5 「ならば跳ね返そう」

 サラマンダーという名も馴染みのある言葉だ。

 RPGなんかでは火属性のモンスターだったり、火の元素を司る精霊の役割を得て登場している作品が多々ある。その見た目はトカゲやドラゴンのようなものから、身体そのものが火で出来ていたりたりと、それこそ作品の役割に応じて姿を変えている。

 そしてこの世界でのサラマンダーとは、どうやら後者の役割を担っているらしい。


 クレーターの底に沈んだグロウグリアスの身体は、その後も煮沸した液体の如く幾度も膨張し、液面を震わせていた。

 そこから天を突くように赤黒い流体が伸び上がって来たかと思えば、上空十メートル程度の場所に留まる。地面に溢れ落ちた身体の成れ果てはやがて全てがその場所に集まり、宙に浮いたまま不規則に流動を起こしていた。


「……何が起こってんだ?」

「躾けた、などと抜かしておったが……さては奴め。火の従者サラマンダー


 こちらと同じくその姿を見上げるシオンは、歪な円を描きながらもその熱によって輝く球体に向かってそう述べる。


「喰ったって……いや、そんな呑気に言ってる場合か? サラマンダーって言えば、火の元素とかそういうのを司ってる精霊みたいな奴だろ?」

「うむ。とはいえ別段驚くような事でも無いぞ。所詮は下級精霊よ」


 どうも俺とシオンで精霊に対する概念が異なるらしく、恐々と注視するこちらを他所に、あくまでも平静を保ったまま彼女はそれを眺めていた。


「……それはお前が魔王だから、大した事無いって言ってるだけじゃねぇだろうな」


 次第に内で流れが止まっていく球体を見ながらも、ついそんな事を尋ねてみれば。


「貴様も分かってきたではないか──ほれ、


 こちらを流し見たシオンは、ニヤリと笑みを溢してそう答えた。

 流動の収まったそれは円形を保ったままでありながら、しかし何時しかその輝きを引っ込めている。赤さを失くし、黒ずんだ球体は間もなく表面をひび割らせていき、その中身を解き放った。

 まるで小さな太陽──直視も叶わない程の白色の光がこちらの目を潰さんばかりに放たれる。堪らず目を細めて視線すら背ければ、立っている地面を省いた周辺の大地が、その中身の温度に呼応するかのように赤熱を始めていた。

 途端に身体を包み込む熱を感じ、それに気付いた俺は慌ててシオンへと顔を向けた。


「お、おいシオンっ、これ、本当に大丈夫なのか?」


 あらゆる干渉を通さないはずの障壁エナジーガードを纏っているにも関わらず、既にこの身はサウナにでも入っているかような温度を感じている。額に流れるこの汗は、決して冷や汗によるものではない。

 という事はつまり、もう一つの太陽と化したグロウグリアスは、それをも越えて熱を送り込んでいるという事。


「クク、面白いではないか。なに、貴様は単なる我慢比べだと思っておればよい」

「……せめて、干からびる前に終わらせてくれよ……」


 一方汗一つ掻いていないシオンは愉快げに笑い、続けてに向かってこう述べた。


「何時まで勿体ぶっているつもりだ。待つのはしょうに合わんという余のさがを、知らん貴様では無いだろう?」


 それが第二ラウンドの合図となる。

 地に轟く咆哮は彼の声か、はたまた業火の唸りか。中身の水分すら蒸発したグロウグリアスはもはや個体から昇華した気体でしかなく、その水蒸気とも取れる身体は一つの姿を成すように変貌していく。

 は青白く、体の外枠を知らしめるように赤く型どられていた。

 ドラゴン、というより龍のような細長い姿を形成したグロウグリアスは、周囲の空間を熱波で歪ませながら、シオンを刺し穿たんと先端を鋭くして一直線に突き進む。

 さしものシオンも一点集中による攻撃は不味いと察したか、宙でステップを踏むようにしてそれを回避。急所のあった場所を紙一重のタイミングで交わせば、一筋の流れが瞬きの合間に過ぎ去っていく。

 グロウグリアスが勢いを弱める事無くその先にある地面を穿てば、その火力に大地が悲鳴を上げる。そして数瞬の間を置かず地面から突き破って現れたグロウグリアスは、そのまま空中へと昇り、その身をに分けた。

