2章 魔王城へようこそ

1 「こりゃあ、会社はクビかね」

 魔王城。

 魔王であるシオンが住んでいる居城であり、勇者一行がその討伐のため最終的に訪れる地点でもあるだろう。


 いつか引っ越しをする際に、シオンが選んでいた一軒家があったと思う。

 あの時廃校でも改装したような大きさと例えていたが、この度不本意ながら転移してしまった場所がまさしくその手の物であった。というか実際はアレより一回りもデカかった訳だが。

 外観は洋風の城としか言いようがなく、高さ五メートルはあろうかという石造りの壁が、内にそびえ立つ城の周りを囲っている。城門は正面にしか見当たらず、先日人間の兵士とモンスター達が争っていたのはその付近だ。

 城壁を含めた全体的な造りも主に石やレンガで済まされており、城門の左右やその四角に側塔が、城本体には更に高さのある塔が計三つ伸びている。

 その見た目を一言で例えれば、山という漢字が一番わかり易いかも知れない。或いは教会を重ねたようなイメージとでも言うべきか。


 俺が転移したテラスは三つの内の真ん中にある塔の最上階付近に位置しており、また、こちらはシオンが普段寝泊まりしている部屋の階層でもある模様。中央のそれは別棟や居館を兼ねた作りにもなっているようで、魔王を含め、様々なモンスター達がその中を闊歩している。

 真ん中の塔の事は、仮に中央塔とでも呼称しておこう。


「よくお似合いですよ」


 そんな前置きをした前提で、俺はシオンが住まう階層から一段下のとある部屋に無理やり通されており、何ならセバスチャンが用意した衣服に着替えている最中でもある。

 敵対するべき人間が連れ去られる部屋と言えば一般的に拷問部屋、もしくは牢屋みたいな場所だと思っていたが実際はホテルの客室のような、生活するに何一つ不自由の無い所であった。


「そんな事言われても嬉しくねぇ。てか何でタキシード」

「一村様でも着れるような物が、この手の物しかありませんでしたゆえ。サイズ感は如何でしょう?」

「あぁ、うん。丁度いいけども」


 俺がこの部屋で一晩を過ごしている最中、セバスチャンは自前の黒服を俺用にと自ら仕立てたそうな。


人間ヒトの臭いに敏感な種族もおります」


 セバスチャンはそう言い、ドンピシャに仕上げたタキシードを俺に寄越したのだ。


「結局人間の俺が着るんだから大差無いんじゃ?」

「いえ、そちらの繊維には魔王様の魔力が練り込まれております。

 それを着ている限り、この魔王城でも安全に歩くことが出来ましょう」

「何か唾付けられてるみたいで嫌だなぁ」


 とはいえ、せっかくの気遣いを無下にする訳にはいかなかった。

 わざわざそうして持って来たという事は、そのままでは俺に危害が加わる可能性が高いからだろう。着ない選択肢などあるまい。


「朝餉はどうされますか?」

「うーん、今は遠慮しとく」


 現在の時刻は朝の七時を過ぎた辺り。

 幸いにも、時間を計る物はこの世界にもあった。もちろんデジタルなんて代物ではなく、機械仕掛けなアナログ時計ではあったが。

 普段であればとっくに朝食を済ませてる時間帯なのだが、慣れない環境下において緊張でもしているのか、未だ腹の虫は鳴りを潜めている。


「然様ですか。では、私は支度がありますので一旦下がらせて頂きます。

 館内はご自由に散策して頂いて結構ですが、これより上の階層は」

「分かってるって。シオン専用の階なんだろ?」

「何卒ご理解下さいませ。

 一村様が居る場所は我らが世界にございます。くれぐれも、失礼の無いように」


 着替えている間に魔王城について、おおまかの説明は聞いていた。

 何せ魔王と言えば魔族の頭領。他の連中からすれば、人間と魔王が仲良く喋ってるのは当然聞こえの良いものではないだろう。

 セバスチャンが言っているのは、つまりそういう話だ。

 そんな訳で先の面子で集まりでもしない限り、俺はこの世界で皮を被って生きていかなければならないらしい。正直億劫で仕方がないがやむを得まい。

 ちなみに彼やキールは俺が向こうの世界出身である事を知っているので、基本的にはシオンとの交流に口は出さないスタンスでいるとのこと。


「グロウグリアス、という名のドラゴニュートがおります」

「ドラゴニュート……? あぁ、竜人みたいな種族か」

「よくご存知で。特に彼は魔王様に対し、盲信的な箇所が見受けられますゆえ十分にご注意願いますよう」

「へぇ。でもそれを言ったらあんたの方が上なんじゃないか?」

「ふふ、さて、どうでございましょうな」


 セバスチャンはこちらの切り返しにも微笑を崩さず、一礼をした後に部屋を後にする。一人残された俺は、ベッドの縁に腰を落ち着けて今後の展望に思考を傾けた。


 一晩空けても今の所、何か体調に変化がある兆しもない。転移直前の事態は何だったのかと思える程、この身体は既にいつも通りなものだ。

 個人的にはさっさと現実世界に戻りたい気持ちではあるのだが、如何せんその手段が思い付かない。シオンやキールみたいに転移など使える術も無い訳で。


「こりゃあ、会社はクビかね」


 などと、この期に及んで間の抜けた台詞が口を衝いて出てくる。

 そもそも何一つ準備をさせてもらえぬままこちらに訪れてしまったのだから、連絡手段などある訳も無い。もっともスマホがあった所で電波が通じるのかも分からん。というかもし連絡が着いたとして、なんと言えばよいのか。


