6 「あ、すげぇ腑に落ちた」

 今からおよそ十五年と少し前。

 彼女が魔王としてこの世界に現れた時、当時少年とも言える齢のドラゴニュートはその形を見て衝撃を受けた。

 凛とし、端麗な顔立ち。白銀に煌めく美しい髪。血色の良い艷やかな褐色肌。しなやかに伸びる手足。

 身長こそ並であれ性別として主張される所はしっかりと出ており、その小顔さからも窺えるスタイルの良さ。頭部から歪に伸びる二本の角ですら、少年にとっては何故か艶めかしい物に見えた。

 どんな角度から覗いても自信に満ち溢れ、自身が絶対的強者であると信じて疑わない紅色の双眸は、少年が扱う火よりずっと赤く燃え滾っている。その瞳を見る度に心臓が打ち鳴らされ、浮き足が立つかのようであった。

 それでも少年の瞳は、彼女を捉えて離せなかった。

 いわゆる、一目惚れである。


 魔族の中でもドラゴンと人型のハイブリットである彼は、生まれながらに高い身体能力と知能、更には種の中でも類まれなる魔力を持っており、若年ながらもこの時既に将来を有望視されていた。

 しかし彼女が現れた事で、それまで向けられていた期待の眼差しはあっさりと、全てその人物に向けられる事になる。

 魔王として誕生した彼女の力は正しく絶対的な物で、当時齢ゼロ日にも関わらず、その能力は全てに於いて魔族の頂点に君臨していた。

 理不尽とも言えるような圧倒的力量差に、不思議と悔しさは生まれない。少年も、本能的にそれが当たり前である物だと察してはいた。

 ただそれとは別に、彼女を視界に収める度疼く、男としての本能が少年の中で産声を上げた。


 この女を、その身体を、自分の物にしたい。


『──身の程を知れ。余の前から疾く消え失せよ』


 最初にアプローチした台詞など、その時の必死さも相まって覚えていない。しかし彼女の冷淡な声色と、こちらを射殺さんばかりに鋭くなった瞳孔は鮮明に覚えていた。普通の者であれば視線だけで心が砕けるだろうが、少年は違った。

 魔王に何と言われようが、周りからの制止を受けようが、彼は自分の本能に従った。

 時には言葉だけでは済まされず、身体を軽く突っぱねられた衝撃ですら死にそうになった事もある。それでもやはり、少年の頭の中は彼女をその手にする事しか考えていなかった。

 少年の猛烈なアピールは、出会った初日からおよそ一ヶ月半に渡り、昼夜に問わず毎日行われた。

 

『──おい魔王サマ、今日も来てやったぜ』


 そのストーカーまがいの行動原理は、やがて彼の性格を捻じ曲げていく。

 彼女に突き飛ばされるのなら、飛ばされないよう身体を鍛えてしまえばいい。いい加減うんざりした彼女が罵詈雑言を投げてくるのなら、屁理屈を捏ねて聞かなかった事にしてしまえばいい。

 奇しくも少年はその都度毎に学習をしていき、目的は異なれど魔王に向かい続けていた事で飛躍的に成長を遂げていく。一途な想いを歪ませながら。

 一ヶ月半を過ぎた頃には、以前のように突っぱねられた程度で傷を負う事も無くなっていた。ただ頭脳は、罵倒の台詞を脳内で都合の良い文脈に切り替えるという、こちらはやや明後日の方向に進化していたが。


