第19話 ムチャとトロンの日常。1

 その日、前日野宿をした大木の下でトロンが目を覚ますと、

「んがーっ……んがーっ……」

 右隣には大きないびきをかきながら、ムチャが寝ていた。


 そして左隣には、

「んがーっ……んがーっ……」

 やはり大きないびきをかきながら、ムチャが寝ていた。


「え?」


 ☆


「まぁ、冷静に考えたらどちらかがボガードだよねぇ」

 叩き起こした二人のムチャを前にして、トロンは腕を組んで首を傾げていた。


 ボガード。

 それは、森に住む悪戯好きの魔物である。

 物を盗んだり人の姿に化けたりする事があるが、時には人に良い事もすると言われている、危険度の少ない魔物だ。


「トロン! どう見ても俺が本物だろ! 相方なのにそんな事もわからないのか!?」

 と、右で寝ていたムチャ(以下、右ムチャ)はプンスカ怒りながら主張する。


「ははは、いくら天才美少女魔法使いのトロンでも、これだけそっくりだと悩むよね。仕方ないよ」

 と、左で寝ていたムチャ(以下、左ムチャ)は朗らかに笑った。


「今のところ左が本物っぽいかなぁ……」

「えぇ!?」

 右ムチャは更に憤慨する。


「バカかお前は! 俺がお前を天才美少女なんて言ったりするかよ!?」

「はい、バカって言った。右のムチャマイナス一点」

「ポイント制なのか!? よーし……トロンは天才! かわいい! ボケの申し子! 優しい!」

「心がこもってない。更にマイナス一点」

「えぇ!?」

「因みにマイナス五点になったら、ボガードとみなして電撃魔法を撃ちます」

「何のゲームだよ!? ふざけるな!」


 すると、左ムチャが言った。

「おい俺、俺の相方にギャーギャー言わないでくれよ。それよりトロン、俺が昨日左隣で寝たのを覚えてないかな?」

「うーん、言われてみればそうだった気がする」

「じゃあ、やっぱりあの俺がボガードだって事になるよな」

 左ムチャは冷静であった。

 すると、このままではボガードにされてしまうと思った右ムチャはこんな事を言い出した。


「待て待て! 俺達はお笑い芸人なんだから、お笑いに関する事で勝負すればすぐに偽物が分かるはずだ!」


 そんなこんなで二人のムチャはお笑いで対決する事となった。


「と、いうわけで、これから私が絵を描いてお題を出すので、お二人にはそれぞれコメントをしてもらいます」

「大喜利か……」

「わかった。受けて立つよ」


 二人の承認を受けて、トロンは杖で地面にグリグリと絵を描いた。

 しかしその絵の出来はあまりにも酷く、辛うじて目と鼻がある生き物である事しかわからない。


「はい、この犬は何て言っているでしょうか?」

「これ犬なのか!? 腐ったゴブリンにしか見えないぞ!」

「ははは、トロンは絵が上手だね。描いてくれてありがとうって言っているように見えるよ」

「うーん、大喜利としては微妙だけど、左ムチャにプラス一点。あ、因みに五点差がついても電撃が飛びます」

「えぇ!?」

 あと二点差がつけば電撃が飛んでくるという事実に右ムチャは焦る。


「えー、じゃあ次は、ボガードという言葉を使って一発ギャグを作って下さい」

「いやいや! そういうのは俺じゃなくてボケであるトロンの領分だろ!?」

 トロンは右ムチャをジロリと睨んだ。


「ふぅん。私はムチャが芸人として、そんな甘えた事言うとは思えないなぁ……。右のムチャにマイナス——」

「だぁ! 今のは無し! やればいいんだろ!?」

 そして二人のムチャはシンキングタイムに入り、それぞれが考えた一発ギャグを披露する。


「ボ、ボガードがボガーンと爆発した!」

「すいません。アボカドのサラダを一つ。ってこれはア・ボガードのサラダじゃないか! お前はアホかと!」

「うーん、右ムチャのは論外として、左ムチャのも微妙だけど、アボカドとボガードと『アホかと』が無駄なく掛かってるのがいいね。左ムチャにプラス一点」

「おぉい! 確かに今のは酷かったけれども!!」


 そして、お笑い対決は三回戦へと進む。

「では、多分これが最後の対決になるでしょう。最後はツッコミ対決です。私がボケたらツッコミを入れてください」

「よーし! こういうのを待ってたんだよ!」

「勝負は決まったようなもんだね」

「では、スタート」


 二人のムチャは固唾を飲んでトロンの動向を見守る。

 しかし、トロンはいつまで経ってもボケようとはしない。

 そんなトロンの様子を見て、右ムチャはハッとした。


「ボケねぇのかよ!!」

 ボケると言いつつボケない事がボケだと判断した右ムチャのツッコミは見事に決まったかに思えた。

 しかし、トロンはキョトンとして首を傾げる。


「まだ考えてたんだけど。右ムチャマイナス一点、合計五点差でボガードと判断します」

「えぇ!? ちょっと待て! 待てってば!」


 次の瞬間、トロンの杖から雷が放たれた。


 ☆


 数分後、街道にはいつも通りに並んで歩く左ムチャことムチャとトロンの姿があった。


「いやー、しかし見事にボガードの正体を見抜いたな。よっ! トロン天才! 最高! 世界一!」

「まぁね」

 トロンが雷魔法で撃ち抜いた右ムチャは結局偽物で、ボガードだったのである。そして、本物のムチャである左ムチャの様子がおかしいのには、実は理由があった。


「という事で、そろそろ先日の事を許してはいただけないでしょうか……?」

「ダメ、許さない」

 そう、先日ムチャはトロンが大事に取っておいたクッキーを食べてしまい、トロンを激怒させたままだった。だからムチャは最近トロンをヨイショして許しを乞い続けているのだ。


「でもね、実は私、最初からボガードの正体わかってたんだよ」

 そう言ってトロンはムチャを見つめると、顔を赤くしてモジモジし始める。


「え? ど、どうしてだ?」

 それを見たムチャの顔もまた、トロンと同じように赤くなった。


「だって、だって……」

「……だって?」

 朝日に照らされた街道に爽やかな風が吹く。

 辺りには人影はなく、まだ幼さの残る二人を見ているのは、道端に咲く野花達だけであった。

 トロンは瞳を潤ませ、その桜色の唇から真実を打ち明ける。


「だって、ムチャはいつも漫才と同じ立ち位置にいるし」

「あぁ! 確かに!」


 そう、お笑い芸人の暗黙のルール上、ツッコミは常にボケの左側にいるものなのだ。ムチャは日常生活の中でも無意識にそれを実践しており、歩く時も、食事をする時も、そして寝る時も常に左隣りなのだ。それを知っていたトロンは初めから右に寝ていたムチャが偽物だと気付いていたのである。


「なんだよ、俺はてっきり……」

「てっきり何?」

 爽やかな風が吹く街道を一組の少年と少女が行く。

 僅かに二人の間に流れた甘酸っぱい空気は、時には人に良い事をするらしいボガードの悪戯の名残であろうか。

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