第29話 吹けよ神風、疾風怒濤の箒レース!8
「ちょ、ちょっと! どこに連れて行くの!?」
三人が食堂を出ると、トロンはスズカの手を引いて、半ば引きずるようにどこかへと歩いて行く。そして行き着いたのは、箒工房グラスホッパー——マグナの工房の前であった。
「工房……どうして……」
トロンが工房の横へと回り、窓をちょいちょいと指差すと、スズカはそれに従い工房の中を覗き込む。すると工房の作業台では、ランプの灯りを頼りに真新しい箒を磨いているマグナの姿があった。
「あの箒、誰のかわかる?」
真剣に、しかしどこか穏やかな表情で箒を磨くマグナの姿にスズカは息を呑む。その表情はスズカがここ数年見た事がなかった、マグナの満足気な顔であった。
トロンはもう何も言わなかった。
言う必要もなかった。
スズカは工房の正面に回るとドアを開き、吸い込まれるように中に入る。
スズカが作業台の前に立つと、マグナはようやくスズカの存在に気が付いた。
「……スズカ。どうした?」
「ねぇ、その箒、誰の箒?」
マグナはスズカの声に、いつもと違う様子を感じ取る。
「お前の箒だ。俺が……お前のために作った箒だ」
それは、口下手なマグナがあの日言えなかった精一杯の言葉であった。
「触ってもいい?」
マグナが頷くと、スズカは箒を手に取る。
すると、スズカが箒を握った瞬間、工房内に爽やかな風が吹いた。
「凄い、私の手に吸い付くみたい……」
風は工房内を巡ると、まるで戻るべき場所を知っているかのように、箒の中へと吸い込まれてゆく。それはこれまで二人の間で渦巻いていた様々な感情に翻弄され続けていた一つの気持ちが、還るべき場所に還ってきた事を暗示しているかのようであった。
「ねぇ、この子の名前を教えて」
「……ワールウィンド。決して力強くはないが、草原を自由に吹く緑の風だ」
それは正しく、スズカのために作られた箒であった。
二人はどちらともなく視線を合わせると、互いに笑みを浮かべる。
淡い気持ちと夢を抱いていたあの頃のように。
そんな二人を、窓越しに見つめる一組のお笑いコンビがいた。
「いやー、若いって良いですなぁ」
「そうですなぁ」
どうやらこの二人がスズカとマグナのような関係になるにはまだ早いようだ。
スズカとマグナがハグでもチューでもするかと思われたその時だ。
ドンドンドン
工房のドアが荒々しく叩かれた。
マグナが工房の表に出ると、そこには見るからにチンピラと思われる連中が立っていた。
「何の用だ?」
マグナが問うと、チンピラ達は店の奥にいるスズカを見てニヤリと笑う。
「ようよう、箒屋の旦那。俺達は『とあるお方』にあの女がレースに出られないようにするように頼まれてね。悪いが退いてもらおうか」
工房の陰からそれを見ていたムチャ達は、『とあるお方』が誰なのか即理解すると、出て行くタイミングを見計らう。
しかし、次の瞬間——
「グボォ!?」
マグナの豪腕が振るわれ、先頭にいたチンピラが宙を舞った。
マグナはポキポキと指を鳴らしながら言い放つ。
「スズカに手を出そうってなら、俺が相手になるぞ!」
それを聞いたチンピラ達は、蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ出した。そして、ポーッとした目でマグナを見つめるスズカを見て、ムチャとトロンもチンピラ達と一緒に退散する事に決めた。
その翌日、スズカは新しい箒に慣れるために一日中飛び回り、更に翌日、大会の当日を迎えるのであった。
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