第1話⑤ エリスとの約束を

 夕日が川辺の向こうに沈んでいく。

 俺とエリスは、家路と続く道を歩いていた。俺の両手には、エリスが買い込んだ雑貨や日用品が入ったエコバックが握られている。エリスは、エコバックをいつでも携帯しているらしい。地球環境を守ることへの意識が高い北欧人らしい習慣だ。日本の高校生ではまずありえない。こういうさりげないところで、俺たちと彼女の日頃の意識の違いが如実に表れる。


 あれから、エリスはすぐに元の明るい彼女に戻った。今も、俺の少し前を、鼻歌を歌いながら歩いている。聞き慣れない言語から察するに、エリスの故郷の歌のようだ。


 エリスの鈴の音のような美しい声をBGMにしながら、俺はさっきの問いについて、再度考えを巡らす。後で、とは言ったが、先送りにするつもりはない。


 まずは反省からだ。


 ……甘かった。俺はバカだ。アホだ。


 エリスが恭弥たちのグループに入れさえすれば、かなりの部分で大丈夫だと思っていた。それがうまくいけば、俺のやることなど、そうないだろうと。

 だが、ひとたび冷静になれば、そんなことはありえないと思い至る。言語以上に、コミュニケーションの根っこが異なる国に一人でやってきて、辛いことがないわけがないのだ。


 結局、俺はエリスの持ち前の明るさに甘えていただけだ。あるいは、欧米人はコミュニケーションの強者で、人付き合いに悩むことない、なんて偏見を持っていたのかもしれない。

 エリスだって、あくまで16歳の女の子なのに。


 ならどうする? 

 俺がエリスに、日本流コミュニケーションの暗黙のルールを教えればいいのか?


 海外のように、「言うべき時にモノを言う」よりも、日本のように、「」ほうが、対応としては難易度が低いはずだ。「沈黙は金」とか「口は災いの元」とか「出る杭は打たれる」とか、日本では言葉を口にするよりも、黙っていたほうがうまくいくケースが圧倒的に多い。


 こんなに悩んでいるあたり、エリスは決して人の気持ちや集団の空気を察するのが不得手なわけじゃない。日本人の思考回路を拒絶しているわけでもない。俺が根気強く日本人の性質をレクチャーすれば、きっといつか、理解はできないまでも、対応はしてくれるだろう。


 ……でも。


 でも、本当にそれでいいのか?


 それはエリスの強さや気高さを殺すことになるんじゃないか?

 マスターや美夏さんはそんなことを望んでいるのか?


 ……何より、それじゃあ、エリスは日本に来たことを後悔してしまうんじゃないか?


「……ユウト? どうしたの?」


 いつのまにか、俺はボーッと突っ立って思索にふけっていたらしい。振り返ったエリスが俺の顔を覗き込んでくる。そのシルクのような金色の髪が、春の暖かい風でふわりと舞い上がった。純粋さと強い意志の両方を秘めたエメラルド色の瞳が、俺を射抜く。

 

「……さっきのエリスの質問の答えを考えてたんだ」

「別に急いでるわけじゃないよ。わたしもさっきはちょっとナーバスになってたみたい。……ごめんね、ユウト」


 眉をハの字にしたエリスは、申し訳なさそうに謝ってくる。


 ……そうだ。やっぱりこんなんじゃダメだ。

 彼女の表情を、こんな風に曇らせてはいけない。


 じゃあ、どうする? そのためにはどうしたらいい?

 エリスに元気よく、楽しく日本で過ごしてもらうには?


 それにはやっぱり、エリスがありのままの自分でコミュニケーションを取れることが肝要だ。

 彼女の思いや意見を聞き、それを受け止めて、それでいて自分なりの答えを返せる大人な相手が必要で。

 そんな彼女が周囲から浮かないように、過剰に空気に支配されない集団を作ることが重要で。


 でも、陰キャな俺じゃあ、正攻法ではそんなことができるわけもない。それができれば、そもそもこんな立ち位置になっていない。


 だったらどうする? 今の俺にできることは何だ?


