第2話① エリスと柏崎兄妹

 というわけで、ガラにもなくカッコつけたりしてみた俺だったが、実はゴールデンウィークの前日だったことをすっかり忘れていた。しばらく学校は休みだ。

 つまり、俺の決意が試されるのは連休明けからということになる。あれだけの啖呵を切ったのに、ちょっとホッとしている自分。情けねえな……。


 そして、そのゴールデンウィークの三日目のこと。

 

「ねえ、悠斗、悠斗!」

「ん?」


 マスターの経営するカフェ、「ブラックキャット」の開店準備のため、ホールの掃除をしていた俺は、声がしたバックヤードのほうへと振り向く。

 そこからひょっこり顔を出したのは、このカフェの制服を着たエリスだった。


「じゃーん! どうかな? 似合う?」


「わあー、すっごく可愛いよ、エリスさん!」

 

 感嘆の声を上げたのは俺ではない。なぜかテーブルで、ブレンドコーヒーを呑気にすすっていたジャージ姿の琴音だった。


「ありがと、琴音!」


 エリスは、白のブラウスに黒のロングパンツ、それにワインレッドのスカーフにとショートエプロンを合わせていた。もともと洋装だけあって、北欧人のエリスにとてもマッチしている。


 立ち上がった琴音は、ショートブラウンの髪を揺らしながらエリスに駆け寄る。そして、互いにきゃいきゃいと感想を言い合っていた。二人もすっかり仲良しで、姉妹のようである。……いや、それはないな。琴音とエリスではあれやこれやと差がありすぎる。ルックスはもちろん、胸囲の辺りが特に。平原と山。


「それで……悠斗はどうかな? どう思う?」


 すっかり日本人と同じ発音で俺の名を呼ぶようになったエリスは、明らかな期待のこもった瞳で、またしても「What do you think ?」を問うてくる。

 俺は一瞬どうしようか戸惑ったが、


「ああ、似合ってるぞ。その髪型も……いつもと雰囲気が違ってていい思う」


 多少表現はマイルドになったものの、どうにか脳裏に浮かんだ感想を口にする。目線を逸らして、頬を掻きながらだけど。もっと正直に、可愛い、とも言えなかったけれど。


「えへへ……ありがと、悠斗!」


 でも、俺の拙い褒め言葉にも、エリスは嬉しそうにはにかむ。


 説明が遅れたが、今日はエリスの日本体験の一環として、俺と一緒にブラックキャットでバイトをすることになっていた(洋風カフェでのアルバイトのどこが日本体験なのかという疑問は置いておく)。

 そのため、今のエリスは衛生面から髪をお団子型にまとめていた。ただ、普段はその長いブロンドヘアーに隠れて見えないうなじが、やけに色っぽくてドキッとする。


 しかし、エリスが素直に喜ぶその一方で、琴音が「え……」とドン引きした表情を俺に向けてきた。


「あ、兄貴……どうしたの? 何かキモいよ? ていうか似合わなさすぎてキモい」

「やかましいわ。ってか、疑問形にした意味がこれっぽちもねえじゃねえか。これも異文化コミュニケーションの一環だっての」

「はあ? 意味わかんないんだけど」


 琴音はわざとらしく肩をすくめる。


「エリスさんも、兄貴なんかに褒められてもうれしくないでしょ?」


 そ、そこまで言うのかよ……。“俺の妹があまりにリアルなので、異世界に転生しようと思います”というラノベを書こうと思いました、まる。

 だが、当のエリスは「そんなことないよ」と柔らかい表情を見せる。そして、「琴音、あのね」と続けた。


「わたしからね、悠斗にお願いしたんだ。悠斗の考えてることや思ってることを、ちゃんと言ってほしいって」

「……エリスさんが?」

「うん。わたしって、はっきり言ってもらわないとわからないから。日本語で言うところの、“空気を読む”とか、“察する”とか、あんまりできないみたいなの」


 エリスはちょっとだけ困った顔に変わる。だが、少なくともこの間のような悲壮感は感じられない。


「ああ、なるほどです。確かに外国の人って、そういう様子見みたいなことをしないで、意見をガンガン言うイメージがありますよね」


 今、琴音が何気なく口にしたのは、外国人、特に欧米人と聞いてすぐに連想されるステレオタイプな意見である。実際、エリスはそんなところがある。

 しかし、エリスは別に空気を読めないわけでも、TPOに合わせた行動ができないわけでもない。

 ただ、エリスの国の文化では、になるのだ。

 そこを誤解してはいけない。エリスは決して無神経ではない。優しくて、繊細な部分もある女の子なのだ。それを知ったからこそ、俺は。

 

「でも、それを兄貴に頼むのも……。兄貴って口下手で無愛想でコミュ障、女子を褒めるのが下手くそな、まさにザ・日本男子、って感じじゃないですか」


 ……俺の決心、あっという間に折れそうなんですが。しかも、エリスではなく口の悪い愚妹のせいで。


 と、思ったら。


「ふふっ。悠斗は確かにちょっと照れ屋だけど、ちゃんと伝わる言葉を持ってる人だよ。それに、琴音が思ってるよりもずっとかっこいい思うよ」


「エリス……」


 彼女の、ジャイロボールかというくらいスピンの効いた褒め言葉に、俺は顔の温度が一気に上昇してしまう。


 いや、わかってるんだよ? エリスに他意がないことくらいね?