 二本となった超々高温度のは意思を持つかのように二手に分かれ、シオンを前後から挟み込むべく穂先を向ける。先端の延長線上にあるのは、彼女の頭部と心臓。

 シオンはまず前方、心臓に目掛けて襲い掛かる槍を先ほど同様に躱すと、振り向きざまにその一本目を事もあろうに掴み取った。更にはその槍でもって、背後から頭部に向かって飛来する二本目の穂先を力任せに叩きつける。

 衝撃によって四散した二つの槍は一度その姿を隠したかと思いきや、シオンの頭上に再び一本の姿となって現れる。


「うっそだろ!?」


 驚愕に思わず叫んだのは次の瞬間。

 グロウグリアスは再度二本に姿を分かち、次いで四本、八本と、本数をねずみ算式に増やしていったのだ。もはや数えるのも億劫な程にその数を増やしたグロウグリアスは、こちらが躊躇する暇も与えず上空から業火の雨を降らせてきた。


「──疾く応えよ。”原初の水脈”」


 同時に、シオンが手の平を空に向けるよう振りかざす。

 直後、下方から凄まじい勢いで水が解き放たれた。大地を裂いて湧き上がる膨大な水量は周辺をドーム状に膜を形成し、無数に分かれたグロウグリアスの猛攻を次々と受け止めていく。その度に弾け、あるいは蒸発したような音が上空で鳴り響く。

 着弾によって生じた隙間を縫うように飛来する槍こそあれど、瞬時に再生された水の護りによって防がれる。延々にも繰り返されそうな攻防は、やがてグロウグリアス側の打ち止めによって終焉を迎えた。


 だがそれで終わりでなかったのはグロウグリアスの執念によるものか。

 残り一本だけとなった彼は、今度は分かれるのではなく、その体積を増やしていく。見る見る内に大きく、太くもなっていくそれはもはやスピアーではなく、ランスの類。


「……って、どこまででかくなんだよっ!?」


 思わずツッコんでしまったのはその有り得ないサイズ感ゆえ。

 空にそびえた一本の巨大な槍は、標的を定めたかの如くこの周囲に影を落とす。グロウグリアスはそのままゆっくりと、しかし確実に、こちらに向かって真っ直ぐ降りてきた。

 これはもう、刺し穿つというより押し潰すと例えた方が良いのかもしれない。


「おい、おいおいおいッ、流石に洒落にならねぇだろこれ!」


 滝のように流れる汗のせいで素肌にへばり付く衣服を厭わず、俺は直上のそれを見て慌てふためく。


「ふむ。あれを貰えば、この辺一体が消滅しかねんな。見事なものではないか」

「悠長に言ってる場合か! どうすんだよあんなの!?」


 シオンはこれに慄くどころか、感嘆と頷いている始末。余裕の表れなのかはこの際どうでも良いが、せめてもうちょっと緊張感を持って欲しい。


「ならば跳ね返そう」

「……は?」


 こちらの問いに何の躊躇いもなく簡潔に答えたシオンはその身を浮かし、水のドームに登り立つ。既にグロウグリアスの先端は目前にまで来ており、その差は僅か人ひとり分程度。


「我が身に宿れ。”炎の魔神イフリート”」


 刹那、シオンの身体が猛火に包まれた。足元にあった水の膜はこれによって蒸発。あれほどの猛攻に耐え切っていたはずの被膜は瞬く間にその範囲を広げて侵食されていき、間もなく全ての水分が消え去ってしまう。

 体を包んでいた炎はその合間にも右腕に集まっていけば、シオンはその拳を数回握ってから、やおら肘を下げる。


「力比べだ。この拳、しかと受け止めてみせよ」


 眼上に放たれた猛火の拳とその台詞は、彼女の何十倍もの体積を誇る業火の穂先とぶつかり合う。

 音も無く、しかし衝撃による余波は大地を沸かす。赤熱した岩や砂利も、炭と化した木々も、その範囲などもはや知る由もなく、地面にあった全てがその形を振動によって砂塵と共に散らばせ、シオンを起点として放たれる衝撃波から逃げ惑うように吹き飛ばされた。そしてそれは当然、これまで辛うじて無事だと言えるべき俺も同様であった。


