第26話 吹けよ神風、疾風怒濤の箒レース!5

「あのー、これいつまでやるんですか?」


 大会優勝を目標に定めた翌日、スズカは朝から原っぱで箒を膝に乗せて座禅を組んでいた。


「ダメダメ! 集中しなくちゃ!」

 そして、スズカのコーチをしているのは、なんとトロンではなくムチャであった。


 昨夜、スズカはムチャ達と共に大会に向けての作戦会議をした。

 スズカはテーブルに地図を広げ、ムチャ達にレースのコースを説明する。


「大会のコースは箒レースにしてはやや長距離で、町の中心にある競技場をスタートして、西にある大きな森をぐるっと回って、また競技場に戻ってくるという、約三十kmのコースです」

「なんか大雑把でシンプルなコースだなぁ。これじゃあスズカの得意なコーナーリングや細かい箒操作が活かせないじゃねぇか」

「まぁ、百人以上のレーサーが飛ぶので安全上仕方ありませんけど、正直このコースで私が優勝できる可能性は皆無です……」


 ムチャとスズカが頭を抱えていると、トロンが地図に記された印に気付く。

「ねぇ、この印は何?」

「あぁ、これはチェックポイントです。レースのコースには約五km毎に魔法で描かれた大きな円が設置されていて、参加選手はこの円を全て潜ってからゴールしなきゃいけないんですよ。逆にこれさえちゃんと潜れば、どんなコースで飛んでも良いんです」

「なるほどー、じゃあさ——」

 トロンは森の中程にある四番目のチェックポイントから、森の出口付近にある五番目のチェックポイントまでを指で直線になぞる。


「こことかかなり大きくショートカットできるんじゃない?」

「えぇ!? そんな、無理ですよ! 森の中を突っ切らなきゃいけないじゃないですか!」

「スズカは直線は苦手だけど、箒の細かいコントロールには自信があるんでしょう?」

「でも、遅い私でも時速八十kmは出る箒で森の中を突っ切るだなんて……」

 そう言いつつもスズカの表情には力が込められており、満更では無い様子である。


「確かに危険かもしれないけど、悪くないかもな。多少スズカのスピードが落ちるにしても、他の選手達も大きく回らなきゃいけないからスピードも落ちるだろうし、ショートカットが成功すればその分丸儲けだ」

「となると、課題はスピードよりも箒のコントロールと反射神経、そして集中力……」

「あぁ、スズカの得意分野だ」

「わかりました! じゃあ、トロンさん、明日からは箒のコントロールの仕方を……」

 すると、トロンはふるふると首を横に振った。


「ううん、その作戦でいくなら、コーチは私よりムチャの方が良いよ」

「え?」

 スズカは不安げな表情でムチャを見る。


「でもムチャさんは飛行魔法を……」

「確かに俺は魔法は使えない。でもな、俺にはこれがあるんだ」

 そう言ったムチャの全身からは、僅かに青いオーラが立ち上っていた。


 そんなこんながあって、スズカはムチャのコーチを受ける事となったのだ。


「でも、座禅なんか組んで意味があるんですか? 確かに試合前に集中力を高めるために座禅を組む選手もいますけど……」

「だから、『超集中』のコツを掴むにはコレが一番早いんだよ」

 作戦会議の後、ムチャはスズカに心を鎮めて人間の限界を超えた集中力を発揮する『哀』の感情術を見せた。そして至近距離からトロンが放つパンチや杖の乱打を全て躱してみせたのだ。


「あの『感情術』というものは確かに凄かったですけど、大会までに身に付くものなんですか?」

「何も感情術を完璧にマスターしてもらおうってわけじゃねぇよ。ただ少しだけ感覚を掴んでもらうだけだ。もし超集中の感覚が身に付けば、前からどれだけ木の枝が迫って来ようとも冷静に対処できる。後はスズカの腕次第ってわけだ」

「理屈はわかりますけど……」


 それから三十分程座禅を続けたが、スズカはイマイチ集中しきれないのか、鼻を掻いたり首を鳴らしたりしている。そこで、ムチャは荒療治を行う事にした。


「うひゃう!?」

 突如首元に何かチクチクしたものが触れ、スズカは悲鳴を上げる。

 目を開けると、そこには猫じゃらしを手にしたムチャがいた。


「集中!」

「だ、だってムチャさんが!」

「もしこれが試合中でもそんな風に取り乱すのか?」

「……いえ」

「もう一度目を閉じて、絶対に集中を解くなよ」

 スズカは再び目を閉じて、深く息を吸う。

 ムチャもスズカと同じように深く息を吸うと、右手から青いオーラを放ち、スズカの頭に触れた。

 すると、スズカの胸に重く苦しい感覚が生まれる。

 スズカはその感覚に覚えがあった。


 それは『哀しみ』。


 父親が事故で死んだ日、母が病気で死んだ日、あと数センチの差でレースに負けた日、そして——

 様々な悲しみの記憶がスズカの全身を巡り、目から涙が溢れそうになる。


「その感覚をキープしろ」

 ムチャはそう言うと、再び猫じゃらしでスズカの首元に触れる。

 しかしスズカは今度は悲鳴を上げなかった。

『くすぐったい』『痒い』

 その感覚だけが、ただ情報としてスズカの頭に流れてくる。


 どれくらいその感覚を感じ続けただろうか。

 スズカの時間の感覚が無くなった頃、ムチャの声が耳に入ってきた。


「そのまま目を開けて」

 その声に従い、スズカは目を開ける。

 すると、そこにはゆっくりと動く世界が広がっていた。


 風に揺れる草花、空を流れる雲、肌に触れる風、その全てがスズカにはゆっくりと、そしてはっきりと感じられた。


「これが、『超集中』……」

「そうだ。人はただ生きているだけで常に多くの情報が入ってくる。それを全て受け入れて、目の前にある状況を冷静に処理するのが哀の感情術の基本で、超集中だ。師匠の受け売りだけどな」


 ムチャがパチンと指を鳴らすと、スズカは目をしぱしぱさせて伸びをする。しかし、超集中の感覚はまだ完全には消えてはいない。スズカは自分が『この感覚を箒に乗って試してみたいと思っている』という心の動きを、情報として感じ取る事ができた。


「トロンさんも凄かったけど、ムチャさん、あなたはいったい……」

「言ったろ? 俺はお笑いコンビのツッコミだ」


 グッと立てられたムチャの親指に、タイミングよくてんとう虫が止まった。

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