第1話④ あなたはどう思う?

「……どうして、そんなことを」


 エリスはぎこちない笑いを浮かべた。綺麗だけど、どこか空虚で、造り物の人形のような。



「まだ日本の学校に入って一カ月だけど、ときどき感じるんだ」

「……感じる?」

「えっと……こういう気持ち、日本語で何て言うのかな。苦しい……じゃなくて、寂しい……でもなくて……」


 うつむきながら言葉を探すエリスに、俺は彼女の今の心情を表しているだろう、思い至った日本語を継いだ。


「……疎外感、ってやつか?」

「……そがいかん?」

「なんとなく仲間に入れてない、馴染めないって感じる気持ちのことだ」

「……うん、そうだね。それが近い、かも」


 そう言ったエリスは、また「あはは」と寂しそうに笑う。

 ようやく悟った。そうか、わざわざ彼女が俺を今日誘った本当の理由は……。


「ひょっとして、恭弥たちに何か言われたのか?」

 

 俺が聞くと、エリスは慌てて両手を振った。


「あ、ち、違うよ!? キョウヤ君たちはすごくよくしてくれてるよ!? ほかのみんなも親切だし!」

「……でも、本当にそうだったら、そんな顔しないよな?」


 俺だって恭弥を疑いたくはないが。重ねて問うと、エリスは「ううん」とかぶりを振った。


「何か酷いこと言われたり、仲間外れにされたりとかってことは、ほんとに全然ないの。ただ……」

「ただ?」

「その……何て言うのかな? みんなとうまくかみ合わないっていうか……。例えばだけど、授業とかで『何か質問のある人?』って先生が言うじゃない? だからわたしは質問があるから、質問をするの。日本ここで色々学びたくて、留学しようと思ったんだし」

 

 俺は頷く。余計な口は挟まず、続きを促した。


「でも、わたしが質問すると、クラスが嫌な雰囲気に変わるの、感じるんだ。それに、『質問がある人?』って聞いてきた先生が、なぜか驚いてたこともあったし。『え? 本当に質問するの?』みたいな反応だったの」


 ………。


「あとは、社会のグループ学習のときも。テーマに沿ってディスカッションをする授業だったのに、みんなずっと黙ってて。だからわたしが、『わたしはこう考えるんだけど、みんなはどう思うの?』って提案しても、誰も何も言ってくれなかった。賛成も、反対もしてくれなかった。だけど、なんか嫌な視線だけは感じて……」

「………」

「わたしが日本のルールを守ってないっていうなら、そういう反応もわかるんだ。でも、『質問してください』とか、『ディスカッションをしましょう』ってきちんと言ってるのに、それをやろうとすると変な雰囲気になるのが、どうしても、よくわからなくて」

 

 エリスの表情はますます沈んでいく。その美貌に陰影の割合が増していく。

  

「……日本の学生って、ディスカッションやディベートが苦手なんだよ。小学校の頃から聞くだけの受け身の授業ばっかりやるから。自分の意見を表明する機会が少ないんだ」


 俺はもっともらしい、だけど論点をすり替えていると自覚のある答えを口にした。

 エリスは首を左右に振る。


「……それはわたしも知ってたつもりだったよ。日本では謙虚で自己主張をしない人が多いって。でも、苦手なのと、主張した人を変な目で見るのは同じことじゃないよね?」

「……それは」


 まさに日本の悪しき習慣、『同調圧力』というヤツだった。誰も声を上げて批判も非難もしない。だが、何となく「みんな」と違う人間を受け入れようとせず、知らず知らずのうちに排除されていく、時代錯誤でくだらない社会システム。


「自分の考えや思いをちゃんと口にするの、そんなにおかしなことかな?」


 根源的な……それでいて、この国では……いや、この国の学校という世界の中では、即答しかねる問いだった。だから、俺はこう答えるしかなかった。


「……別におかしくなんてないさ。ただ、日本人は……日本の高校生は、そういうのに慣れてないだけだよ。だから、エリスみたいに自分の意見をちゃんと言う人間にびっくりしてるだけだ」


 酷い返しだ。自分でもそう思った。今、俺はエリスに「日本の学生は」とか「日本人は」だとか、主語を大きくした曖昧な一般論で煙に巻こうとしている。


「みんなが」

「誰もが」

「一緒に」


 エリスはもちろん、たくさんの陰キャや非リアたちが傷ついてきたであろう言葉を、俺は今、臆面もなく使っている。そういうのに馴染めなくて、納得できなくて、だから嫌いになって、俺の周りからは人が減っていったというのに。

 なのに。どうして俺は。


 そんな俺のごまかしを、エリスは当然のごとく逃がしてはくれない。


「じゃあ、ユウトは? ユウトは、わたしの疑問、どう思うの? 日本人は、とかじゃなくて」


 外国人らしい、英語で言うなら「What do “you” think?」という言葉で。


 彼女のこの問いには、「I」という主語を使わなくては答えることができない。「They」や「Everyone」では意味が伝わらない。


「……ユウト、言ってくれなきゃわからないよ」

  

 彼女たちは、そういう言葉の世界で生きている。


「……すまん。ちょっと……考えをまとめさせてくれるか。後で、ちゃんと答えるから。……絶対に」


 今はそう言うのが精一杯だった。


「…‥うん。ありがと、ユウト」


 コクンと頷いたエリスは、犬のマグカップを棚に戻すと、買い物かごを持っている俺に猫のマグカップをぽんと渡してくる。

 エリスは、「うん、猫もかわいい」と表情を緩めた。……こんな情けないヤツでも、彼女は俺の意見を採用してくれたらしい。


 マグカップを受け取った俺は、ふてぶてしい表情でサムズアップする猫に、「おまえはどう思うよ?」と呟いていた。

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