第13話 狼少女は月夜に吠える。8

 状況はあまり理解できていなかったが、二人は素早く下がってクロエの部屋を出ると、廊下の窓を開けて教会の庭へと飛び出す。クロエと戦うにしてもムチャの剣は狭い場所では戦い辛く、トロンの魔法では教会が火事になる恐れがあると考えたのだ。


 そんな二人をクロエは躊躇わずに追ってきた。


「雷よ!!」

 そして二人に向かって雷の魔法を放ってきた。ムチャはそれを横っ飛びで躱し、トロンは魔法で障壁を張って防ぐ。


「おほほほ! 逃がさないわよ!」

「逃げるつもりはねぇけどさ、あのシスター人格変わってない?」

「あれが本性なのかも」

「良い人だと思ってたのに、なんか幻滅だなぁ……っとお!?」


 ムチャの頬スレスレをクロエの投げた短剣が通過する。

 先程はまだ余裕を持って躱たが、雷魔法の雷光によって目が光に慣れたムチャには、闇夜の中で放たれた黒塗りの短剣がギリギリまで見えなかったのだ。


「危ねぇ!!」

「おーっほっほ! これが元暗殺者である私の暗殺術よ! いつまで躱せるかしらねぇ!?」

 クロエはご近所迷惑甚だしい高笑いをあげながら、雷魔法と短剣のコンビネーションを次々と繰り出してくる。ムチャはたまらずトロンの障壁の裏へと逃げ込んだ。


「あのシスターよく喋るなぁ」

「人は秘密を打ち明ける時に大きな快感を感じるらしいよ。もっと色々喋ってくれるかも」

「よし、じゃあ……ゴニョゴニョ」


 ムチャがトロンに耳打ちをすると、トロンはクロエの攻撃が途切れたタイミングで障壁を解いて、ガックリと膝をついた。


「ト、トロン!? どうした!?」

「もうダメ……シスターの魔法が強すぎて魔力が限界……」

 ムチャがトロンの肩を揺さぶるが、トロンは目を虚にしてグッタリとしている。それを見たクロエは勝利を確信し、先程よりも更に邪悪な笑みを浮かべた。


「あら? もうおしまいかしら?」

「あぁ、俺ももうあんたの攻撃を躱す自信がない……。ちくしょう! あの女の子に関わったりしなければ! いくら後悔しても後悔しきれねぇ!」

「おーいおいおい、オイスターソース……」

「ふふふ、そうでしょうとも。ならば後悔を抱えて死になさい!」


 クロエが短剣を振りかぶると、ムチャは

「待った!」

 と手を前に突き出してそれを制した。


「何かしら?」

「シスター、あなたに慈悲の心があるのなら、冥土の土産に愚かで哀れでバカですっとこどっこいな俺達に教えてくれ。あんた達はあの子をどうするつもりなんだ?」

 クロエはフフンと鼻を鳴らすと、二人の思惑通りに語り出す。


「いいわ、教えてあげる。あの子は人買いに売り渡すのよ」

「どうしてそんな事を?」

「決まっているでしょう? お金のためよ。大体私がなにを好き好んで孤児院なんて開いてガキ共の世話をしてると思ってるの? 売り払って金に変えるためよ!」 

「でも、あの子達はあんたを慕ってるんだろ? 罪悪感とかないのか?」

「はん! 馬鹿馬鹿しい。私はねぇ、本当はガキが大嫌いなのよ。金儲けだと割り切らなきゃガキの世話なんてやってられないわ」

「……へぇ、そうかよ」


 意気揚々と語るクロエは、ムチャの体からうっすらと赤いオーラが漏れ出てきている事に気付かない。


「もう一つ教えてくれ、あの子が化け物に変身するってのはどういう事だ?」

「ああ、それ? 簡単な話よ、あの子は母親は人間だけれど父親が狼の獣人なの」

「獣人!? じゃあ、あの子は人間と獣人のハーフなのか」

「そう、あの子の母親が汚らわしい獣人と交わった結果生まれたのが、感情が昂ると化け物に変わる、あの半人半獣の不気味なガキなのよ」


 獣人。

 それは人に近い存在でありながら獣の能力と身体的特徴を持つ人種の事を指す。

 細かく分類すれば人狼、鳥人、魚人等の様々な種族が存在し、一般的な人間と友好的な関係を築いている種族も多い。しかしながら人間の中には獣人を嫌悪し、ケダモノと称して差別する人々もいる。


「いつか見世物小屋に売っ払おうと思ってこれまであの子を育てていたけど本当に参ったわよ。あの子ったら何を勘違いしたのか、『シスター、シスター』って私にベタベタしてくるの。気色悪いったらありゃしないわ! まぁ、これであのガキともお別れだと思うとせいせいするわ」


 クロエの言葉に、ムチャの中で何かがプツリと切れた。


「……なぁ、あんたが金のために悪事を働くのは許せないけどまだわかる。でも、あの子の事を悪く言うなよ」

「へぇ、あの子に情でも移ったのかしら? なんならあなたに売ってあげましょうか? 貧乏芸人がお金を持っているならね!」

「金はない、お笑いもそんなにウケない……でもあの子は、そんな俺達にパンを分けてくれたんだ」

「ふぅん、それがあなた達の死ぬ理由でいいの?」

「そうだ。あの子は俺達の芸を見て、その対価にパンをくれた。自分だって腹が減っていただろうに、俺達にパンを分けてくれたんだ。そんな客のためになら俺達は命を賭けても惜しくない。それが……それが芸人ってもんだ!!」


 ボシューッ!!


 ムチャの全身から怒りの炎が燃え上がる。

 それは完全な比喩ではなく、ムチャの体からは本当に赤いオーラが炎のように吹き出していた。


「なっ!?」

「あーあ、ムチャを怒らせた」


 クロエはムチャからただならぬ気配を感じて短剣を投げるが、ムチャはそれを容易く鞘がついたままの剣で弾いた。

 怒りに満ちた表情を浮かべるムチャの体から放たれるオーラが剣へと集まってゆく。


「あ、あれは魔法剣……!? いや、違う!!」


 ムチャが剣に纏っているのは魔法ではない。

 それはかつて勇者が使ったとされる、己の感情を戦う力へと変える術の発動を示すオーラであり、武術に精通する人々はそのオーラを扱う術をエモーショナルアーツ——もしくは『感情術』と呼んだ。


「な、ちょっ! ちょっと! 待ちなさい!」

「感情術・怒の巻————」


 ムチャは怯えるクロエへとゆっくり歩み寄ると、オーラにより赤く染まった剣を大上段に構える。そして雄叫びと共に地面に叩きつけた。


「————憤怒衝!!」


 次の瞬間、地面が爆裂し、剣先から放たれた赤いオーラが地面を通じてクロエの全身を駆け巡る。そしてクロエはまるで電撃を受けたかのように激しく痙攣すると、白目を剥いて気を失った。

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