカプチーノに口をつけた。

 この無愛想でつっけんどんな性格からして当然というべきか、彼女もまた俺と同様に、ぼっちムーブの流れに乗っている人物だ。いや、俺も本人から「友達なんているわけないだろ」と宣言されただけで、実際にクラスでの彼女を見たことがあるわけではないのだが。


「わかったわかった。……とはいえ、エリスがお姫様ね。まあ勘違いするのも無理はないけど」


 実際、初めて会ったときには俺も似たような印象を抱いた。

 エリスはその美しさはもちろん、所作や仕草も優雅で洗練されている。

 「実家は普通の商社だよ」としかエリスは言っていなかったが、実のところかなり裕福な家の生まれなのだろう。


 俺は接客に勤しんでいるエリスを見やる。やはり、給仕の仕事をしているのにもかかわらず、どことなく高貴な気品が漂っていた。その額にわずかに滲んだ汗が、外の光に反射して輝く様が美しい。


「……柏崎。ひょっとして、あのお姫様と仲、いいのか?」

「え?」


 真岡らしくない意外な問い。しかも、その声にいつもと違う感情の色が含まれていた気がして、俺はぱっと振り向く。だが真岡は、彼女にとってはノーマルモードの仏頂面でキーボードを叩いていた。


「どうなんだよ? 確か柏崎って、この店の一家とは家族ぐるみの付き合いなんだろ?」


 そして今度は、ニヤリとからかうような笑みに変わった。

 ……気のせい、か?


「それは……」


 一瞬、「別に仲なんて良くない」と反射的に返事をしかけた。

 自分から特定の女子と、「俺たち仲いいよ」なんて言うのは、下位カーストにとってはリスクとトラウマしかない。自分では仲がいいと思っていても、相手の女子から「えー、んなわけないじゃん。やたら話しかけてくるからテキトーに合わせてるだけだってー。あいつホント滑稽だよねー(笑)」と友達に話しているのを聞いてしまい、ショックで枕を濡らしたことがある陰キャは俺だけではないはずだ。


 ……でも、それじゃあエリスとの約束を守れない。ビビッて身を守りすぎてはいけない。

 俺は心の中だけ深呼吸し、自分なりに言葉を選ぶ。


「……まあな。最近やっとだけど、だいぶ打ち解けたよ」

「え」


 真岡もまたぼっちの心理には聡いはずだ。だから、俺がすんなり肯定するとは思っていなかったのだろう。彼女は鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いていた。微妙に口元がわなないていた気がするのは、俺の見間違いだろうか。

 だが、すぐにまた毒の含んだ笑みに変わり、「ふーん、そっか」とつぶやいた。


「まあ、あのエリスって子、女から見てもすごく可愛いもんな。一介のぼっちのくせに、身分違いの相手に憧れを抱く、か。いいね、これはだな」

「おいやめろ。それはマジでやめてください」


 俺は高速で腰を九十度曲げて懇願する。真岡にネタにされるとか、本当にシャレにならん。

 だが、真岡は俺の声などすっかり届いてないようで、グッと両手を握っていた。


「何か急にむくむくとやる気出てきた。……柏崎、もう仕事に戻っていいぞ。あたしも集中したいし」

「……。真岡ってホント勝手なヤツだよな……。まあいいけどさ」


 俺が当てつけに大げさに溜息をついてみせると、真岡は「あはは」と楽しそうに笑った。相変わらず、普段は無表情なのに、この時だけは感情豊かになるよな……。

 

 もういいや、だけど居座るならおかわりを注文しろよとだけ釘を刺し、仕事に戻ろうとホールのほうに振り返る。すると、視線の先にいたエリスと目が合った。ということは、エリスはこちらをじっと見ていたということになる。

 しかも、なぜかエリスは、戸惑っているような、それでいて微妙に不機嫌なような、普段あまり目にしない表情を浮かべていた。


「エリス?」


 俺は首を傾げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る