第11話 狼少女は月夜に吠える。6
なぜこのような事になったのか。
どうして自分が追われているのか。
その全てを銀髪銀眼の少女——ニパは知るわけではない。
ただ、彼等に捕まってはいけないという事だけは理解できていた。
疲労と恐怖に蝕まれるニパの脳裏に、過去の出来事が走馬灯のように巡る。
三年前、ルイヌの町のスラムで母親と二人で暮らしていたニパは、母親が病で亡くなり孤児になった。
住んでいた家も追い出され、残飯を漁りながら生活をしていた彼女を救ってくれたのは、教会で孤児院を営むシスタークロエであった。
「あなた、良かったら私と一緒にこない?」
雨に打たれて凍えていたニパに傘を差し出したクロエは、ニパを教会に招き入れ、新しい服と温かい食事を与えると、
「ここで一緒に暮らしましょう」
と、清潔なベッドと新しい家族まで与えてくれた。
孤児院に入ったニパに対してクロエは時に優しく、時に厳しく母親のように接し、ニパもクロエの事を第二の母親のように慕うようになった。生活は貧しかったけれど、それでもニパは幸せだった。
そして一週間前——
「ニパ、ちょっといいかしら?」
昼食後に皿洗いをしていたニパに声を掛けたのは、いつも以上に優しげな笑みを浮かべたクロエであった。
クロエはニパを自分の部屋に招き入れると、ベッドに座らせて砂糖菓子と温かい紅茶を与える。そして、それらを口に運ぶニパをしばらく見つめてからこう言った。
「ねぇニパ、実はね、あなたの里親になりたいっていう人が見つかったの」
それを聞いたニパの胸に宿った感情は、喜びよりも不安と寂しさであった。
「……シスター。私、ずっとここにいちゃダメ?」
ニパは孤児院を離れたくなかった。
里親となってくれる人と仲良くできるかという不安も大きかったが、それ以上に孤児院の仲間達、そして母のように慕うシスタークロエと別れるのが寂しかったのだ。
「それに私は……」
「大丈夫、その事もちゃんと話してあるわ」
クロエは不安気な表情を浮かべるニパの隣に腰掛けると、その肩を優しく抱き締める。
「ニパ、あなたの不安な気持ちは私にもよくわかる。でもね、別れがあるからこそ新しい出会いがあるのよ」
「シスター……」
「大丈夫、例え離れていても私達は同じ空の下に、女神様の加護の下にいるのだから、またきっと会えるわ。でも、もし辛い事があったらいつでも帰ってきていいんだからね」
ニパはクロエにしがみ付いて、赤子のように泣いた。
そして三日前の夜、身支度と仲間達とのお別れを終えたニパは、クロエに連れられて教会を出ると、町外れの酒場を訪れた。
酒場の前には荷馬車が停まっており、その荷台にはちょうど人が一人入りそうな檻が積まれていたのをニパは覚えている。
「ねぇ、シスター……ここに新しいお父さんとお母さんがいるの?」
クロエはただニパの手を強く握り、何も答えない。
ニパがクロエの顔を見上げると、そこにはいつもの優しげな笑みはなく、冷徹さを感じるほどの無表情な顔があった。
先日抱いたのとはまた違う不安が、ニパの胸を侵食し始める。
そんなニパを半ば引き摺るように、クロエは酒場のドアを潜る。
すると、そこにはむせ返るほどに蔓延する紫煙と、ガラの悪い男達、そして一人だけ場違いなほどに身綺麗な男がいた。
身綺麗な男はクロエを見て、すぐにニパに視線を移すと、値踏みするかのようにジロジロと眺め回す。
「これが新しい商品かね?」
「えぇ、例の子です」
「なるほど、器量も良いし、これは良い値が付きそうだ」
ニパは今、この場で何が起こっているのか理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
「ねぇ、シスター。商品って何?」
クロエは答えない。
ニパの方を見向きもしない。
「シスター! 何か言ってよ! シスター!」
身綺麗な男がクロエに札束を差し出す。
それを受け取る際、それまでキツく握られていたクロエの手がニパの手から解けた。
それは、ニパとクロエの決別を意味していた。
「さぁ、こっちにおいで」
「いやぁ!」
ニパは身綺麗な男が伸ばした手を振り払うと、踵を返し、ドアの前に立つ男達を薙ぎ倒して酒場を飛び出した。
「馬鹿野郎! 捕まえろ!」
ガラの悪い男達がニパを追ってきて、ニパはただ必死になって逃げた。靴が脱げ、何度も転び、それでもただ逃げ続けた。
やがてニパは路地裏にて男達に追い詰められる。
その時、湧き上がる恐怖と絶望と怒りに呼応するように、ニパの中に眠る『血』が目覚めたのだ。
ニパが気がつくと、男達は血塗れになって倒れており、ニパは己の血と力に恐怖した。虫も殺さぬ心優しいニパにとって、自らが無意識に引き起こした惨劇のショックは大きかった。
それからニパはどこに行けば良いかもわからず、人目を避け、廃屋やゴミ捨て場の隅で休息を取り、パン屋にわけて貰った余り物で飢えを凌ぎながら、男達の目から逃れ続けていた。
しかし、これまではなんとか男達から逃げ延びてきたが、ろくに睡眠も食事も取れていないニパには限界が近付いてきていた。
背後には十人ほどの男達が迫ってきている。
しかも先日と違い、今度は皆棍棒や鎖などの武器を手にしていた。
(もうダメだ……)
諦めがニパの頭によぎる。
そして、ニパの『血』が再び目覚めようと脈動を始める。
髪が騒めき、鼓動と呼吸が激しくなる。
あの姿になればまた他人を傷付けてしまう事になるだろう。
ニパはもう誰も傷付けたくはなかった。
しかし、ニパの意図に反して脈動は更に早くなる。
ニパはもつれる足を前に運びながら祈った。
(お願い、誰か助けて……!!)
その時だ。
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