4 「お前がっ──!?」
ベッドの残骸はシオンの魔法によってすんなりと片付けを終える。
彼女が自身の魔力によって生成させた風を用い、独りでに麻袋へ仕分けしていく様は、まるで一級の手品でも見ているかのようだった。
「まったく、何故余がこんな小間使い染みた事をせねばならん」
などと愚痴を漏らしていたがそれはそれ。自分の不始末は自分で始末しろという俺のお達しに、シオンは渋々ながらもこれを遂行してみせた。
「それもこれも、余のツッコミ程度に耐え切れんベッドが悪い」
「魔王のツッコミにいちいち耐えられる家具があってたまるか」
口を締めた麻袋を壁際に並べつつ、俺とシオンはテーブルに着いて一休みを取ることにした。
そのタイミングで扉にノックが鳴ると、シュフュシュに続いてセバスチャンが部屋に入って来る。
「お、連れてきてくれたか。ありがとうなシュシュ」
こちらが片付けをしている合間、シュフュシュにはセバスチャンを連れてくるよう頼んでいたのだ。
足代わりの根を器用に蠢かせ、ホバリングでもしてるかのように滑らかな移動で傍に寄ってきたシュフュシュの頭を軽く撫でると、彼女はその場に花弁を降ろして身を落ち着けた。
「……これはまた、随分とすっきりしましたな」
こちらは明らかに違和感の生じたスペースを見ながらも、わざわざ言葉を選んだセバスチャン。
「こいつがやったからって無理に擁護しないで良いんだぞ」
「ええい、指を差すな指をっ」
隣を示す指先が当人によって払われれば、それを見たセバスチャンは僅かな笑みを漏らしつつ俺へと顔を向ける。
「代わりのベッドを運んでくればよろしいので?」
「いや、それなんだけど。枕だけで良いんだわ」
「貴様、余に床で寝ろと申すか」
何でお前が寝る前提なんだ、というのは心の中に仕舞っておく。いちいち反応してたら話が進まん。
「元々、俺はそうやって寝てたしな」
「では、敷布団の下に敷くカーペットも要りますね。畏まりました。後ほどご用意致します」
「ふむ。それならば、座布団の代わりにはなるか」
「だから何でお前が占領する前提なんだってばよ」
都度合間に入ってくるシオンに耐えかねて、結局ツッコミを入れてしまう俺であった。
******
翌日。
久方ぶりに感じる床上での睡眠は、馴染みのある硬さも相まって俺を快眠へと導いてくれていた。やはり一週間程度の期間では、二十数年と続けてきた眠りの質を変えるに至らなかったらしい。
時刻は朝の六時過ぎ。こっちに来てから、普段よりも少しばかり早い起床である。
誰に起こされるでもなく自然と目覚めた俺はそのまま起き上がって布団を畳み、陽の光でも拝むべく窓のカーテンを開ける。
「……誰だお前?」
窓ガラスの向こうで、今まで見たことの無い男がこちらを覗き込んでいた。というか、此処を何階だと思ってんだこいつは。
よくよく見れば背中から羽が二枚生えており、それを羽ばたかせて浮いていた事に気付く。
短髪の赤毛は燃えているかのように立っており、悪人面とも言える面構えは訝しげに歪んでこちらを睨んでいた。
「──てめぇがッ! 俺の魔王を誑かしたのかァッ!!」
そして目が合った途端、どこぞで聞いたことのある台詞と共にその男は文字通り、燃え盛る怒気を身に纏って声を上げた。まったくもって覚えの無い謂われに戸惑いを覚えながらも途端に熱くなってきた窓辺を塞ぐべく、つい反射的にカーテンを閉ざす。
「待てやコラァ!」
「おわっ!?」
しかし何時ものノリでやらかしてしまったこの対応が、今回に限って失態だったらしい。
向こうでそんな怒号が聞こえたかと思えば、窓辺とその周囲の壁が一気に弾け飛ぶ。破片から逃げるように後ろへ下がれば同時に侵入してきた熱気に当てられて、カーテンや付近にあったカーペット、更には畳んでいた敷布団すら煙を上げて燃え始める。
「……チッ、本当に人間じゃねーかよ」
外の景色が丸見えになった壁から上がり込んできた男は、その二股に分かれた爪先を床に鳴らす。足を着く度、鉄板で何かを焼いた時のような音が聞こえのは、彼の足先が相当の熱を持っているからだろうか。
部屋に侵入してきた事で、ようやくその男の全貌が明らかになる。
上半身は人間とごく変わらない。これだけの熱気を纏っているにも関わらず燻ってすらいない赤のコートを羽織っており、捲られた肘先からは所々鱗が付着したような肌が見えている。
人間と異なっているのは主に下半身。男のそれはリザードマンの脚と似た造りになっており、その両足の合間から床に付くほどに長い尾を覗かせている。更には羽や尻尾を含め、人間と異なる部分の大半は赤い鱗に覆われていた。
こいつと似たモンスターであるギュッセルに比べて明らかに違うのは、その異様なまでに殺意が込められた瞳。それを見るに、ただ覗きに来た訳でも無さそうだと察してしまう。
大きく開けた窓辺から差し込む朝日に照らされれば、男の周囲はその熱気を示すかのように陽炎を揺らめかす。
「初めましてだなぁ人間。俺はグロウグリアス……この名をてめぇの身体に焼き付けて、死ね」
「お前がっ──!?」
セバスチャンが注意しろと言っていたドラゴニュートか!
