ある5月23日のカップルの話
PPP
14:53
「あ、今日キスの日だ」
愛里ちゃんがスマホを見て呟く。
愛里ちゃんは私の従妹で、今年で高校2年生になる。部活が忙しくなかなか勉強出来ない彼女を心配した大人たちに頼まれて、愛里ちゃんの部活が休みの日に合わせて月に一度か二度英語を教えている。
真面目に取り組んではくれるのだけど、どうも集中力が続かない。相手が私だからかもしれないが。
「キスの日って何?」
「有紀ちゃん知らないの?ほんとネットの知識に疎いよね~」
女子高生に言われては、はいそうですとしか言えないので肩をすくめた。
「別に何の日ってわけじゃないよ。11月22日がいい夫婦の日、みたいなノリのやつ。あ、日本で初めてキスシーンのある映画が封切り?した日だって。封切りって何?」
「映画が最初に公開される日のこと」
「へぇ~」
完全に集中力が切れてしまった愛里ちゃんが、そのままスマホをいじり始める。
こうなってしまうとなかなか再開出来ないので、愛里ちゃんのお母さん(私の叔母)にいただいたお菓子の封を開ける。
「外国にもキスの日ってある?」
「オーストラリアにはキスして仲直りする日はあったよ」
「そうなんだ。でも外国は日本よりキスするよね、ほっぺとか」
「挨拶だからね」
「有紀ちゃんも雄星さんとキスする?」
突然の問いに口に入れたお煎餅が喉に詰まった。げほげほとむせる私に、可哀想なものを見る目で愛里ちゃんがお茶を渡してくれる。
子どもの成長は早い。この間まで「付き合うって何するの?」と聞いていた気がするのに。
「……挨拶ではしないかな」
「日本人なんだから当たり前じゃん。挨拶じゃないキスは?する?」
「まぁ……付き合ってるからね……」
「最近いつした?」
なんてことを聞くのだと慄いていると、愛里ちゃんがベッドにうつぶせに寝転んで頬杖をつく。完全に雑談モードだ。
話題が話題なので早く切り上げたいなと思っていると、愛里ちゃんがうふふと笑う。
「ママには内緒ね?私この間初めてキスしたんだ~」
「え、彼氏いたの?」
「GWに同じクラスの子に告白されたの。サッカー部の子」
「えー、おめでとう!」
「ありがとー。写真あるよ。見る?」
お言葉に甘えて見せてもらうと、愛里ちゃんの横に爽やかな少年がはにかんだ笑みを浮かべて写っている。いかにも高校生カップルらしい、可愛らしい雰囲気の写真だ。
さっきは慌てたけど、だからそんな話題を出したのかと思うと微笑ましくなる。
すっかり余裕を取り戻した私の「彼氏かっこいいじゃん」というコメントに、愛里ちゃんが照れた笑顔を見せる。
「この間部活終わる時間が被って、最寄り駅まで来てくれて、その時にちゅってされたの」
「レモンの味した?」
「しなかった~。ていうか、緊張しちゃって味とかわかんなかった」
恥ずかしそうにする愛里ちゃんを小突いていた私だったが、再び爆弾を落とされる。
「有紀ちゃんは?」
「何?」
「初キス。どんな感じだった?」
今度は何も口に入れていなかったのでむせなかったけど、恥ずかし過ぎて顔から火が出そうだったのでお茶を飲む。
20代半ばの女にそんなことは聞かないでほしい。
「え、いやー、あー……覚えてないなぁ」
「絶対嘘じゃん!ねぇねぇねぇ、どんな感じだった?何歳の時?相手は?」
「あ!もうこんな時間!愛里ちゃん勉強しないと!」
「ずるい!ねぇ有紀ちゃん!」
■
愛里ちゃんからの猛攻を逃げ切り、授業を終えて電車に乗ると、愛里ちゃんからLINEが届いていた。「次は絶対聞かせてね」というメッセージを見てそっと閉じる。次会う時には忘れていてくれるのを祈るしかない。
16時過ぎだけど土曜なので人は多い。愛里ちゃんと同い年くらいの子たちがジャージ姿で乗っている。私も高校では陸上をやっていたので、懐かしく感じられた。
人生で初めてのキスはその頃付き合っていた彼氏とだった。愛里ちゃんに「覚えてない」と言ったのは半分嘘で、半分本当だ。相手は覚えてるけど、どこでどんな風にしたかは覚えていない。確かレモンの味はしなかったはずだ。
目的の駅に着くと16時半。雄星の仕事が終わるのはまだだろう。いつものカフェに入って、連絡が来るまで時間を潰す。
フリーで仕事をするようになってから、暇潰しは大体作業の時間になってしまっている。フリーだからこそメリハリをつけて仕事しなさいと先輩方には言われているけど、私はどうも苦手だ。
愛里ちゃんと私は顔が似てるので、年の離れた姉妹のようだとよく言われる。実際、お互い一人っ子だし、姉妹のように思ってるところはある。でも本人達からしたら顔は似てても中身は似ていない。
私は英語が得意で物事に没頭しやすい。愛里ちゃんとは正反対だ。
■
肩を叩かれて振り返ると、スーツを着た雄星が立っていた。手にはこのカフェのカップを持っている。
「ごめん。連絡くれてた?気付かなかった」
「大丈夫。俺こそ待たせてごめんね」
スマホを見ると19時を過ぎていた。雄星からのLINEが1時間前に入っている。
「もうちょい早く着いてたんだけど、有紀さん集中してたからつい眺めちゃってた」
「通報されなかった?」
「大丈夫でしたー」
雄星とカフェを出て、適当なご飯屋さんを探す。雄星の職場があるこの駅は、手ごろな値段で美味しいお酒と料理が楽しめる店が多い。