「そんな無茶苦茶なッ──!?」


 一拍遅れて到来した轟音に続き、目端でグロウグリアスの姿が四散していくのが見て取れたがそれは一瞬の出来事。「やった!」などと歓声を上げる暇もない。

 風圧によって飛ばされたこの身体は何遍も地面に弾ませながら、目まぐるしく反転する景色に何ら抵抗を見出すことも叶わず、小石さながらに宙を舞っていく。障壁エナジーガードの効果が未だ続いてくれて本当に助かった。下手すりゃこの勢いだけで文字通りすり身になってしまう。

 やがてシオン達から遠く離れた所まで吹き飛ばされた俺は、そこが衝撃波の終着点であるかのように木の幹に受け止められた。どこまで吹っ飛ばされたのかなんて、あの豆粒程度のサイズ感でしかない人影を見れば一目瞭然だ。


「……終わった……んだよな?」


 木の根元に背中を預けたまま、前方の光景を眺めて呟く。

 視界を埋める程に巨大化していたグロウグリアスの姿は見当たらず、クレーターの中心付近でシオンらしき人物が宙に浮いている。何やら辺りを見渡している様子だが、何か気に掛かる事でもあったのだろうか。


 それにしても。

 二次元の世界とはかくも恐ろしいものか。この世界がそうだとは言えないが、ゲーム上でこそ軽々しく使っていた魔法やその攻防の中に、こんな過程が端折られていただなんて。まぁ冷静に考えたらごく当たり前の内容ではあるんだろうが、こうもその一端を見せ付けられたら、ボタン一つで結果が反映されるような普通のRPGなんかじゃ、もう満足出来なくなるかも知れない。

 とはいえ俺が立っている側が魔王側な現状、常にラスボス戦でも見ているような物なんだろう。加えて転移して早々にこんなぶっ飛んだ戦いを拝む事になるなんて、運が良いやら悪いやら。


「……こんなハチャメチャな強さを以ってしてでも、勇者って奴にゃ勝てないのかね……」

「──それを決めるのは貴様でも勇者でも無く、余である。勝手に感慨に耽るでない」


 前方に影が出来たかと思って見上げれば、目の前にシオンが腕を組んで立っていた。あれだけの戦闘を起こしておきながら息一つ乱しておらず、その玉肌には傷の一つも見当たらない。


「まったく、こんな時にどこをほっつき歩いとったのだ」

「お前らの喧嘩に巻き込まれて吹っ飛ばされただけだっつーの。ていうか良く此処だって分かったな」

「くく。貴様の間抜け面など、何処に居ようが分かるに決まっておるわ」

「そりゃあどうも。まったく嬉しくねぇ報告ありがとよ」


 言いながら、差し伸べられた手の平を取って立ち上がる。こんな華奢な指先からよくもまぁ、あんな暴れん坊染みた破壊力を生み出せるもんだ。


「……勝ったんだよな?」


 シオンがわざわざ俺を探しに来てくれた以上分かり切っていた結果ではあるが、念の為、改めて尋ねてみる。


「うむ、完勝である。どうだ、余の強さに平伏し、誉め讃えるがよいぞ」

「その余計な一言が無けりゃもうちょっと見直すんだけどなぁ」


 胸を張り、得意げに鼻先を上げたシオンに肩を竦めて応えてやる。


「あいつはどうしたんだ? その、死んだのか?」


 最後に見た四散っぷりは見事なもので、シオンの拳を受けたグロウグリアスは再び上空へと跳ね返された後、その姿を崩壊させていた。ましてやシオンの、魔王の一撃をモロに食らったのならば、きっとただでは済まされていないだろう。


「いや? 奴なら元の姿に戻ってあの辺で寝とるが」

「生きてんのかーい」


 シオンは適当にその辺りを顎で差し、これに答えたのだった。


******


「クソッ! クソぉ!! 何でだ! 何で強くなってんだあんたはァ!?」

「そんな事を言われてもな。貴様が弱くなっただけではないのか?」


 シオンにより回復魔法を受けて目を覚ましたグロウグリアスは、屈辱に塗れた顔で何度も拳を地面に叩き付けていた。その都度小規模な振動が起きるせいで非常に立ち辛いのだが、ここは敢えて空気を読むしかあるまい。

 何せ一応、惚れた女相手に完敗してしまった形なのだから。しかもあれだけの啖呵を切っていたにも関わらず、負けた上に回復までされてしまえば、男としての矜持もあったもんじゃないだろう。


