第39話 ムチャとトロンの旅立ち。4

 その頃ケンセイは、セシルと共に学院内にある地下墓地を訪れていた。

 この学院には、『学院に所属する者が死亡した時、その遺体を水晶にて保管され、研究対象とされる事を認めねばならない』という規則がある。それは、優秀な魔法使いが何故優秀であったのかを、その肉体を分解して研究するためだ。しかし、死者への冒涜とも思われるその規則は今や形式だけとなっており、現在では他国に魔法研究の成果を盗まれぬように『遺体を水晶にて保管され——』の部分だけが残されていた。


 地下墓地には老若男女様々な遺体が水晶に封じられてズラリと並んでおり、壁際には他の水晶よりも大きめな水晶がいくつか並んでいる。それは、この学院の歴代学長の遺体が封じられた水晶であった。


 ケンセイはその中の一つ——まだ若さの残る、色白で細身の美しい女性が遺体封じられた水晶の前に立つ。


「クレア……」


 それはかつてケンセイと共に旅をし、力を合わせて魔王を倒した仲間の一人で、『偉大なる魔法使い』と呼ばれた女性、クレアの遺体が封じられた水晶であった。


「よぉ、相変わらず美人だけど、こんな姿になっちまって……。これじゃあ尻も撫でられねぇじゃねぇか」

 ケンセイはよく、クレアの着替えや湯浴みを覗いて引っ叩かれていた事を思い出す。そして、密かにクレアに想いを寄せていた事も。

 水晶の中で眠るクレアの姿は、あの頃とあまり変わっていなかった。


「女ってのはいつまでも若さとか美貌とかを追っかけ回してるもんだけどよ、俺はお前にシワくちゃのババアになるまで生きてて欲しかったよ。確かにお前は病弱だったけど、こんなに早く逝っちまうなんてなぁ……」

 そう言って仲間の死を悼む姿は、普段ムチャや客の前で演じている芸人としてのケンセイの姿ではなく、かつての勇者であり、世界を救った英雄、『剣聖』エクセル・ソードスターの姿であった。


 ケンセイがクレアの遺体に黙祷を捧げ終えると、セシルはケンセイに声を掛ける。


「エクセル様、このような形ではありますが、クレア様もエクセル様と再び逢い見えて嬉しく思っていると思います。クレア様は病床で亡くなられるまで、エクセル様や、かつての仲間達にもう一度会いたいとおっしゃっておられていましたので」

「全くよぉ、鳥でも飛ばしてくれればいつでも会いに来たのに。最後までつれない奴だったな」

 そう言って皮肉気味に苦笑いを浮かべたケンセイは、またいつもの芸人ケンセイに戻っていた。


 すると、セシルは突然こんな事を言い出した。


「それからエクセル様、もう一つご覧に入れたいものが……」

「ん? なんだ?」

「こちらへ」

 どこかへと向かって歩き出したセシルの後ろを、ケンセイはついて行く。セシルは地下墓地の隅にある壁までケンセイを連れてくると、壁に手を触れた。すると、壁に魔法陣が浮かび上がり、壁が鈍い音と共に下へと下がってゆく。そして壁の向こうには、更に地下へと伸びる長い階段があった。


「これは……」

 地下から込み上げてくるかつて感じた事のある気配に、ケンセイの全身に緊張が走る。セシルはケンセイの様子には構わず、地下への階段を下り始めた。


 ☆


 一方ムチャは、テーブルの上で膝を抱えて座っている少女を前にして、トゲたぬきのモノマネを披露していた。


「チクー、チクチクー、クンクン……チクー」

 モノマネを終えたムチャが少女の顔を見ると、少女はピクリとも笑わずに、ただムチャを見つめている。


「お、面白くないか?」

「うん。だって私、トゲたぬき見た事ないもの」

「まじかぁー!」

 先程から、かれこれもう三十個はネタを披露しているムチャは、その場にひっくり返って天井を見上げた。


 なぜこのような事をしているのかというと、それは単純に少女がつまらなそうな顔をしているからに他ならない。

 ムチャはお笑い芸人として、つまらなそうな顔をしている人物を見ると放っておけないのである。


「ちくしょう! 絶対に笑わせてやるからな! じゃあ次は……えーと」

 少女を笑わせようとあれこれ考えているムチャに、少女は言い放つ。


「もうやめなよ。無理だよ」

「無理って事は無いだろ! 俺はお前を絶対笑わせてやる!」

「あなたは私に笑って欲しいの?」

「いや、笑って欲しいっていうか……笑わせたいっていうか……」


 すると、少女は顔を伏せ、手で何かを確かめるかのように顔に触れる。

 そして少女が顔を上げた時、

「これでいい?」

 そこには満面の笑みがあった。


 それを見た時、ムチャの背筋に寒気が走る。

 少女の顔には確かに笑顔が浮かんでいる。

 しかし、それは喜びも悲しみも、いや、何の感情すら伝わってこない、悲しい——ただひたすら悲しい笑顔であった。


 ムチャは血相を変えて少女の顔を掴むと、叫んだ。


「止めろ! 二度とそんな顔をするな!」

「どうして? あなたは私の笑った顔が見たかったんじゃないの?」

「違う! 笑顔ってのはそんなんじゃない! 笑顔ってのは……もっとこう、幸せで、楽しくて、嬉しい時に浮かべるものなんだ!」

 すると、少女は顔を無表情に戻した。


「嬉しいって、何?」

「う、嬉しいは嬉しいだろ! なんかこう、ワーイってなって、ヤッホーとか、やったぜ! ってなるもんだよ」

「ふぅん……じゃあ、私にはわからないよ。私はそんな気持ちになった事無いもの」


 その顔は無表情ではあったが、僅かに、ほんの僅かに悲しみが浮かんでいた。

 それを見たムチャは、いてもたってもいられずに少女の手を取ると、無理矢理小指を絡ませる。


「いいか? もう一度言うぞ。俺は、絶対に、お前を、笑わせてやる! 約束だ!」

 少女はポカンとした表情でムチャを見つめ、ただコクリと頷いた。

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