第53話 ムチャとトロンvs絶望の劇団5
「さて、どうしたもんかな」
ムチャは肩をすくめてトロンを見る。
お笑いもできない、追っ手もやってきたとなれば、この町に長居する理由もない。日暮れは近付いて来ているが、早々に町を出る方が賢い選択である事は明らかだ。しかし、トロンはまだ例の劇場と町の異様さが気になっていた。この町で起こっている事が、自分達と関わりのある事のような気がしてならなかったのだ。
そんなトロンの目に、道端に座り込み、宙を見つめているまだ幼い少年が映った。少年は虚な目をしているが、口元を小さく動かして何かを呟いている。
「オトウサン……オカアサン……ルッカ……」
トロンは少年を驚かさぬようにゆっくりと歩み寄ると、意識を確認するように少年の眼前で手を振る。しかし、少年から反応は返ってこない。次にトロンは少年の頭に軽く杖を当て、目を閉じた。
「おい、トロン。何やってるんだ?」
ムチャの問いに、トロンは答える。
「……この子、心が奪われてる」
「どういう意味だ?」
「なんていうか、心の中が空っぽなの。うまく言えないけど、頭の中が何も見えないっていうか、思考が薄いっていうか……」
それを聞いたムチャは首を傾げつつ、少年の頭に手を伸ばす。
そして、全身から喜の感情術の発動を表す黄色いオーラを放ち、それを少年の頭へと流し込んだ。
少年はやはり何も反応を返さない。
「笑わないか。おかしいな……」
本来であれば、喜の感情術を流し込まれた者は喜びを感じ、笑みを浮かべたり、思わず体が動いてしまう等のリアクションがあるはずである。少年が何の反応も示さないのは妙な事であった。
ムチャは更に強く感情術を放ち、少年へと喜のオーラを送り込み続ける。すると——
「あ……あぁ……」
それまで虚だった少年の目に光が宿り、喉から声が漏れ出てきた。
ムチャは感情術を止めて、少年の肩を揺する。
「おい、お前どうしたんだ? 何があった?」
すると、少年は——ラキは、目に涙を浮かべて喉から言葉を絞り出すように呟いた。
「み、みんなを……ルッカ達を……タスケテ……」
『助けて』
そう言われてしまうと無視する事ができないのが、ムチャとトロンというお笑いコンビであった。
それから二人は、衰弱している様子のラキに水と食料を与え、何があったのか、そしてこの町で何が起こっているのかを聞いた。ラキは二人に名を名乗り、二日前の誕生日に起こった出来事を辿々しく語った。
「芝居を観ていた人達が、みんな放心状態に?」
「うん、僕もそれからはよく覚えていなくて……ただ暗闇の中にいるような感覚で、何もかもがどうでもよくなって、気がついたら劇場を出てここにいたんだ……」
二人にとってラキの話は荒唐無稽な話に聞こえたが、ラキがそんな嘘をつく理由が二人には思い浮かばず、何よりトロンは先程からずっと劇場を取り巻く異様な気配を気にしていた。町に溢れているボーッとしている人々は、恐らく劇場にてラキのように心に何か細工をされた人々なのだろう。もしかしたら町のあちこちで喧嘩をしていた人々もそれに関係しているのかもしれない。
「僕がお芝居を観に行こうなんて言ったから……お父さんも、お母さんも、ルッカも……。ねぇ、お願い! ルッカ達を助けて! 何でもするから! もう誕生日にお芝居を観たいなんて思わないから……!!」
ラキの叫びは悲痛だった。
ラキは悔いていた。
もしあの時自分があの男に愚痴をこぼしたりしなければ、チケットを受け取ったりしなければ、家族が芝居を観に行く事などなかった。芝居を観にいかなければ、家族があんな目に遭う事もなかったと。
そんなラキの頭に、ムチャは優しく手を乗せた。
「なぁ、俺は自分の誕生日を知らねぇけどさ、誕生日ってめでたい日なんだろ?」
親の顔すら覚えていないムチャは、自分の誕生日を知らない。
トロンも自分の誕生日を知らない。
だけど、ラキの話の中で『誕生日』というものが特別な日である事はわかった。
「お前は悪くねぇよ。いいじゃねぇか、特別な日に特別なものが観たいって気持ちが、悪い事のはずがねぇだろ」
ムチャの声は優しかった。
しかし、その声には僅かに怒りが込もっている事が、ラキにはわかった。
「でもよ、そんな気持ちを踏みにじる奴は許せねぇ。舞台に立つ人間が、お客さんに危害を加えるなんてあっちゃいけねぇんだ」
ムチャ達には、助けを求めてきたラキを助けてあげたいという気持ちがある。しかしそれ以上に、芸で生きている人間として、舞台を観に来た人々の心に細工をした謎の劇団が、ラキの素直な気持ちを踏みにじった連中が許せなかった。
ムチャはラキの頭から手を放すと、トロンと共にラキに背を向ける。
「ラキ、お前は衛兵に今の話を伝えてくれ」
「う、うん……。でも、あんた達はどうするの?」
「俺達はその劇団の連中にちょっくら説教してくる」
そう言って劇場に向かって歩いてゆく二人の背に、ラキは問いかける。
「せ、説教って……!! あんた達はいったい……!?」
二人は振り返り、ラキの問いに答える。
「なぁに、俺達は」
「ただのお笑いコンビだよ」
そしてラキに向かってグッと親指を立てた。
「事が済んだら、お前の誕生日祝いにプライベートライブを開催してやるよ!」
そう言って再び劇場へと歩み始めた二人の背を、ラキはただ唖然として見送る事しかできなかった。
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