第45話 ムチャとトロンの旅立ち。10
バチバチバヂバチバヂバヂ
ケンセイが触れている結界が火花を散らし、ケンセイの全身が電撃を受けたかのように激しく痙攣する。それでもケンセイは結界から手を離さない。
「ケンセイ!!!!」
「ヒャハハハ!! 私に殺されるよりも自ら死を選ぶ事にしましたか!! いいでしょう。勇者の死に様、しかと見届けさせていただきます!!」
ケンセイの腹に開いた傷口から、大量の血が溢れ出す。
それでもケンセイは笑みを絶やさぬまま、ムチャに語り掛ける。
「ムチャ、俺がどうしてお笑い芸人をやっているのか、まだ答えて無かったな」
「そんな事どうでもいいよ!! 結界から手を離せ!!」
「いいから聞けよ——」
『これが最期だから』とは、ケンセイは言わなかった。
しかし、ムチャにはケンセイの想いが伝わってきた。
別れの時が近付いているのだと、今が大人にならねばならない時なのだと。
ケンセイが結界に触れている右手は、皮が焼け、焦げ臭い匂いを放ち始めている。
「俺が芸人を始めたのは、ある男と約束したからだ。そいつは多くの人の悲しみや恨みを背負い過ぎて、自分もそれに呑まれちまった可哀想な奴だ。俺はそいつと何度も剣を交えるうちに、そいつの事を敵であると同時に、互いを分かり合える唯一の存在だと思うようになった」
ムチャは涙を堪え、歯を食いしばり、一言一句を聞き逃さぬようにケンセイの話に耳を傾ける。
「そいつは死に際に言った。『俺は悲しみばかりを見て、悲しく生きた。だからせめて俺の子供には、美しい世界を見せてやってくれ』ってな。だから俺は、そいつの息子に人々の笑顔を見せてやるために芸人になったんだ」
「それって、まさか……」
ケンセイの腕が弾け、ムチャの顔に血が飛び散る。
それでもムチャは瞬きすらせずにケンセイの姿を見続ける。
「なぁ、ムチャ。勇者だろうが英雄だろうが、誰かを殺して生きてきた人間の末路なんてのはこんなもんだ。だからお前は、これからも芸人を続けてくれ。いや、芸人じゃなくてもいい、人を笑顔にする生き方を続けてくれ」
ムチャは力強く頷いた。
何度も、何度も。
その目から、大粒の涙を零しながら。
ケンセイは少女にも語り掛ける。
「お嬢ちゃん、あんたも大変なもん背負っちまったな。まぁ、良かったらだけど、俺の弟子をよろしく頼む。こいつはバカだけど、悪い奴じゃねぇからさ」
少女はただ一度、大きく頷いた。
「さぁて、もう残すもんは何もねぇな。後できるのは笑って死ぬ事と……そうそう、新しい芸人コンビに花道を開いてやらねぇとな」
ケンセイが既に炭に近くなっている右手に力を込めると、ケンセイの全身から四色のオーラが溢れ出す。
黄色く輝く『喜』のオーラ。
赤く輝く『怒』のオーラ。
青く輝く『哀』のオーラ。
緑色に輝く『楽』のオーラ。
右手へと注がれる四色のオーラの中に、ケンセイはこれまでの人生の全てを見た。
ふと、結界に触れるケンセイの手に、白く細い小さな手が触れる。
ケンセイが隣を見ると、そこには優しく微笑むクレアの姿が見えた。
ケンセイは一瞬驚き、再び笑みを浮かべる。
そしてクレアに頷くと、最後の力を解き放つ。
「聞いて驚け見て笑え!! これが人の心の力!! これが芸人ケンセイの最後の芸だ!!」
結界が地響きを立てて揺れ始め、大きくヒビが入る。
「バ、バカな!?」
セシルが杖を振ろうとした時にはもう遅かった。
結界は涼やかな音を立て、砕け散った。
結界のかけらが雪のように舞い散る中、ケンセイは膝をつき、その場に崩れ落ちる。
「ケンセイーーー!!」
ムチャと少女はケンセイに駆け寄る。
ケンセイの右腕、いや、右半身は炭化しており、その顔色は青を通り越して白かった。
「ケンセイ! 死ぬなケンセイ!」
とうに滅びていてもおかしくないその肉体は、不思議な事にまだ意識を保つ事を許している。
「神様ってのは随分ワガママを聞いてくれるもんだなぁ、ムチャ」
「ケンセイ! もう喋るな!」
ケンセイの頬に、ムチャの涙が雨のように滴り落ちる。
そしてその隣に立つ少女の目からも、涙が溢れていた。
少女の杖から治癒の魔法の光が放たれるが、肉体の損傷が激し過ぎるのか、効果は無い。だが、それがケンセイに弟子との別れを告げる最後の時間を与えた。
「なぁ、ムチャ……俺と旅をして、楽しかったか?」
「楽しかったよ! ひもじくても、野宿ばっかりでも、ネタがうけなくても、ずっとずっと楽しかったよ!」
それは、ムチャの本心からの言葉だった。
確かに二人の旅は貧しかった。
辛い事もあった。
でも、二人でいればいつでも心は豊かだった。
「そうか……なら良かった……」
ムチャの言葉にケンセイは安堵の笑みを浮かべる。
もう、やり残した事は何一つ無かった。
「だから死ぬな! 死ぬなよ!」
「いいんだ、もういい。俺は十分生きた……でもよ、最後にワガママを一つだけ聞いてくれ……」
「何だよ!? 何でも言えよ!」
開こうとしたケンセイの口は、もう動かなかった。
(最後に、お前の笑顔を————)
薄れゆく意識の中でケンセイが見たものは、涙でクシャクシャになったムチャの笑顔だった。
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