第60話 ムチャとトロンvs絶望の劇団12

 一方その頃、トロンは劇場内にある舞台上にて、『影のルシール』の影魔法により、手足をぐるぐる巻きに縛られて転がされていた。

 かれこれ数時間はこの状態でいるため、トロンの腹は空腹を報せるグルルという音を先程から何度も発している。

 しかし、トロンが珍しく空腹よりも気にしている事は、先程劇場から逃したムチャの事であった。


 ムチャはうまく逃げただろうか。

 もしかしたら自分を助けに戻って来てしまうのではなかろうか。

 それとも先程から姿を見せないグリーム達に捕まってしまっただろうか。

 ムチャに対する心配がトロンの脳内をぐるぐると巡る。

 トロンはムチャに対して淡白な態度を取る事も多いが、実は密かにいざとなればムチャのために命を捨てる覚悟すら持っていた。だから先程は身を呈してムチャを劇場の外へと逃したのだ。

 トロンは自分をあの図書室から連れ出してくれたムチャに対する大きな恩義を感じており、いつかあの時の借りを返したいと常々考えていた。だから、ムチャがこのまま戻ってこなくても良いと思っていたのだ。


「ねぇ」

 トロンは舞台上の椅子に腰掛けて本を読んでいるルシールに呼びかけるが、返事はない。


「ねぇ、どうしてこんな事するの? 私達にも、町の人達にも」

 すると、ルシールは本から顔を上げ、トロンを見る。

 そして返事を返した。


「それは先程申し上げました」

「ムチャのお父さんの……魔王の意志を継いだからだよね?」

「そうです」

「魔王ってさ、本当にこんな事望んでたの? 人の心を壊したりとか、ムチャを新しい魔王にするとかさ」

 それは先程グリーム達と相対した時から、トロンが違和感を覚えている事であった。

 かつて旅の吟遊詩人であった魔王は、人間によって愛する人を殺され、持っていた力に飲み込まれて魔王となったという。それは確かめようがないが本当の事なのかもしれない。しかし、魔王の死に際については疑問を持たざるを得ない。


「あなた達のお芝居って、魔王の人生を再現したものなんでしょう?」


 かつてムチャの師匠でありトロンの恩人であるケンセイは、魔王は死に際にムチャの幸せを願って死んだと言っていた。しかしグリーム達の芝居では、魔王は死ぬまで人間達を呪いながら死んでいったと演じていた。どちらが真実かはやはり確かめる術はないが、どちらかといえば魔王を倒し、その死に際を看取ったケンセイの話の方が信憑性があるような気がする。


「あなた達は魔王の死に際を見ていたの?」

 トロンの問いに、ルシールは無表情ながら僅かに動揺の色を見せる。


「……いいえ」

「グリームも?」

「見てはいません。あの時我々は別の地で人間の軍と争っていましたから」

「じゃあ、あのお芝居の魔王の死に方は想像って事?」

「それは——」

 そこまで口にしてルシールは口籠る。


「ただの想像じゃないよね。だってあなた達はあんなに魔王にこだわってるんだもの」

 そう、トロンはケンセイの見た魔王の死に際の話を信じているが、魔王の意志を継ぎ、魔王の息子であるムチャと自分の心臓を使って新たなる魔王を生み出そうとまでしているグリーム達がただ想像だけで魔王の死に際を演じているとは思えなかった。となると、その矛盾を埋める可能性は限られてくる。

 ケンセイが嘘をついているか、あるいは何者かがグリーム達に嘘の魔王の死に際を伝えたか——だ。

 もし魔王がムチャを想いながら死んだ事を知っていれば、グリーム達はこのような事をしただろうか。


 トロンがそのような事を考えていると、ふと慣れ親しんだ気配を感じてハッとする。ルシールも同じ気配を感じたのか、劇場の入り口の方を見ていた。


「やはり、戻って来たようですね」


 トロンはムチャに戻って来て欲しくなかった。

 だけど、心のどこかでは戻ってくる事がわかっていた。

 ムチャが自分を見捨てるはずがないと。

 例え敵対する相手がどれだけ強かろうと。

 戻って来たムチャの愚かさがトロンには悲しく、もどかしく、しかし、嬉しかった。


 そして、ムチャが戻ってくる事を想定していたトロンはただ黙って転がされていただけではなかった。


「……もう、ムチャのバカ」


 トロンを後ろ手に縛る影が、チリチリと焦げるように煙を上げ始める。ルシールがそれに気付いた時にはもう遅かった。


「フンっ」

 トロンが気合を入れると、手足を拘束していた影が千切れ、トロンの手足が自由になる。

 実はトロンは捕まった時から、肌に接している影に自らの魔力を少しずつ流し込み、その結合を解く準備をしていたのだ。それは非常に高度な技術であり、魔法を解かれたルシールは驚く。