『本っっ当に、しつこい奴だな貴様は……分かった分かった』


 だからこそ彼女のそんな言葉を聞いた時は、それだけで達してしまうかと思うほど歓喜に震えた。


『ではこうしよう。

 貴様も男子おのこであるなら、余を実力で伏せてみるがいい』


 そして付け加えられた全ての魔の頂点に立つ者が下す無理難題に、ドラゴニュートの少年──グロウグリアスは、大胆不敵にも口元を吊り上げたのだった。


******


「まぁ結局、余に傷一つ付ける事も出来ず仕舞いだったのだがな」

「当然の結果にございます。あの様な未熟者、魔王様の足元に及ぶはずもありませんゆえ」


 先の話はシオンとセバスチャンの回想を基にして、俺が勝手に解釈を付けたものである。話を聞く限り、グロウグリアスの性格は後天的なものだったんだなって。


「ていうか、セバスチャンって案外手厳しいな」

「はて、心当たりがございませんな」

「……よく言うよ」


 視界の奥で汗水を垂らすグロウグリアスの様子を眺めながら、俺は呆れ気味に、隣で微笑みを湛えながら視線を同様にするセバスチャンへと答えた。


「このを一人で、しかも半日で耕せってあんた無茶振りにも程がなくない?」


 グロウグリアスは目下、自らとシオンの攻撃によって更に拡大化した雑技林の跡地を、たった一人で整地している最中だ。

 俺達に対してはあれだけ威勢が良かったのにも関わらず、セバスチャンには全く頭が上がらないらしいグロウグリアス。


『──ざけんなクソ爺ッ! 何で俺だけなんだよ!?』

『事の発端は貴方でしょう。それとも何ですか? 罰の代わりに、私との修行を再開しますか?』

『仕方ねぇな! 一日で終わらしてやんよ畜生!』

『折れんのはえーなおい』


 これはつい先ほどの話だが、大広間にて此度の事情を知ったセバスチャンは、胡座を掻いて自分に非は無いとでも言わんばかりにそっぽを向くグロウグリアスに、荒した場所を整地せよとの指示を出していた。

 もちろんグロウグリアスはこれに猛反発。俺が言わずとも自らクソ爺と呼称しつつ抵抗したが、その後に放たれた台詞にピタリと動きを止める。どんだけセバスチャンの修行とやらが怖いんだこいつ。

 そしてやけくそ気味に立ち上がったグロウグリアスを真正面に捉えるセバスチャンは、一つ頷いて次のように述べた。


『では、半日で成さい』

『……は?』

『何か文句でも?』


 一日とは口任せに出た台詞だったのだろうが、セバスチャンはそれを真面目に受け取ってしまったらしい。

 『冗談だろ?』とでも言いたげな顔で再び時を止めていたグロウグリアスに、セバスチャンが『当然でしょう?』とでも言いたげに答えれば。


『……クソがっ! 覚えてやがれ、このクソ爺ッ!!』


 などと思春期に反発する子供並に単調な捨て台詞を言い残し、大広間を駆け出して行ったのだった。いやそこは飛んで行けよ。


 ──というのが、先ほど起こった内容である。

 それから間もなくグロウグリアスがサボっていないかどうか確認すべく、セバスチャンに続き、暇を持て余したシオンに引き摺られて俺もこの場に来たという訳だ。


「クク、あのやり取りも久方ぶりであったのう」


 荒れ地のきわでへし折れた木の幹に座るシオンは、セバスチャンが用意した茶を持って、そんな過程から始まった光景を眺めている。

 向こうでは何処ぞから山盛りの土を運んでは、窪んだ箇所を埋めていくグロウグリアスの姿がある。時折こちらを見ては何やら叫んでいる素振りを見せるが、やがて諦めたように頭を掻いて作業に戻っていく。


「……セバスチャンはあいつの教育係とか、師匠ってやつか?」


 後天的とはいえ今となっては性格である。不平不満こそ漏らせどセバスチャンの言うことは律儀に守っている辺り、修行以外にも何か事情があるのではなかろうか。


「ふむ。どちらかと申しますれば教育係というより、仕置き係でしょうな」

「あ、すげぇ腑に落ちた」


 回想でこそセバスチャンは出てこなかったものの、この執事がシオンの隣に立って居ないはずが無い訳で。


「セバスは当時、余が突っぱねる度に奴を無言で何処かに連れて行っててな。翌日にまみえた時は何故か生傷が増えておった」

「無言で」

「魔王様に言い寄る不埒な輩として与えていた罰だったはずなのですが、彼にとってはそれが修行にもなっていたらしく。いやはや、彼の執念はある意味凄まじいものです」


 一体何をしていたのか知る由も無いが、結果的にセバスチャンが裏で与えていたその始末はグロウグリアスの成長っぷりに一枚噛んでしまっていたようだ。

 ていうかこれアレだ、単にグロウグリアスがセバスチャンに潜在的な恐怖心を植え付けられてたってだけの話じゃん。そりゃその都度無言で拉致られる上に痛めつけられてたのなら、誰だってビビるようにもなるわ。


