プロローグ後編 金髪美少女な彼女との出会い

 新学期を直前に控えた土曜日。親父たちは今頃、太平洋の上空を鉄の翼の中で漂っているころだろう。

 そして俺たちは。



「おーい悠斗。片付けは終わった?」

「美夏さん」


 俺たちが住むことになった部屋の玄関口から、ひょいと顔を出したのはマスターの長女である桐生美夏きりゅうみなつさんだった。彼女は俺より4つ年上の大学生で、俺が通っている庄本高校のOGでもある。明るくウェーブをかけた茶髪。くどくない化粧に整った目鼻立ち。いかにも今時の大学生、といった垢抜けた美人だ。美夏さんはマスターが経営する喫茶店、「ブラックキャット」の手伝いもしている。俺からすれば、学校でもバイト先でも先輩に当たることになる。


「はい。俺は荷物が少ないのでほとんど。琴音は部活から帰ったらきちんとやるそうです」

「そっか、お疲れ。今日はお店閉めてるし、ゆっくりしてていいよ。父さんも帰ってきてから、あんたと琴音にここでの生活について色々と説明するって」


 美夏さんはからからと笑いながら言う。彼女はあまり女子っぽくないあっけらかんとした性格で、ほとんどの女子が苦手な俺としては、緊張せず接することのできる数少ない相手である。


「わかりました。というか、今日は土曜なのになんで店を閉めてるんですか?」

「今日、父さんはちょっと用事があってね。空港まで人を出迎えに行ってるんだ」

「空港? 出迎え?」

「まあ、それは後のお楽しみってことで。それに悠斗、あんたにとっても悪い話じゃないと思うよ」

「はぁ……」


 マスターは脱サラして店を開くまでは、商社マンとして世界中を駆け回っていたらしいし、そのときに知り合った友達とかだろうか。でも、俺にとっても、ってのがよくわからん。


「いや、でもほんといいタイミングだったね。あんたの暗くて寂しーい青春にも彩りができそうで。お姉さんは感無量だよ。……むふふ」


 美夏さんは口に手を当て、やたらニヤニヤしている。基本いい人ではあるのだが、この人がこういう笑い方をするときは、あまりいい予感はしない。主に俺がおもちゃにされるという意味で。

 何とも嫌な予感を背筋に感じつつ、俺は残りの作業に取り掛かった。


    ×××


 そして、その日の夕方。

 美夏さんに促され、俺はブラックキャットの駐車場でマスターたちの到着を待っていた。


「でも、何で俺まで‥…」

「まあまあ。あ、ほら来たよ」

 

 美夏さんの視線の先を見ると、マスターの愛車であるレガシィがこちらに向かってくる。そのまま駐車場に入ると、スムーズな動きでバック停車した。

 髭面のマスターがフロントガラス越しの運転席から、「よう」と軽く手を振ってきた。そして、後部座席にいるであろう誰かに声をかける。


 待つこと数秒、一人の少女が大きなキャリーバッグを抱えて後ろのドアから降りてきた。


 俺は思わず目を見開く。


 真っ先に目に飛び込んできたのは、太陽のごとく煌くブロンドの長い髪。どう見ても外国人だった。

 その少女は、明らかに重そうな荷物を運ぶのに悪戦苦闘しながら、俺と美夏さんのもとへやってくると、服の乱れを軽く整える。そして、ニコリと柔和に微笑んだ。


 今度は、息を呑む。


「この子は、今日からウチでホームステイすることになったエリスちゃんだ」


 続いて降りてきたマスターが彼女を軽く紹介する。


「………」


 だが、俺の耳には大して届いていなかった。 

 その絹のような金髪が黄昏時の赤い光に照らされ、春風になびく様に目を奪われる。


 顔も、そこらの可愛いとかと言われる日本の女子高生とはレベルが違う。雪化粧のごとく、というありきたりな比喩では物足りないくらいのきめ細かな白い肌。アーモンド形の大きな目と、透き通ったエメラルドを思わせる碧色の瞳。それでいながら、日本の春に溶け込んだかのような薄手のブラウスとピンクのカーディガンに、膝丈まである上品なフレアスカートを合わせていた。