「流石は魔王様の心臓を持つ者。逃げようと思えばいつでも逃げられたというわけですか」

「まぁ、いつでもってほどじゃないけど……。でも、私が逃げたらあなた達は全員でムチャを追ってたでしょう?」

「いえ、御子息だけではなくあなたも追っていましたよ。そして……」


 ルシールはトロンに手をかざし、魔力を込める。


「どちらも逃すつもりはありませんでした」

 ルシールの角が発光し、トロンに向かって無数の影が伸びる。

 トロンは後方に下がって距離を取るが、あっという間に周囲を影に取り囲まれてしまった。


「せっかく拘束を解かれたところ申し訳ありませんが、これで詰みです。正面から正々堂々戦えばあなたは私より強いでしょう。しかし、今あなたの手には戦いに必要な物がない」

 トロンはルシールの背後を見やる。

 そこにはトロンが愛用している大きな杖があり、杖はご丁寧に影によって舞台上に貼り付けられていた。


「あなたは杖がなければ魔法を扱うことができない。違いますか?」

 ルシールの言う事は的を射ていた。

 魔法使いの杖は、飛行用の箒と同じでただの木の棒ではない。

 杖の芯に魔力伝達物を仕込んだり、紋章を刻む事により、魔法使いの魔法のコントロールのサポートをしてくれる役割があるのだ。また、魔族の角も杖と同じ働きをする場合もある。

 熟練の魔法使いならば素手や簡易的な杖で魔法をコントロールできるのだが、トロンは様々な魔法を身につけてはいるが、魔王の心臓から生み出される魔力の大きさのせいで杖がなければまともに魔法を放つ事ができないのだ。


「痛くはしませんので、大人しくしていて下さい」

 ルシールの指が素早く複雑に動き、空を切る。

 すると、トロンを取り囲んでいた影達がトロンへと一斉に襲い掛かった。

 トロンは全身を影に包まれ、その姿が見えなくなる。

 ルシールはそのまま影を繭状にしてトロンの全身を締め付け、今度こそ完全に拘束した——かに思えた。


「あぐっ」


 影の繭の中からトロンの声が響き、繭の一部に小さな穴が空いた。


「あぐっ、あぐっ」


 トロンの声が響く度に、その穴は徐々に大きくなり、穴から白い何かが覗く。


「ば、馬鹿な……」

 それまでクールな表情を崩さなかったルシールは目を見開く。

 繭の穴から覗くもの、それは白く輝くトロンの歯であった。


「あぐっ、あぐっ、あぐっ、あぐっ……」

 歯が上下に動く度に穴は更に広がり、中に閉じ込められたトロンの顔が露わになる。その頬は何かを含んだかのようにぷっくりと膨らみ、もむもむと咀嚼をしているようであった。


「影を……食べている!?」

 そう、トロンはルシールの魔法である影を食べていたのだ。


「貧乏旅に慣れるとね、何でも食べられるようになるんだよ」

 そう言ってトロンは影を唇で挟むと、一呼吸置いて一気にすすり上げる。すると、影はみるみるうちにトロンの口内に吸い込まれ始めた。そして影が繋がっているルシールの体内からも、魔力が止めどなく溢れ出し、影を伝って吸い込まれてゆく。


「か、影よ!!」

 ルシールが慌てて影を切り離した時にはもう遅く、ルシールの魔力の大半はトロン口内に吸い上げられてしまっていた。


「そ、それは魔王の心臓の力ですか!?」

 魔力を吸われた疲労感により膝をつき、驚愕するルシールの問いに、トロンはもぐもぐと口を動かしながら答える。


「多分ね。でも、そういうのは私を『作った』人に聞いて」

 トロンが口に手を当てて小さくゲップをすると、魔力を吸い尽くされたルシールは急激に疲労感に襲われ、白目を剥いて気を失った。


「手足だけをしっかり縛られてたら、それこそ歯が立たなかったかも。なんちゃって」

 トロンは気絶したルシールを素通りすると、杖を拾い上げ、ムチャの気配のする方へと目をやる。そちらにはムチャの気配の他にもう一つ、禍々しい力を持った気配が感じ取れた。

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