第49話 ムチャとトロンvs絶望の劇団1

 それは、サミーナ王国の王都グラディアから程近い、セッコの町の町外れに住む木こりの息子、ラキの十歳の誕生日の事だった。


 ラキが父親の割ってくれた薪を町に売りに出ると、大通りでビラを配っている一人の男を見かけた。

 血のように赤い服を着た、妙に手足が長い細身の男は、前を素通りしようとしたラキの行手を塞ぐようにビラを差し出す。

 ラキがビラを見ると、そこにはこう書かれていた。


『グリーム幻想劇団による、最高のエンターテインメントショー! 演目「勇者と魔王」』


 ラキは男の手を押し除けて、睨み付ける。


「こんなものいらないよ!」

 すると、男は大袈裟に驚きの表情を浮かべ、ラキに聞いた。


「おや、どうしてだい?」

 ラキはその時ようやく男の顔をちゃんと見たが、男は若くハンサムではあるが、やけに顔色が悪い。まるでそのように見えるメイクでもしているかのようだ。


「ウチは貧乏だからお芝居なんて見に行けないよ! 今日は俺の誕生日だってのに、こうやって薪売りやらされてるし、誕生日プレゼントだって買って貰えないんだ! ビラを配るなら金持ちそうな奴に配れよ!」


 それは、完全に自らの家庭の貧しさからくる八つ当たりであった。

 十歳になるラキは自分の家庭の経済状況をある程度は把握している。

 町中に住む普通の子供達のように、誕生日毎に玩具や欲しい物を買い与えられるような環境に無い事も。

 しかし、その現状をすんなり受け入れるには、ラキはまだ少し幼かった。神様か、両親か、あるいは道端でビラ配りをしている男にでも八つ当たりくらいしなければやりきれなかったのだ。

 すると、今度は男は大袈裟に悲しげな表情を浮かべる。まるでラキをバカにしているようだ。


 しかし、次に男が口にした言葉に、ラキは自分の耳を疑う。


「可哀想に。君は自分の現状に絶望しているんだね。それなら、このチケットをあげよう。もちろんお代はいらないよ」

 そう言って男はビラを引っ込め、代わりに真っ黒なチケットを差し出す。


「このチケットがあれば、何人でも無料でお芝居が見られる。今夜町の劇場に家族と一緒に見に来たらいいよ。私からの誕生日プレゼントだ」

 ラキはおずおずと、男からチケットを受け取った。


 チケットには演目と開演日時と公演場所が書かれており、ラキが男に礼を言おうとチケットから顔を上げると、

「あれ?」

 そこにはもう誰もいなかった。


 ラキが薪売りも早々に家に飛んで帰り、両親と妹に先程あった話をしてチケットを見せると、両親はやや訝しげな顔をしたものの妹のルッカは、

「本当!? お芝居が見れるの!? 私、お芝居観るの初めて!」

 と、飛び跳ねて喜んだ。

 両親は初め「からかわれたのではないか」「騙されているのではないか」と言っていたが、ラキとルッカの熱烈な説得により、結局家族全員でお芝居を観に行く事になった。

 ラキの両親も胸の内ではラキの誕生日を祝ってやれぬ事に罪悪感を抱いていたのだ。


 夕方になり、ラキ一家は貧しいなりに精一杯のおめかしをして、お芝居の公演場所である町の劇場へと出かける。ラキにとって家族全員での外出など、年に一度町で行われる祭りの日以外では初めての事であった。


 劇場に着くと、入り口では昼間にラキにチケットをくれた顔色の悪い男がもぎりをやっており、ラキがチケットを差し出すと、ラキの家族を見渡してニッコリと笑った。


「ありがとう、来てくれたんだね。楽しんでいってね」


 ラキは男に先程八つ当たりをしてしまった謝罪をし、チケットをくれた事の礼をすると、劇場へと足を踏み入れる。すると、天井に埋め込まれた魔石の照明で照らされた二百席程ある客席は、既にほぼ全て埋まっており、ラキ一家は最後列の席に座った。


 開演を待つ間、前列に座る人々の後ろ姿を見ながら、ラキはとても誇らしい気分だった。貰い物のチケットで席に座れているとはいえ、「自分だってお芝居を観てもいいんだ」「幸せな誕生日を過ごしても良いんだ」そんな気持ちがラキの胸を満たしていたのだ。


 しばらくすると照明が落ち、舞台上にスポットライトが当たる。

 そしてライトの中央にスーッと足元から姿を現したのは、先程もぎりをやっていたあの男であった。男は客席を見渡すと、咳払いをして開演の挨拶を始める。


「本日は、当劇団の公演『勇者と魔王』にお越し頂き、誠にありがとうございます。私は当劇団の座長、グリームと申します」

 ラキはビラ配りやもぎりをしていたあの男が座長という立場であった事に驚く。


「さてさて、長々とした挨拶を好む奇特な方はいないと思われますので、早速演目の方を始めさせていただきたいと思います。本日の演目は、大いなる運命に翻弄された二人の男の物語、希望と絶望に彩られた、二人の男の人生の物語で御座います。どうぞ最後まで、ごゆっくりご覧下さい……」


 グリームと名乗った男が観客達からの拍手を浴びながら闇へと消えると、お芝居はすぐに始まった。


 芝居の内容は、グリーム演じる一人の青年が魔王となるまでの過程、そして魔王になってからの勇者との戦いが描かれた、魔王視点の物語であった。

 爽快感のある勇者の冒険活劇を期待していたラキはその内容に少しガッカリしたが、観ているうちに魔王を演じるグリームの熱演に徐々にのめり込んでゆく。途中で感じ始めた尿意を限界まで我慢してしまうほどに。


 芝居のクライマックスでは、勇者と魔王が死闘を繰り広げ、勇者に倒された魔王は死に際に呪いの言葉を放った。


「この世界の全てに絶望あれ」


 と。


 舞台の幕が降り始め、観客達からの万雷の拍手とエンディングの笛の音が鳴り響く中、ラキは素早く席を立ち、客席から飛び出す。これまで必死に我慢していた尿意が既に限界寸前だったのだ。


 トイレを済ませて客席へと戻る途中、ラキは客席の方から妙な気配を感じた。先程まで聞こえていた拍手は鳴り止み、劇場内は不気味な程にすっかり鎮まり返っている。


 ラキが恐る恐る客席への扉を開き中を覗くと、観客達は席に座ったまま眠っているかのようにピクリとも動かない。離れた所に見えるラキの家族もそうだ。よくよく見ると、観客達は眠っているのではなく、虚な目をしてただボーッと舞台上を見つめている。


「な、何……!?」

 ただならぬ様子に、ラキはその場から逃げ出そうと後ずさる。すると——


 ドン


 ラキは背後に立っていた何者かにぶつかり、喉から心臓が飛び出す程に驚く。そして振り返ると、そこには血のように赤い服を着た手足の長い男——グリームが笑みを浮かべて立っていた。


「おや、どうしたのかな?」

「あ、あぁ……!!」

 グリームの放つ得体の知れぬ迫力に、ラキはその場を動く事ができなかった。


「さぁ、君もこちらへおいで。果てしない絶望の世界へと————」


 グリームの手がゆっくりと、ガタガタと震えるラキの頭へと伸ばされた。

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