 決して華美ではないシンプルな装いなのに、ある種のオーラというか、神々しさみたいなものを感じる。切り取られた風景画でも見ているかのようで、現実味がない。


 有り体に言えば、俺は思い切り見惚れてしまっていたということだ。


 エリスと呼ばれた少女は、一歩前に踏み出すと、優雅な仕草で恭しく一礼をしてみせる。

 ……ていうか、この子何人? 何語で挨拶したらいいんだ? ハロー? ボンジュール?? グーテンモルゲン??? スパシーバ???? いや、スパシーバはこんにちはじゃなかったよな? ダメだ、さっぱりわからねえ。

 情けなく俺が狼狽していると、薄いパールで彩られた彼女の小さな口が動いた。


「こんにちは。わたしはエリス・ランフォードといいます。君がユウト・カシワザキ、ね?」


 予想外にも、ずっと流暢な日本語が彼女の口から滑り出してきた。

 聞き慣れた言語での挨拶に、少しだけ我に返る。


「あ、は、はい、そうです。お、俺が柏崎悠斗……です」


 とはいっても、わかりやすくどもってしまうことには変わりはないのだが。俺のような陰キャなら至極当然のリアクションである。あと、女子相手にはつい敬語になっちゃうのもね。


「え、えっと……どうして俺の名前を?」

「ゴローがここに来るまでにたくさん教えてくれたの。わたしと同い年の男の子が一緒に住むことになってるって」


 エリスさんはクスクスと上品に笑うと、マスターが言葉を継ぐ。


「エリスちゃんは俺の友人夫婦の娘でな。ウチで預かることになったんだ。4月…つまり来週から、おまえと同じ庄本高校の2年生として編入することになる」

「留学生ってことですか?」

「そうだ。ちょうど1年間だな」


 庄本高校はそこそこの私立の進学校ということもあって、留学生の受け入れ自体はまったくないというわけではない。しかし、当たり前といえば当たり前だが、俺にとっては無縁の話だった。


「いくら日本語ができるとはいえ、文化も習慣もまったく違う異国の地だ。色々と簡単にはいかないところも出てくるだろう。悠斗、仲良くしてやってくれ」

「は、はあ……」

 

 マスターが言うには、エリスさんは欧州の中でも、北にある小さな国の出身だという。マスターは、貿易会社を営む彼女の両親と一緒に仕事をしたときに、彼女と知り合ったそうだ。てっきり貴族とか王族とか、そういうのかと思った。……ラノベの読み過ぎだな。


 エリスさんは一歩足を前に踏み出すと、俺の目の前に立つ。その間には、人ひとり入れるスペースもない。な、何か近いんだけど……。

 エリスさんは屈託のない笑みを浮かべながら言った。


「日本には何度も来たことはあるんだけど、さすがに暮らすのは初めてだから。ちょっと不安だったんだけど……ゴローやミナツから『ユウトはシャイだけど、優しくてしっかりした男の子だから頼りにしていい』って言われたの。だから……いろいろ教えてね、ユウト」

「え? あ、いや……」


 何というか、このたった数往復の会話(?)だけでも、今までの俺の周りにはいない(接点のない)タイプだと直感する。日本人で、初対面の相手にいきなりこれだけの直球を放る人間はそうはいまい。

 ましてや、キャッチャーがこの俺で、始球式をしたのが見た目麗しい女子ならなおさらである。

 これまでの経験則にないやりとりにいたたまれなくなって視線を逸らすと、美夏さんが意地悪い表情でニヤニヤしていた。


「そうそう。悠斗にはこの子が早く日本の学校に馴染めるよう、使命を与えるよ。騎士だ騎士」

「いや、騎士って……」


 意味わからんし、俺に当てはまりなさすぎてヤバい。彼女が主人公の物語があるとするなら、そのへんの村人Aですら俺の手に余ってしまいそうだ。役不足(意図的な誤用)である。


「ふふっ、そうだね。よろしくね、ユウト」


 だが、エリスさんは美夏さんの妄言を気にした様子もなく、ますますはにかんだ笑顔を見せると、ごく自然な所作で右手をスッとこちらに差し出してきた。確認するまでもなく、握手しようということだ。欧州の人にとってはごく自然の行動なんだろう。