 まぁ、それでも心折らさず想い人へ向かい続けるその姿勢や一途さは、例え歪なものであれ男としては見習った方が良いのかも知れないが。


******


 太陽が真上から下がり始めた頃合い。

 こちらが昼休憩にとサンドイッチを咀嚼する合間にも、グロウグリアスは一度も休む事なく整地作業に徹していた。

 整地といっても岩や木々を退かすでもなく、上から直接土を盛っていくだけではあったのだが、その作業は早くも終盤に差し掛かっている。

 シオンに引っ掴まれて上空から眺めてみれば、クレーターの埋め立ては九割近く済んでいるようにも見えた。


 ところでどうやって土を運んでいたかと言うと、彼は何処から団子状にした巨大な土を頭上に掲げて盛ってきていた。そして窪み辺り目掛けてそれを投げ、自身が放つ炎によって乾燥。適度に水分の抜けた団子を叩いて崩し、穴を埋めていくという何とも機械要らずな工程であった。


「──しゃオラァ!! これで、最後だぜ!」


 残った窪みに土を巨大な泥団子を投げ捨て、同じ工程でもって土を盛り終えたグロウグリアスは、およそ平らになった土地を見渡して息を入れる。すげぇなこいつ、ほんとに半日で終わらせよった。

 

「どうだ、やってやったぞクソ爺」


 やがてこちらに辿り着いたグロウグリアスはセバスチャンへ挑発するように言いながら、テーブルの上に残されたサンドイッチと茶を胃の中に流し込む。


「然様ですか。では次に参りましょう」

「は?」


 セバスチャンはそれを見て空になったテーブル上に、いくつもの麻袋を並べていく。


「……何だよこれ」

「種です」

「は?」

「ですから種です」


 言われてグロウグリアスは麻袋を覗き込む。あまりのスムーズかつ自然な流れに俺やシオンまでもがその場で面食らっていたが、彼に続いて袋を確認してみれば、なるほど確かにこれは紛うことなき種。


「次は、それを植えて来なさい」


 依然穏やかな表情を崩さずセバスチャンが提案したのは、まさかの植林活動であった。


「ふざけんなクソ爺ァ!」


 ともすればグロウグリアスは袋口を掴んで跡地にぶん投げる。その流れがギャグ漫画みたいでちょっと面白いと思ってしまった。すまんグロウグリアス。


「大体俺だけじゃねーだろ!? 魔王サマだって」

「なるほど、まだ物足りないと言いますか。では種植えが済み次第修行に」

「あああ仕方ねぇなぁもう! いちにッ……一週間くれーかけてじっくり丁寧にやってやんよ畜生が!!」

「だから折れんのはえーよ」

「うるせぇゴミは黙ってろ! 土壌の肥やしにすんぞてめぇ!」


 さり気なく期限を言い直したのはさすがというか何というか。

 こちらのツッコミに噛み付くような勢いで答えたグロウグリアスだったが、セバスチャンの視線に気付くや頭を掻いて舌打ちまでした後、麻袋の束を黙って担いで跡地に赴いていく。


「……なぁセバスチャン」

「何でございましょう?」


 そんなグロウグリアスの背を眺めながら、素朴な疑問を投げ掛けてみた。いつかもやったなこんなやり取り。


「修行って、何するんだ?」

「……ふむ」


 珍しく考え込むように顎髭を撫でたセバスチャンは、少しの間を置いてからこちらに顔を向ける。


「聞きたいですか?」


 含みのある言い方で返ってきた言葉に俺は腕を組み、少し悩んだ振りをして、やがて首を横に動かした。


「……いや、やっぱいいや」


 気にならないと言えば嘘になるが、まぁそれは今でなくても良いだろう。グロウグリアスがあの調子であれば遠からず、自ら墓穴に突っ込んで内容を体現してくれる気がするし。


「然様ですか」


 セバスチャンはこちらの意図を図ったように頷いてみせると、テーブルの片付けに入ったのだった。


******


 そういえば。

 やたら静かだと思っていたら、グロウグリアスがこっちに来てからシオンの声が聞こえない。そう気付いて辺りを見回すと、倒れた木の幹の上に横たわるシオンを発見した。目を瞑り、規則的に上下する双丘を見るに、どうやらいつの間にか眠りこくっていたらしい。

 人の二、三倍程度の太さの幹に仰向けになって身体を預け、両手両足をだらしなくぶら下げているこの様は何と例えよう。アジの開き、的な?

