第21話 ムチャとトロンの日常。3
ある日、ムチャとトロンがいつも通りに次の町を目指して街道を歩いていると、全身黒尽くめで背に体よりも大きなリュックを背負い、顔にはこれまた黒いマスクを付けた怪しげな人物が前方から歩いてきた。
二人が会釈をして通り過ぎようとすると、その怪しげな人物は二人に話しかけてきた。
「やぁ、こんにちは」
「「こ、こんにちは」」
怪しい人物に男か女か若いのか年寄りなのかも判別し辛い甲高い声で挨拶をされ、二人は思わず立ち止まる。
「お兄さん達は旅人かね?」
「あ、はい、旅の芸人です」
「そうかいそうかい、若いのに大変だね。あのね、私は旅の商人なんだけど、良かったら何か見て行かないかい?」
本当はあまり関わりたくはなかったが、なんだか断るのは悪いと思い、二人は商人の商品を見てみる事にした。
商人はリュックを下ろし、ガサゴソと中を漁ると、一枚のマントを取り出す。
「こんなのどうだい? これは不可視のマント、身に付けて念じると姿が見えなくなる魔法のマントさ。お値段一枚百万ゴールド」
少し欲しいとは思ったが、トロンが似たような魔法を使えるうえに、とても手が出る値段ではなかったために、二人は首を横に振る。
「じゃあ、これはどうだい?」
次に商人が取り出したのは一本の葉巻であった。
「これはエルフが栽培した草で作られた伝説の葉巻でね、これ一本あれば一年は吸い続けられるし、しかも味も絶品。お値段一本十万ゴールド、二本ならお得な十八万ゴールド」
興味はあるが、二人は葉巻を吸わないうえに、やはり値段が高い。
また二人は首を横に振った。
「それなら、これはどうだい?」
次に商人が取り出したのは一本の短剣であった。
「これは殺したい相手に投げればどこまでも追いかけて殺してくれる呪いの短剣。ただしデメリットとして使った者は二度とジョークがウケなくなる呪いがかかるよ。お値段二百万ゴールド」
別に殺したい相手などいないし、デメリットがお笑い芸人である二人にとってはあまりにも致命的過ぎる。それにやはり値段が高い。
二人はブルリと身を震わせ、三度首を横に振った。
「な、なんて恐ろしいもん売り付けようとしてくるんだ! 行こうぜトロン!」
「うん。くわばらくわばら……」
逃げるようにその場を去ろうとする二人に、商人は慌てた様子で次の商品を取り出す。
「ちょっ! ちょっと待ちな!」
二人がチラッと振り返ると、商人は一冊の古びた分厚い本を手にしていた。
「この本はどうだい? この本に書いてあるとおりに儀式を行えば、どんな料理でも出てくる不思議な本だよ」
「「どんな料理でも?」」
料理、その言葉にいつも空腹に悩まされながら旅をしている二人の食指が動いた。
「どんな料理でもって、シチューもか?」
「もちろんさ」
「ミートパイも?」
「もちろんさ」
「豚の丸焼きはどうだ?」
「もちろんもちろん! なんでもだよ、なんでも! スープもケーキもカレーもサラダもなんでもさ!」
二人は顔を見合わせる。
「でも、どうせお高いんだろ?」
それを聞いて商人が仮面の向こうでニヤリと笑ったのが、二人にはなんとなくわかった。
「ところがどっこい! 現在こちら在庫処分セール対象商品で、お値段二万ゴールドポッキリとなっているよ!」
二万ゴールド——それは、先日二人が果樹園でアルバイトをして得たバイト代と同じ金額であった。
「トロン、どうする?」
「正直、欲しい……」
「でも、あいつ怪しいしなぁ、偽物なんじゃないか?」
「私が見てみる。ねぇ、商人さん、ちょっとその本見せて」
トロンがそう言うと、商人は本を差し出す。
「中身は見たらダメだよ。速読の魔法でも使われたら商売あがったりだからね」
「大丈夫、ちょっと調べるだけ」
トロンは本を受け取り、表紙に手を当てて目を閉じる。
「うん、魔法の気配がする。本物かも」
「もちろん本物だよ。で、買うのかい?」
トロンが商人に本を返すと、二人は顔を見合わせて頷いた。
そしてムチャは財布を取り出すと、こう言った。
「ただし、二万ゴールドじゃなくて一万ゴールドでな」
「なんだい、値切ろうってのかい? まけても一万九千だよ」
「じゃあ、一万二千!」
「一万七千! これ以上はまからないよ!」
「もう一声! 一万四千!」
「一万六千! いい加減にしな!」
「よし、決まりだ!」
こうしてムチャ達は一万六千ゴールドで本を買う事となった。
しかし、ムチャの値切りはまだ終わってはいなかった。
「あれ? 財布に一万五千ゴールドしか入ってない。悪いな、これじゃ買えねぇや、またな」
「チッ、そういう小芝居はいらないよ。全く上手いガキだねぇ。一万五千ゴールドで持ってけドロボー!」
「ふふふ、違うぜ。俺達はドロボーじゃなくて、お笑いコンビだ!」
ムチャは、商人に向かってグッと親指を立てた。
☆
商人から本を買ったムチャ達は、街道を外れて木陰に入ると、早速本に書かれているという儀式を試してみる事にした。
「よーし! トロンは何が食べたい?」
「じゃあ、シチュー」
ムチャは本の目次を見て、シチューのページを開く。
「何々、まず鍋を用意します。なるほど、確かに料理だけ出てきても溢れちまうしな! トロン、鍋だ!」
「あいよ」
「そして次に、鍋に水を入れます。トロン、水だ!」
「あいよ」
「そして、鶏肉と野菜を一口サイズに切り……んん?」
そこでようやくムチャはその本がおかしい事に気がつく。
「これ、まさか……」
「どうしたの?」
トロンはムチャから本を受け取り、パラパラとめくる。
「ねぇ、ムチャ」
「あぁ……」
「これ、ただのレシピ本だね」
そう、その本はただ料理の手順が書いてあるだけのレシピ本だったのだ。しかも背表紙にはご丁寧に安い魔法の護符が貼られている。先程トロンが感じた魔法の気配はその護符が放っているものだったのだ。
「あの野郎!」
二人は慌てて街道を引き返し商人の姿を探したが、いくら探してもあの黒ずくめの怪しい商人は見つからなかった。
「あーあ、やっちまった……」
「うまい話には裏があるんだね……」
二人はがっくりと肩を落とし、また次の町を目指してトボトボと街道を歩き出す。
その遥か後ろで、空中にスーッと商人の顔が現れる。
商人は不可視のマントを脱ぐと、二人とは反対方向へと歩き出した。
「イヒヒ、もうけもうけ」
次に黒ずくめの怪しい商人が現れるのは、あなたの町かもしれない。
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