 だが、理屈ではわかっていても、俺の身体は石化の呪文でもかけられたように硬直していた。初対面の人間と握手する(というか相手の体に触れる)習慣なんて日本にはない。もっと言うと、俺の場合は初対面じゃなかろうがそんな機会などほとんどない。もっともっと言うと、女子が相手なら完全にゼロである。

 完璧に緊張してしまっていた。……握手し返したらセクハラで訴えられないよな? あとで、「手ぬるぬるしててキモかったーw」とか言われないよな?


「? どうしたの?」


 エリスさんは可愛らしく首を傾げた。くっ、破壊力高え…‥。

 俺は後ろ手でグーパーと一人じゃんけんをしながら手のひらが湿っていないことを確めると、おそるおそる手を差し出し、彼女の白く柔らかい手を握る。

 ……最小限の力で。


「あ、ああ。よろしく、ランフォードさん。俺にできることなら協力するよ」

 

 と、俺の中ではわりと頑張ったセリフのつもりだったのだが、


「むー……」

 

 エリスさんは何かが気に食わなかったようで、わざとらしく、可愛らしくむくれる。そして、わざわざ気を遣って触れる面積を小さくしていた俺の手を、彼女はギュッと握った。

 もちろん痛くはない。だが、その柔らかさに俺は思わず悲鳴を上げそうになった。


「エリスだよ、ユウト」

「え?」

「わたしたちの国では、同年代の相手をファミリーネームで呼ぶなんてそうそうないんだよ? というか、日本でも同級生ならファーストネームで呼び合うのは普通だよね?」

「え、い、いやそれは……」


 それは違うんですよエリスさん。日本では同級生といえど、誰でもファーストネームで呼び合うわけじゃないんです。特に高校生の間では、呼び名というのは相手との距離間を測るバロメーターであり、カーストを規定するルールでもあり、周囲の人間にマウント取るためのパワーワードでもあり、そんな単純なものではないんです。ですから、女子を気軽に下の名前で呼び捨てするなんて、一部の上級国民ならず上級男子にしか許されない所業なんです。俺なんて幼なじみですら苗字呼びですよ?

 とか、ああだこうだと説明してみようと思ったが、文化や習慣の違う彼女に通じるわけもなく。


「………」


 彼女は、微妙な三白眼でじろりと俺を睨んでくる。こんな表情でも可愛いんだから反則である。

 俺はやれやれと観念した。まあ、家でなら周囲に学校の人間は誰もいないし、確かに彼女の言うように外国人なら普通のことだし、厄介なことにはならないだろう。


「……ああ、わかったよ。よろしく、“エリス”」


「うん! ユウト!」

 

 エリスさ……エリスは向日葵が咲いたかのような笑みを見せる。俺はまたしてもぽかーんと見惚れてしまった。

 

 ……なのに。


 何だろう、この心の奥底にわだかまる、底冷えした感覚は。

 完璧なまでに彼女の容姿と表情に目を奪われているはずなのに。

 こんな、ファンタジー世界からそのまま飛び出してきたかのような美少女と同じ屋根の下(いや、正確には違うけど)で、これから一緒に生活するはずなのに。

 それなのに、俺の脳内では、「浮かれてんじゃねえぞ」「勘違いすんな」「身の程知っとけ」というアラートがずっと鳴り響いていた。

 俺は相も変わらず、非リアな陰キャらしく、それなりにひねくれていて、そして諦めているらしい。

 

 まあ、俺はこんな他人が羨むシチュエーションを前にしても、斜に構えられる自分のシニカルさが嫌いじゃないけど。

 

 同時に、俺はこんな美少女を前にしても、有頂天になりきれず、妙なプライドで身を守ろうとする自分が、好きでもないけど。


 そんな俺のしょうもなく、情けない、砂上の楼閣のような心の壁は、この少女、エリス・ランフォードの強さと真っ直ぐさによって、あっさり壊されることになる。


 ……もちろん、それは必ずしもいい意味だけでというわけではなかったけれど。

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