一度奮発してお高めのレストランに入り、二人で散々緊張してせっかくの料理の味もわからなかったことがあって以来、特別な贅沢をしない代わりに普段のデートは何も我慢せずに食べようと決めている。
味のわかるものをお腹いっぱい食べるのが結局一番美味しいし楽しい。
何度か入ったことのある焼き鳥の店に入ると、カウンター席に通される。店員さんが隣の2人組との間に仕切りを置いてくれる。
ビールと適当な串盛りを注文するとすぐにお通しと一緒に出てくる。
「休日出勤お疲れ様」
「ありがとう。有紀さんも、英語の先生お疲れ様」
乾杯をして、すぐに雄星はジョッキの半分ほどを飲み干してしまう。
会うのはGW以来だったので、この2週間でお互いにあったことを喋る。最も、私は在宅勤務だし雄星も仕事以外の時間は趣味に費やしているので、大した話題は無い。
でも雄星とは波長が合うと言うか、何でもない話をだらだら続けられるのだ。
その間にもお酒は進む。私たちはどちらもよく飲む。雄星は顔に似合わず強くてペースも早い。一緒に飲んでるとつい私も多めに飲んでしまう。
だから、私はよく酔う。
「今日ねー、キスの日なんだって」
「よく知ってるね。愛里ちゃんか」
「そう。愛里ちゃん、この間彼氏とキスしたんだってー可愛くなーい?」
「あはは、有紀さん酔ってるね。お水貰おうか」
店員さんに声をかける雄星の肩を拳でぐりぐり押す。私は酔うと絡むし饒舌になる。頭では「これ明日の朝悶絶するな」と思っているのに、体と口は勝手に動くのだから不思議だ。
「雄星、初キスって覚えてる?」
「え、やめて恥ずかしい」
「だよねー?愛里ちゃんが超しつこくて。私全然覚えてないんだよねー。明先輩とだったのは覚えてるんだけど」
「陸上部のね。でもなぁ、元カレの話キツいなー」
そう言いながら、雄星は私の頭を撫でる。
雄星とは高校の同級生で、3年間クラスが一緒だった。大学は別々だったけど、3年生の秋に偶然再会した。それから付き合うようになって、今年で6年目。別れの危機どころか喧嘩もせずにここまで来ている。
「雄星はー?」
「いや~恥ずかしいからやめて~」
「何で?私とでしょ?」
「わかってんならやめて。ほらお水飲んで」
「飲む。喉乾いた」
渡されたコップの水をちびちび飲みながら、雄星の手にねぎまを持たせる。
「レモンの味した?」
「何が?ねぎま?」
「私との初キス」
ねぎまをくわえていた雄星が喉に詰まらせたようでむせ始める。飲んでいた水を渡すとそのまま飲み干した。
「何味だった?」
「酔い過ぎです。今日はもう水以外ダメ」
「レモンの味した?覚えてる?」
雄星はもう一度店員さんにお水を貰って、私に全部飲むよう言いつける。食道にひんやりとした感覚が通り抜け、少しだけ頭がクリアになる。
「お会計してくるから待っててね」
また頭を撫でられながら頷くと、雄星は満足そうに微笑んだ。
人生初のキスは忘れたけど、雄星との初キスは覚えている。
どう見ても私に好意を寄せているのに一向に告白してこない雄星に焦れて「今日のデートで私にキス出来たら付き合おう」と自分から訳のわからない提案をしたのだ。
てっきり夜まで慌てふためく姿が見れるんだろうなと思っていたのに、私が「じゃあスタート」と言った瞬間、雄星はキスをしてきた。
突然の提案にテンパった末の行動だったらしい。
戻ってきた雄星と一緒に店の外に出ると、5月下旬の生暖かい風が吹いた。梅雨が近いのか、少し雨の匂いがする。
駅まで来て自宅方面のホームへ向かおうとすると、雄星が私の手を引いた。
「今日は俺が出したので、体で返してもらうね」
「最低。エロ河童。猿野郎」
「何とでも言いなさい」
くすくすと笑い合いながら電車に乗り込む。それなりに混んでいるので雄星の体に掴まって目を閉じた。
眠りかけたところで雄星の最寄り駅に着き、コンビニで明日の朝ご飯を買って、雄星のマンションに入る。
「シャワー浴びてくるね」
と言いつつ私の頭に伸ばされた手を押し戻す。もう酔いは醒めた。
■
「初キスの話なんだけどさぁ」
私に毛布をかけながら雄星が言う。
蒸し返すのかと思ったけど、機嫌が良さそうなので付き合ってあげることにした。
「レモン味だったんだよね」
「え?初キス?」
私との初キスでレモン味がするはずは無い。まさかの浮気発覚かと思い戸惑っていると、薄闇の中で雄星と目が合った。
「本当の初キスは唇合わせるだけだから味なんてわかんないじゃん。だから俺が最初にキスして味がするなって思ったの、なんていうかその、大人のキスの方なわけですよ」
「それがレモン味?」
「うん。有紀さんその日、酔ってハイボールに入ってたレモンずっと齧ってたんだよ」
思い出したのか、雄星が布団に顔を埋めてクククと笑う。雄星はよく笑うのだけど、私はこの堪えたような笑い方が一番好きだ。私と付き合い始めた頃はこんな風には笑っていなかった。
あの日妙な提案をしていなければ、この笑い方は見れなかったに違いない。
「雄星」
「うん?」
「今何味がするか確認してみる?」
雄星の喉が鳴る音が聞こえる。唇を何度重ねても、雄星は私からの提案には滅法弱い。
「しようかな……キスの日だしね」
さっき時計を見たら既に日付は変わっていたけれど、野暮なことは言わずに私は目を閉じた。
ある5月23日のカップルの話 PPP @myp_p
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