 何にせよ、魔王に相応しい姿だとはとても言い難いものである。そもそも女としてどうなんだこれ。


 そんな事を考えつついい加減起こしてやろうかと近付いていけば、彼女の周りから淡い光が浮き上がっている事にも気が付いた。


「何だこれ……?」


 蛍の光のような、微かな発光だ。日の当たる箇所では視認も難しいが、影になっている場所であればその輝きは確実に見て取れる。

 地面から湧いてくる光は主にシオンの周辺からであり、ゆっくりと上昇していくその数々は、やがて彼女の身体に吸い込まれていく。


が魔力の源である、魔力素ですな」


 奇妙な光景を目で追っていると、セバスチャンはテーブルを肩に乗せるように抱えながら俺の疑問に解答を寄越してくれた。線の細いお年寄りが軽々とテーブルを担いでるのも、ある意味珍妙な姿であったがそれはさておき。


「へぇ、これが魔力素。てっきり目に見えないもんかと」


 彼女の体勢がでさえ無ければお伽話のワンシーンにでも成り得そうな絵面に、俺の視線はつい神秘的な物体にも見える魔力素の跡を追ってしまう。

 シオンの言葉が事実であれば、魔力素がこうして体内に吸収されることによって魔力が回復されていくという事か。いざ可視化されてみると分かり易いもんだ。


「……ふむ」

「……何だよ?」


 そんな不思議な光景を眺めていると、セバスチャンは俺を見ながらまたしても何か考えるように口を閉じた。

 ただこちらを眺めているようにも見える意味深な素振りに怪訝な顔を向けると、彼は開きかけた口を再度閉ざして頭を振った後、三度喉仏を動かした。


「いえ、何でもございません。

 ……さて、お休みのところ大変心苦しいですが、魔王様にはそろそろお目覚めになって頂かねば」


 先のお返しとばかりに言われた前半部分に若干の悩ましさを生ませつつも、後半部分には同意して頷いて見せた。

 視線を戻せば、魔力素は宙を漂いながらもやはり最後にはシオンの元へ吸い込まれている。何か空気清浄機みたいだ。口から出してんのは涎だけども。


「起きろほら」


 セバスチャンの手前、頬を引っ叩いて起こすは憚られたので肩を揺すって反応を見る。


「……足らぬ……に、献上……せい」

「夢の中でも腹減ってんのかこいつ」


 なるほどこのだらしなく垂らしている涎はその所為か。


 ……それにしてもこの無防備さよ。

 ただでさえ胸元の空いた際どいドレス衣装である。ブラもしてないっぽいしな。それが仰向けになって寝ていれば、重力に従って垂れるのは涎だけじゃないのだ。これがスライム……いや違うそうじゃなくて。

 肩を揺する度嫌でも目に映る乳房を捉えてしまえば、こんな時だろうが何だろうが、男なら生唾を飲むのも至って正常な反応だと言えよう。


「……おい、起きろって」


 もう一度肩を揺らす。さっきより力を淹れて動かせば、V字カットの生地から覗く褐色の双丘はこれに連動して形を崩していく。


 言い訳をさせてもらえば、その反応が見たくて肩を揺すっている訳じゃないんだ。直視してる訳でも無し、顔だってちゃんとシオンの面に向いているしな。でもどうしたって視界に入るんだよ。どうしても。な? 分かるだろ?

 何だかんだ数ヶ月くらい同棲していたとはいえ、部屋を分けていた以上この無防備な寝姿までをも目にした事はなかった。風呂上がりの裸模様を見た事なんて、あんなのは不可抗力だ。結局俺の方から見慣れたってくらいだしな。


 だからこそ、この自然体の反応に図らずとも下半身に血液が流れ込んでいくのは仕方の無いこと。これは男の本能なんだ。むしろ機能不全でなくて安心したと思うくらいである。


「…………? こんな、小さな……余に食せと……」


 そんな俺の状態とシオンのうわ言がこのタイミングでリンクし、彼女の寝顔がよりによって嘲笑混じりなものに変化した。


「お前ほんとは起きてんじゃねぇだろうな」


 それを見た途端俺は肩を揺らすのを諦め、その横っ面を引っ叩いて起こそうと決心したのだった。

 フランクフルトくらいあるわ。ちくしょうめ。

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