 俺は頭をガシガシと掻いた。

 ああ、くそ! あとちょっとで答えが出そうな気がするのに!


 懊悩して百面相を繰り広げているだろう俺に、エリスはじーっと俺を見つめてくる。


「そうやって真剣に考えてくれるだけでも、すごくうれしいよ。やっぱり優しいね、ユウトは」


 エリスは目尻を下げ、口元を綻ばせる。赤い陽射しが優しく彼女の微笑を照らす。

 綺麗だった。

 出会った時と同じように。


 ああ、もう! しっかりしやがれ! 俺!

 あれだ! 外国人にはうだうだ理由をこねたり、途中経過をベラベラ喋ったところで伝わらん! 前に見たビジネスもののテレビドラマで、「で、結論は? 結局何が言いたいのかね、君は?(日本語訳)」と外国人の上司に詰められてる日本のサラリーマンを見たことあるし!

 結論をシンプルに述べるのが、世界におけるコミュニケーションのセオリーのはずだ!

 だから言え! おまえのやりたいことを!


「エリス!」

「ん? なあに、ユウト?」


 言っちまえ!! 柏崎悠斗!!


「俺がエリスを助ける!」


 俺も思考がとっくにオーバーヒートしていたんだろう、順序やロジックをすっ飛ばして、それどころか、「どう思うの?」というエリスの本来の問いに対する答えさえも飛び越えて。

 だから俺は、


「……えっ?」


 めっちゃ恥ずかしいセリフを口走っていた。


「え、えっと……ユウト? い、いきなりそんなこと言われても……、あ、ち、違うよ!? 別に嫌ってわけじゃなくて、むしろすっごくうれしいんだけど! で、でもね……?」


 エリスが珍しくあわあわしている。雪のように白い頬が沸騰したみたいに真っ赤になっていた。


「ちょ、ちょっと、恥ずかしいかな……」


 手をもじもじさせながら狼狽しているエリスを見て、俺もようやく自分の失言に気づく。

 やべえ、勢いをつけすぎた。


「い、いや。その……違う、違うんだ。いや、違わないんだけど……、そうじゃなくて、俺が言いたいのは……」


 俺もエリスも語彙が消失していた。いや、外国人のエリスが日本語でそうなるのは仕方がないのだが。


 しばらく、互いに目を合わせることもできず、深呼吸を繰り返す。俺まで顔が熱い。何やってんだ、俺たちは。いや、俺は。


「その……すまん。色々と端折りすぎた。順番に説明するよ」

「う、うん。それは別にいいんだけど……」


 最後にもう一回だけ息を吐く。少しだけ冷えた頭で、俺は言いたいことを整理する。


「まず、あれだ。『ユウトはどう思うの?』ってさっきの質問の答えなんだけど……」

「う、うん」


「俺は……俺は、エリスは何も間違ってないと思う。自分の意見や気持ちをきちんと言葉にするのは大事だ」


「ユウト……」

「だけど、この国で……いや、この国の学校で、それをするのは簡単じゃないんだ。どうしてかって言われると……俺も全部は説明できないんだけど」


 一番は、『同調圧力』という名の、『空気』の暴力だとは思う。しかし、なぜそんな空気が形成されるのか、じっくり考えてみると相当難しいテーマだ。


 その人間が悪いことをしようとしているならともかく、自らの考えを表明したり、他人と違うことをしようとする人間を、「生意気」「KY」と排除する(される、じゃなく)理由は、実のところあまりない。別に自分たちに被害が及ぶわけではないのだから。理屈じゃない。感情だ。しかも、『みんな同じことをしてるのに、あいつだけズルい』っていう、ガキっぽくて情けない嫉妬心だ。


 でも、こういう感覚をエリスにわかってもらうのは難しいだろう。俺だって、うまく説明できる気がしない。こうしてグダグダとモノローグを垂れ流すくらいしかできない。

 だから、


「だから、エリスの言う通り、『周りは』じゃなくて、『俺』はどうしようかって考えたんだ」

「ユウト……」

「『俺』は、エリスは間違ってないって思った。いや、間違ってないってだけじゃない。俺は、モノをしっかり言えるエリスを羨ましいって思ったんだ」

「……羨ましい? わたしが?」


「ああ」と俺は首肯する。


「俺も学校独特の同調圧力は嫌いだった。でも、そうやって斜に構えてるくせに、それに歯向かったり、文句は言ったりはしなかった。それが身を守る方法だから。要は怖かっただけなんだ」


