第40話 ムチャとトロンの旅立ち。5

「こ、これは……」

 地下墓地の更に地下深く。

 隠された地下室に置かれた一つの水晶を前にして、ケンセイは額から冷や汗を垂らし、驚愕の表情を浮かべていた。


「なぜここに……」

 ケンセイの目の前にある水晶の中に封じられていたのは、

「どうですか? 懐かしいでしょう?」

 かつて魔王と呼ばれた男の遺体であった。


「セシル! なぜこいつの死体がここにある!? これはサミーナ王国軍に回収されて、火葬された筈だ! こいつは安らかに眠った筈なんだ!」

「いいえ、あれは他の死体を加工して作られた偽物ですよ。本物の死体は密かに我々が回収して、保管しておいたのです」

「どうしてそんな事を!?」


 ケンセイが背後に立つセシルへと振り向こうとした時、

「がっ……!?」

 腹に強い衝撃が走り、ケンセイはガクリと膝をつく。

 灼けたような痛みが走る腹を見ると、そこには魔術式の刻まれた歪な形の短剣が突き刺さっていた。


「魔王があなた達に敗北する事を悟った時、いや、それよりも随分と前から我々は準備していたのですよ。次の争いに向けて……」

 血のついた手を拭うセシルの眼鏡の奥で、邪悪な眼光が輝く。


「次の争い……?」

「そう、魔王が敗れ、魔王軍が消滅すれば、共通の敵を前に一時的に団結していた国々はまたバラバラになる。そうなれば次に待っているのは、魔王軍が現れる以前と同じ、国同士の争いですよ」

 セシルの言う通り、魔王軍が現れる以前の世界も平和とは言い難かった。大きな戦こそ長い間起こってはいなかったものの、各国の国境線沿いでは、僅かな領地を争う小競り合いが多発し、常に隣国を警戒する状況が続いていた。


「それが、こいつの死体となんの関係がある?」

 セシルは魔王の左胸を指差す。

「見てください」

 そこにはポッカリと空洞が空いており、まるで抉られたかのような有様になっている。


「あなたも知らなかったでしょうが、彼の魔力の源は心臓と、そして心臓が作り出す血液にあったのです」

「心臓……?」

「では、その心臓を取り出し、人間に移植する事ができたらどうなるでしょうか?」

「まさか……お前!?」

 ケンセイは既にその答えを悟っていた。


「そう、最強の魔法兵の完成ですよ」

 セシルの顔には、もう先程まで浮かんでいた優しげな青年の面影はなかった。


「ふざけるな! そんな事が簡単にできるはずがない! それにクレアがそれを許すはずがない! 気付かないはずもない!」

「いやー、苦労しましたよ。移植が成功するまで何十もの人間が犠牲になりました。それに勿論、あの『偉大なる魔法使い』が自らの足元で行われている研究に気付かないはずはありません。ですから——」

 セシルの口元が裂けるように歪んだ。


「——彼女には消えていただいたのですよ」

 そう、クレアが死んだのは先週ではない。

 クレアはセシルによって、とうの昔に殺されていたのだ。


「貴様ぁぁぁぁぁぁあ!!!!」

 ケンセイはセシルに掴みかかろうとしたが、その体は思うように動かず、転倒する。


「おっと、その短剣に刺されてまだ動けるとは驚きです。無駄ですよ。それにはあなたを殺すために強力な不動の魔法と、何人もの呪術師の命を犠牲にした呪術がかけられていますからね」

「なぜクレアの死を報せ、わざわざ俺を呼び寄せた!?」

「おや、エクセル様は頭の回転が遅いようだ。我々が最強の武力を手にした時、それに匹敵する力を持つ人物がいては邪魔でしょう? つまりはそういう事ですよ」


 セシルは自国の、いや、己の野望のためにクレアを殺害しただけでなく、ケンセイの殺害までもを計画していたのだ。


「魔王軍との戦争から国力を回復するまで九年が掛かりました。そして魔王の心臓の移植に成功した少女が成長するまで……。後は彼女の脳を弄れば……」


 その時、セシルはケンセイが凄まじい殺気を放ちながらゆっくりと動き始めた事に気付いた。ケンセイの全身からは、業火の如く赤いオーラが迸っている。


「ば、バカな!? 動けるはずがない! それに感情術なんて……」

 ケンセイは腹から短剣を豪快に引き抜くと、セシルへと歩み寄りながら言った。


「感情術ってのはなぁ、どうしても成し遂げたい事がある時、追い詰められた時、危機が迫っている時、そんな時に自らの行動の選択肢と可能性を広げるためのもんなんだよ。わかるか?」

「ひっ! ひぃぃぃぃい!! 来るなぁ!!」

 鬼の形相を浮かべるケンセイを前に、セシルは腰を抜かして後ずさる。


「どうしてもぶち殺さなきゃいけねぇ野郎がいる時とかになぁ!!」

 ケンセイは赤いオーラで燃え上がる拳を、穴という穴から体液を垂れ流し始めたセシルに向かって振り下ろした。

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