 エリスと一緒に過ごすようになってわかったことだが、欧米人ってのはとにかく褒める。褒めそやす。大げさなくらいに。チョロいラノベのヒロインくらいに。俺TUEEEEって勘違いしちゃうくらいに。


 相手を褒めることが習慣化していない日本人への効果は抜群(特に男子)だ。

 いや、日本でも褒めること自体はなくはないかもしれないが、いわゆる合コンの「さしすせそ」みたいな、とりあえず思ってもないけどめんどくさいから褒めとけ、みたいなテキトー感(特に女子)もない。いや、合コンに行ったことなんかないけど。それ以前に誘われたこともない。


 エリスの俺に対する評価に不自然さを感じたに違いない、琴音はジト目で俺を睨んでくる。


「……兄貴、エリスさんに本当に何したの? 事案? 脅迫? 洗脳?」

「そんなわけねえだろ……」


 後ろに行くほど酷くなってるじゃん……。てか真顔で言うな、真顔で。


「じゃあ何で? なんか二人とも急に仲良くなってない? ちょっと前まで兄貴、エリスさんと会話だってあんまりしてなかったじゃん」

「……それは」


 理由ははっきりしてるが、こいつにだけは絶対に言いたくない。羞恥で俺のメンタルが死んでしまう。お袋にベッドの下に隠したアレな本が見つかってしまうより恥ずかしい。

 俺が言い淀んでいると、エリスがスッと前に進み出た。


「ごめんね、琴音。これはわたしと悠斗の秘密なんだ。とっても大事な、ヒミツ」


 エリスはペロッと可愛らしく舌を出す。日本人がやったらあざとすぎてヘイトを溜めそうなこうした仕草も、彼女がやると違和感が全くないし、自然に感じるから不思議だ。


 さすがにエリスにはこう言われては、琴音もこれ以上追及できなかったのだろう。「しょうがないなあ」とため息を吐く。


 そんなこんなな雑談をしてるうちに、奥のキッチンからエプロン姿のマスターが顔を出した。


「おーい、エリス。ちょっといいか? 今日の説明をするからこっちに来てくれないか?」

「あ、はーい! じゃあ悠斗、あとでホールの仕事、教えてね!」


 エリスは俺に手をひらひらと振ると、キッチンへと引っ込んでいった。


 ×××


 俺と琴音の間に沈黙が下りる。まあ、兄妹だから気まずいとかは別にないが、何となくお互いに言葉を探している気がした。それも、エリスに関する。

 

 琴音は真剣さを宿した声色で言った。


「……あんまり調子乗んないほうがいいよ、兄貴。そりゃ、あんなに優しくて綺麗な人に頼りにされたら、舞い上がるなってほうが無理だと思うけどさ」

「別に、調子こいてるつもりも浮かれてるつもりもねえけどな」


 口ではそうシニカルにうそぶいてみたが、客観的に見てどうなのかは自信がなかった。非モテが美少女に構ってもらえて嬉しくないわけがない。

 ただ、それよりも。


「ただ、わざわざ日本に来てくれたんだから、ここでの1年を後悔のないように過ごしてほしいとは思ってる。だけどあいつ、ああ見えて、日本での生活に結構悩んだりしてるみたいだから」

「……やっと気づいたんだ。ダサッ」


 エリスがここに来て、琴音はすぐに明るい彼女に懐いていた。故に、エリスの繊細な部分にもとっくに気づいていたようだ。

 こればっかりは、琴音の言う通り、めっちゃダサい。


「……そうだな。だからまあ、色々と善処することにしたんだよ」


 具体的なことは言わなかった。しかし、それだけで琴音は「ふーん」と納得したように呟く。ある程度俺の意図するところを察したようだ。

 それが、エリスの悩みの種である日本人同士ならではの意思疎通なのか、単に家族だからこその以心伝心なのかは判断がつかなかったが。


 琴音はぽつりと言った。


「兄貴、結構マジなんだ」


 何がマジなのか。その意味は幾通りかに推測できるが、それもまた、口にすることはしなかった。


「まあいいんじゃない? 陰キャの兄貴にはいばらの道だとは思うけど」


 琴音はそう言うと、テーブルの脇に置いてあったテニスバックを担ぎ、俺に背を向けた。


「これでもし、兄貴がイケメンなら“エリスさんを泣かせたら許さない”って言うとこだけど……兄貴だからまあ、応援してあげるよ。私、テニスの試合でも、負けてるほうに声援送っちゃうタイプだから」


「……ぬかせ。いいから早く行けよ。今日練習試合なんだろ? 遅刻するぞ」

 

 俺がしっしっと手を振ると、琴音は「あ、そうそう。忘れてた」とこちらに振り向いた。

 なぜかさっきまでのシリアスが一転、いたずらを思いついた少年のような、意地の悪い笑みを浮かべている。


「今日、お店閉める頃に千秋姉が来るって。昨日の夜にLINE来たの」

「え?」

 

 俺の手が中空でピタリと止まった。


 ……なん……だと?


「千秋姉、エリスさんにデレデレな今の兄貴見たら、どんな反応するかなあ」


 琴音はチッチッとシャーロックホームズみたいに人差し指を揺らしている。


「じゃあ、エリスさんとお仕事がんばってねー」

 

 最後の最後で、琴音は大きな爆弾を放り投げて去っていった。


 ……何だか、めんどくさい一日になるやもしれん……。

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