有無を言わさず放たれた灼熱の炎に為す術もなく、視界は瞬く間に赤に染まる。
部屋を埋め尽くす勢いで発せられた真っ赤な雪崩に、この身が飲み込まれるのは一秒にも満たなかった。
しかし、熱に溶かされる時間は一向に訪れない。
「──やれやれ、朝っぱらから騒がしいかと思えば。その威勢の良さは相変わらずだな」
何故ならば、眼前に現れていたシオンがグロウグリアスに立ちはだかっていたからだ。
未だ燃え盛る炎を前に、熱も何も感じないのはまたしてもシオンの手際に依るものか。触れているはずなのにこれを感じないのは、恐らく彼女が
「よぉ魔王サマ。久しぶりだなぁ、相変わらずの美しさで安心したぜ」
「御託はよい。それより貴様、これは一体どういう了見だ?」
シオンの背を介して見たグロウグリアスの表情は、どこか悦に入ったようなものになっている。対して周囲の炎をその手に吸い込んでいくシオンは、表情こそ窺い知ることが出来ないものの、言葉尻に微かな苛立ちを孕んでいるようにも聞こえた。
「ハァ? どうも何も、俺は人間がこんな所に居るから始末しようとしてるだけだぜ?」
「ふん、セバスの報告を聞いておらん貴様では無かろうに」
「……あー、そっか、なるほどなぁ。そこの人間がそれだとは知らんかったわ。いやぁ、わりぃわりぃ」
実にわざとらしい返事をしながら、グロウグリアスはこちら側に向かって歩を進めてきた。
「……俺の魔王とか言ってたくせに良く言うわ」
シオンが来たことで安心感が勝ってしまい、ついそんな事を口走ってしまう。かなり小さな声量だったのだが、グロウグリアスはこれを聞き逃してはくれなかった。
「あ? ゴミは黙ってろよ。殺すぞ」
言うが早いか彼の身体から再度炎が巻き起こり、シオンを避けるように俺へと襲い掛かってくる。しかしこちらに届くよりも先に、火の流れはまたしてもシオンの手元に収まっていく。
「おいおい魔王サマ、何でそんな人間を庇うんだ? 汚れ仕事は俺に任せとけって。塵一つ残さねぇからよ」
「どうやら貴様の頭では、報告だけでは理解し切れんようだな」
呆れ気味に言うシオンがやおらこちらの手を引くと、俺の身体は強引にグロウグリアスの前に引きずり出されてしまった。
「これは余の物である。如何な者だろうが手を出すことは叶わん」
だから物扱いは止めろよ、と言いそうになったのも束の間。
それを受けたグロウグリアスの面構えは、途端に険しいものに変化した。こめかみに青筋を立て、見開かれた両目がシオンから俺に向けられると、その瞳孔は標的を得たかのように鋭くなる。
「……物だとぉ……? そんなゴミに、なんの価値があるってんだ?」
鬼気迫る表情で吐き捨て、グロウグリアスは後方へと跳躍する。その先は当然窓の外であり、二枚の翼を羽ばたかせた彼は宙に浮く状態でその場に留まった。
「良い機会だ。ちょっと面貸せや」
「またそれか。十何年と過ぎている癖に、懲りん奴だな貴様は」
「うるせぇ。たかが十何年で変わるほど俺の想いは軟派じゃねぇんだ。
今日こそあんたをブチのめして俺の子種を仕込んでやっからよ。そこのゴミもついでに焼却処分してやるから連れて来い」
そうしてグロウグリアスは俺を一瞥した後、景色の向こう側へと飛び去って行った。
「……はぁ、相変わらず話の通じん奴だ」
その様を見送ったシオンは苦虫でも噛み潰したような表情すら浮かべ、頭を何度か横に振る。
「……お前ら魔族は、一枚岩になったんじゃなかったのか?」
「余に聞くでない。それ以前に、
つまりは俺からしたら脈絡もなくシオンへ突き付けられた下剋上宣言も、グロウグリアスの歪んだ求愛行動の一貫という訳か。あの言い方からして、彼はシオンに好意を抱いているみたいだしな。
「幾度も土を舐めさせようが、あの様にしつこく迫ってくるのでな。正直鬱陶しくて敵わん」
「それなら真正面からフッてやれば良いのに」