「……どーちょーあつりょく?」、「……はす?」とエリスは首を傾げている。しまった、ちと難しい日本語だったか。


「……とにかく、俺はエリスがすごいって素直に感じた。だったら、『俺』もエリスみたいに、これからは頑張って『自分の考えを口にしてみよう』って気になったんだ。それに、一人よりも二人のほうがいいだろ?」


「で、でも、今、それをするのは簡単じゃないって……。それに、それじゃユウトが……」

 

「傷つくんじゃ」と、エリスは悲しみに震えた声で言った。


「……かもな。でも、それでも、俺はエリスのほうが正しい、エリスの味方をしたいって思った。それだけだよ」


 この気持ちが、さっきの恥ずかくてクサいセリフにつながるわけだ。


「だからもし、俺がそれでビビったり、ヘタレたりしたら、『約束と違う』って言ってくれていいし、遠慮もしてなくていい。『言ってくれなきゃわからない』んだから」


「ユウト……」


「約束する。俺は、文化や考えが違うエリスのことを尊重する。俺がすごい、羨ましいと思ったことは見習う。エリスが無理に日本のやり方に合わせなくても、今のままで日本の学校を楽しめるように、俺も手伝うよ」


 やっと、言いたいことが言えた。

 こんなにも、自分が相手に抱いた深い部分を素直に吐露したのは初めてかもしれない。恭弥や司にだって、ここまで言ったことはない。


 エリスは、目大きく見開いて俺を凝視する。

 そして、頬に一筋の雫が流れた。夕日に反射して宝石のようにきらめく。


「うん……うん! ありがとう、ユウト! 本当にうれしい! わたし、今日が日本に来て一番うれしい日だよ!」


 ……日本に来て一番、か。顔に出さなかっただけで、ずっと彼女は悩んでいたんだ。


「そっか……ごめんな。気づけなくて」


「……そんなことないよ。わたし、もうユウトに“助けて”もらっちゃった。えへへ……」


 目元に涙を溜めながら、はにかんだ照れ笑いを浮かべるエリス。不覚にも胸が高鳴ってしまった。俺は照れで顔を逸らしそうになるのも必死に我慢する。今、それをしてはいけない。そのくらいはわかる。


「……エリス。改めて、今度こそよろしくな」

 

 俺は彼女に手を差し出す。今度は、俺から。


「うん、ありがとう。こちらこそよろしくね、ユウト。……ううん、”悠斗”」

「ああ」


 エリスが俺の手を握る。細くて柔らかいけど、暖かい手。あの時とは違い、俺は強く握り返した。


 エリスはそれからも幾度か「悠斗」と呼んだ。そのたびに、俺の名のイントネーションがより正確なものへと近づいていく。まるで日本語のほうが彼女の艶やかな唇から紡ぎ出される声に溶けていくかのようだった。


「……どうしたんだよ? そんなに何回も呼ばれると恥ずかしいんだけど」


 さすがに堪え切れなくなって、俺はエリスの真っ直ぐな視線から目を逸らす。

 すると、エリスの天使のような声だけが響いた。


「悠斗って名前、素敵だね」


「…………」


 ……参ったな。これはさすがにちょっとやばい。可愛すぎる。


『エリスだって素敵な名前だよ』

 

 一瞬だけそんなキザな台詞が浮かんだけど。

 でも、こんな俺ではそうは言えず。


「……別に日本人じゃ珍しくもない名前だけどな」


 エリスのように素直な気持ちを口にできるのは、まだだいぶ先になりそうだった。


 でも、この約束を守れるように、彼女のために進んでみよう。


 俺はこの日、そう決意した。


                              第1話 了


 ※ここまでがこのお話のプロローグです。

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