「アホか!! 俺ぁあんたを犯す為だけにこの十ナン年と鍛えてきたんだぜ!?」


 ちょっと理由が不純過ぎやしないかね。というか勇者の相手はどうした。


「ふん。この程度の実力で余の貞操を奪おうなぞ万年早いわ」

「えっ」

「何だ」

「いや何でも」


 よもやシオンからそんな台詞が出てくるとは。一応に対して最低限の教育は受けているのか、それとも歴代の知識として引き継がれているだけなのか。

 しかしそうか。やっぱり処女かこいつ。いや、失礼何でも無い。


「少なくとも、火の従者サラマンダーを従えた程度で強くなったと勘違いしているようでは万に一つも余に勝ち目はあるまい。

 しかしまぁ、一点突破による攻撃は悪くはなかったぞ。あれを食らえばさしもの余でも……」


 そこまで述べた後、何か引っかかりを得たシオンは何か言葉を探すように喉元を唸らせた。


「……そう、蚊に刺されたくらいの傷は出来ていたであろうな」

「負けず嫌いか」


 そこは素直に褒めてやる所だろうに。


「そういやシオン、お前はイフリートって言ってたけど、サラマンダーとは違うのか?」

「うむ。炎の魔神イフリート火の従者サラマンダーより更に格上の存在よ」

「上級精霊、ってやつか?」

「一言で済ませばそうであろうな。異なるとすれば火の従者サラマンダーはその辺に転がっておるような、それこそ下級の存在だが、炎の魔神イフリートは基本的にを極めた者の前にしか姿を現さん」

「……簡単に言ってくれるぜ。サラマンダーだって、この俺ですら躾けるのに苦労した精霊だったってのによ」


 シオンの説明にグロウグリアスは悔しさを滲ませながら言葉を繋げる。そのやり取りを聞いただけで、二人の実力差が見て取れるようだった。


「実際のところ此奴もこの十五年で確かに腕を上げたようだ。もはやと肩を並べられる、魔族きっての臣下と言っても良かろう」

「へぇ……そりゃすげぇな……って、んん? 奴ら?」


 シオンの言葉に、今度は俺にも引っかかる点が生まれた。


「ちょっと待て。こいつは四天王の内の一人とかじゃないのか?」


 魔王にこそ及ばなかったとはいえ、あれほどの力を見せしめたグロウグリアスは、てっきりそういう存在なのかと思ってたんだが。


「何か勘違いしておるようだが。此奴は連中に比べたら赤子も同然、ようやく一人前になってきた程度の男だぞ」

「えぇ」

「馬鹿かてめぇは……悔しいが魔王サマの言ってる事は本当だぜ。俺がどんだけあいつらの元で修行を積んだと思ってやがる」

「いやそんなん知らんけども……お前の強さでようやくって」


 この世界の強さの基準がイマイチ分からん。というか勇者を含め、人間達はこんなバケモン連中と普通に戦ってるって事だよな。異世界こえぇなおい。


「ま、クソ爺も居なかったしそんなに苦じゃ無かったがな」

「ほう? ではセバスにはその様に伝えておこう」

「……ハッ!? いや待て魔王サマ、今のはナシだ! 忘れろ!!」

「何でそこでセバスチャンの名前が出てくんだ?」

「るせぇ! ゴミは引っ込んでろ! つーかてめぇも今のは忘れろ! 喋ったら殺すッ!」


 何やら焦っているようだが、人を指差してゴミ呼ばわりは良くないな。うん。


「そうかそうか。じゃあゴミはゴミらしく、セバスチャンにゴミ捨て場の場所でも聞いておくわ。ついでにうっかり口が滑るかも知れんが簡便な」

「口割って良い理由になってねぇよクソボケェ! つか何であのクソ爺の事まで知ってやがんだてめぇはよ!?」

「へぇ、クソ爺ってセバスチャンの事なのかー。そっかーへぇー」

「ッッ! おい魔王サマ! こいつに掛けてる魔法を解きやがれっ! 今殺す! 直ぐ殺すッ!」

「断る。貴様も魔族の端くれなら自力で破ってみせい」

「チィッ! 何で俺の周りはこんな奴らばっかなんだよクソがァ!」


 なんて言うか、急に小物じみてきたなこいつ。

 頭を掻きむしりながらそんな叫び声を上げるグロウグリアスを見て、俺とシオンは同時に口を開く。


「「日頃の行いじゃね/であろうな」」


 珍しく、二人の意見が一致した瞬間であった。

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