「阿呆か。それが叶えばとうに話が済んでおるわ」
どうやら既に実証済みらしい。
「まぁ、確かに鈍った身体を動かすには良い機会だな」
不敵な笑みを湛えたシオンは当たり前のように俺の首根っこを掴み上げると、やたらに風通りの良くなった窓辺に向かって行く。
「……え、やっぱり俺も行くの?」
「当たり前だろう。貴様にはまだまだ、この世の何たるかを教えてやらねばならんからな」
「楽しそうだなちくしょう」
「ふ、この程度は序の口ぞ」
そうしてシオンは俺を掴んだまま、グロウグリアスが消えた方へと跳躍したのだった。
******
魔王城から十数キロメートルほど離れた所に、決闘の場所があった。大小様々な石が転がり、炭のように成り果てた木の残骸が所々に倒れている。
空中から見ていた限り、広大な雑木林に囲まれている中で、この場所だけぽかんと穴を空けたようなスペースになっていた。
「奴に呼び出される場所といえば大抵此処でな。何度も戯れたせいか、根も生えぬ荒れ地と化してしまったのだ」
「草木にしちゃいい迷惑だろうなぁ」
それでも草花がまばらに茂っているのは、十五年の月日で生まれた雑草魂ゆえか。
半径五百メートルほどに渡って広がったスペース、その中心辺りにグロウグリアスは待ち構えており、俺達もその元に降り立つ。大きめの岩に腰掛けていたグロウグリアスは嬉しそうに口元を緩め、地面に降りてこれを出迎える。
「早かったじゃねぇか。そんなに俺に会いたかったのか?」
「馬鹿め。朝飯前の運動を済ませに来たまでよ」
「へっ、なら数日は我慢しとけ。今この時をもってあんたは俺の女になるんだ……足腰立たなくなるまで、抱いてやっからよぉ!!」
下卑た物言いの直後に彼の元から発生した炎は、周辺の雑草を瞬時に塵へと化させて宙を舞う。
「生憎だが、貴様如きの熱に浮かれるほど余は落ちぶれておらんのでな」
対するシオンは表情を崩さず彼に答える。
立ち上った火柱が落ち着けば、グロウグリアスの身体は火入れをした鋼のような輝きを放っており、その熱は近くにあった岩をも融解させていく。
「ハッハ! いいぜぇッ、それでこそし甲斐があるってモンだ!
──これより顕界せしめるは万象を滅する赤熱の焔!!
煌々と! 轟々と! 燃え尽きろ! その魂ごと焼き焦がせ! この目に映る全てを呑み込め!」
「イッキよ」
「お、おぅ。何だいきなり」
グロウグリアスが高らかに詠唱っぽい文言を発声してく最中、シオンは変わらぬ冷静なトーンで俺の名前を呼んだ。こんな時だろうが突然名前で呼ばれるとさすがにびっくりするわ。
「貴様の周囲ごと
「……わ、分かった」
こちらを見る事もなく、そう言い残してシオンは悠然とした歩きでグロウグリアスの元へ向かって行った。
「ふむ、火の最上級魔法か。出鼻からそれとは、面白いではないか」
ながらにシオンが彼の所業を褒め称えると、それを受けたグロウグリアスは口角を吊り上げて、詠唱を繋げた。
「──灰燼に帰せ。”エクスプロージョン”!!」
ゲーム等で聞き覚えのある魔法の名称が叫ばれた刹那、彼の元から閃光が瞬く。
余りの眩しさに目を細め、咄嗟に腕を上げて瞳を隠せば、閃光の後に続いて紅蓮の光が視界の隙間を埋め尽くしていく。シオンの言っていた通り熱による弊害は起きなかったものの、同時に地面から突き上げられるような衝撃には耐える事が出来ず、俺は堪らずその場に尻もちを着く。
「こんなん、どうやって動くなってんだっ! うおぉっ!?」
絶えず地面から伝わる地震ばりの揺れに、四つん這いになって必死に堪えることおよそ十数秒。
徐々に収まる揺れに安堵しながら息を吐き、ここでようやく顔を上げる余裕が生まれた。
「なんじゃ……こりゃ」
呆然とする俺の視界には、まず巨大なクレーターが目に収まっていた。隕石でも落ちたんじゃないかと思わされる程の窪みは、まず間違いなく魔法による爆発の衝撃で出来たものだろう。見渡せば半径五百メートル程だったはずの荒れ地は更にその範囲を広げており、地面は所々で熱を持ったように赤くなったまま、あるいは燻されたように煙を上げている。
俺を含め、
「……チッ、これでも結構マジだったんだがな。そんなゴミ一つ燃やせてねぇのはさすがに業腹だぜ……!」
「結構? ……余の居ぬ間にここまで練度を上げたのは褒めてやりたい所だが、貴様、魔王たる余を前によくもそんな言葉を吐けたものだな?」
二つの台詞に目線を向ければ、二人は互いに地面があった場所から微動だにしてない状態で浮いている。
シオンもやはり
「なぁに気にすんな。今のは挨拶代わりってやつだ」
言葉尻にグロウグリアスが姿を消したかと思えば、赤く発光した拳がシオンの腹部に直撃している。人外の速さで動いていたせいか、俺の目ではそんな結果しか言い表せない。
「……っ!? 何だぁ、この感触はッ」
しかしシオンの顔は苦痛に歪む事はなく、むしろ嘲笑すら溢してグロウグリアスの困惑を受け止めていた。いつかそれによって守られたシオンの手を引っ叩いた時の、あの奇妙な感覚は未だ記憶にも残っているので彼の気持ちは分からんでもない。
「これか? これは余と奴の間に生まれた結晶だな。貴様如きでは打ち破る事も出来んだろうよ」
「言い方!?」
「……結晶ォ……?」
誤解を招く文脈でそう告げたシオンから、グロウグリアスはゆっくりと俺へと顔を向ける。
「てめぇ、俺の女に何をした?」
そして先と同様またしても姿を消したグロウグリアスは、忽然と眼前に現れたかと思えば鼻先一寸ほどの距離まで額を寄せ、凶悪なメンチを切ってきた。
「こえぇよ離れろよ……何もしてねぇから安心しろよ」
「何を言う。余の中で撒いた種が芽吹いた結果であろうが」
「お前分かってて言ってんだろ!? って近い近いちかいちかい!?」
正しくは幻術(の中)で得た(撒いた)ヒント(種)のおかげで生まれた(芽吹いた)魔法(結果)のはずなんだが。というか絶対わざとだあの野郎。何を考えてそんな火に油を注ぐ台詞に変化させたのか、後で説教してやる。
ほらぁ、こいつめっちゃ怒ってんじゃん。さっきからずっとこの距離で殴り掛かって来てるし。
「チィッ! いくら殴っても感触がねぇ!」
「当然余と同じ物を掛けておるのでな。貴様が余の魔力を越えぬ限り、其奴には傷一つ付けられんぞ」
「クソが! 何だってそんなタチのわりぃ防御魔法なんて思い付きやがった! あぁ!?」
「俺に言うな俺にっ」
唾が掛かりそうな勢いで捲し立てたグロウグリアスはそこでようやく打撃を諦め、距離を離す。そのまま忌々しそうに舌打ちをかました後、シオンへ向き直った。
「……要はよ、一瞬でもあんたの魔力を越えりゃあ良いんだろ?」
先程のような威勢は無く、しかしその口振りは冷静さが垣間見える。
パチ、と何かが弾ける、乾いた音が聞こえた。焚き火の際に水分が弾けた時のような物音だ。それは彼の周囲から鳴っており、次第に連続して聞こえるようになっていく。
「まぁその通りだが。貴様にそれが出来るか?」
「出来るか、じゃねぇな。ヤるんだよ」
次いで、シオンの挑発に乗ったとばかりに身体が一際の輝きを増していく。
「ナんたって俺ぁ、あんタの旦那になる男だからなァ」
文字通り身を焦がし始めたグロウグリアスの身体から、何か赤い液体が垂れ落ちた。どろりとした物体は彼の体を不規則に盛り上がらせ、やがて重力に従って次々と表面を伝っていく。
「ヨぉく見とけケ……サラマンダーを躾ケタ、おレのチカラヲ──」
喉元から絞り出されるような声はしわがれ、音の籠もった低い発声になっていく。
グロウグリアスは、そうして不穏な言葉を不気味な音に残し、赤熱した身体をクレーターの底へ溢れ落としていくのであった。
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