『魔王城に連れ去られてしまい、帰る手段が無いのでしばらく欠勤します』


 ……まず頭の心配をされて終わってしまいそうだ。俺でもそんな連絡を受けたら精神科への診察を勧める。

 一日二日程度ならまだ無断欠勤の始末で済むのだろうが、これが一週間一ヶ月と続けば警察沙汰になるかもしれない。嫌だぞ俺、こんな形でテレビに全国デビューだなんて。

 兎にも角にも、キールに接触出来たら第一に帰還方法を聞かねば。連中だって帰る手段があったんだ。だったらこっちにも戻れる方法があって良いと、そう願いたいばかりである。


「……しかしまさか、魔物モンスターを直に拝む事になるとはなぁ」


 続いて浮かんできたのはあのモンスター達について。

 シオンも言っていたが、姿形はゲームに出て来た敵と酷似しているものが多かった。既視感にも似た予習のおかげでビビり散らす程の恐怖は覚えなかったが、それでもいざ目の当たりにしてしまうとさすがに息を呑む。

 あのリザードマンなんて典型的な姿だったもんな……って、もしかしたら昨日テラスから降りた直後、こちらに気付いたあいつがグロウグリアスってドラゴニュートなのかもしれない。羽生えてたし。


 あとはモンスターに限らず、人間の兵士達とも言語が理解出来得るのはやはりと言うべきか、それともご都合主義だとツッコミを入れる所なのか。

 まぁ意思の疎通が出来るのならそれに越した事はないんだが。


「相変わらず小難しい面をしておってからに」


 そりゃそうだろう。誰が嬉しくてこんな現状を噛みしめるとでも。


「さっさと帰られれば、こんな顔しなくて済むんだがな」

「そう急くな。せっかくこちらに来たのだ。余がこの世界の何たるかを教授してやるから泣いて喜ぶがいい」

「泣きっ面に蜂って言葉を知……って、何でお前がこの部屋に居るんだよ……」


 声の方へ目を向ければ、いつの間にかソファに腰掛け足を組むシオンが居た。


「何でも何も、此処は余の城であるぞ。主である余が何処に居ようが貴様の知ったことではないわ」

「プライバシーもへったくれもねぇ」


 見た目は変われど中身は変わらず。例によって尊大な様はいよいよその姿を開放した事で更に増して見える。実際魔王の姿になったシオンは、かつての美少女の風貌から想像に付かない大人びた様相を醸し出していた。

 骨格や肌の色も変わってはいないはずなんだが、見た目が変わるだけでこうも雰囲気が違うものかと、そのドレス姿を含めてまじまじと見やってしまう。


「ほう、どうやら本来の余の姿に見惚れとるようだな」

「自惚れんな。馬子にも衣装って諺について考えてただけだ」

「ほう。では貴様の視線がどこに向いていたか、口にしてやろうか?」

「乳に決まってんだろ言わせんな」

「自分で言うのか……」


 そんな発色の良い乳房を隠れんぼさせといて、見んなって言う方がけしからんだろ。


「別にお前相手だから堂々と言うまでだわ。ていうかお前だって気にしてもいねぇくせに、全くわざとらしいったらねぇ」

「まぁ貴様如きに見られようが今更ではあるが。いざ面と向かって言われるとやはり腹が立つな」

「良かったなぁ俺の気持ちが分かって」

「ぐぬぬ」


 こっちの世界でも変わらぬ問答を繰り返すのはさておき。


「お前朝飯は食ったのかよ」

「もはや食う必要も特に無いのでな」

「……あぁ、魔力素ってやつか?」

「うむ」


 そういえばこちらには、魔力素と呼ばれる成分があるのだった。

 空気中にどれほどの魔力素が含まれているのか定かじゃないが、あれほど食に強欲であったシオンがこうも惜しげなく言うのだから、その言葉は本心からのものなんだろう。


「しかし食べることが魔力の回復に絡むのであれば話は別である。食う時は今まで食わんかった分食ってやるぞ」

「意気込むな意気込むな」


 そんな舌舐めずりしながら言われても。あとでセバスチャンに食料庫を見張っておくよう伝えておかねばなるまい。


「……で、何しに来たんだお前? 魔王ってそんなに暇なの?」

「殺すぞ貴様」

「ごめん言い過ぎたごめんって」


 その風貌でパカッと開いた瞳孔は、いつにも増して迫力があったのだった。


******


 大広間のスペースは、一般に知る体育館程度の広さである。

 足元は表面を艷やかに整えられた石畳で敷き詰められており、窓の無い石壁には一定の距離毎に燭台が配置されている。燭台にはロウソクではなく頭ひとつ分ほどの炎が揺らめき、内部を明るく照らしていた。

 入り口から大広間の奥に向かって金の装飾が施された赤い絨毯が敷かれ、シオンはその最奥、自身より二回りも大きな玉座に踏ん反り返っていた。

 俺はといえば、何故かそんな絢爛な玉座の脇に立っている。言わずもがなシオンの指示であり、さらに斜め後方にはセバスチャンがこちらを見守るように立っていた。


「──という所までが、魔王様の所在が不明であった時の出来事であります」


 チラチラこちらに視線を投げながらも、状況説明という自らの仕事を全うしたモンスターはその場で腰を折る。昨日のリザードマンっぽいやつだ。

 訝しげ、もしくは親の仇でも見るような視線を繰り出しているのはもちろんこいつだけではなかった。というか目の前にいるモンスター全員が、そのような眼力で度々俺に圧を掛けてきている気すらある。

 広間に集まったモンスターは約百名ほど。大半が種族の被りを起こしていないのを見るに、恐らく種族ごとの代表者みたいな者だろう。


「……ふむ、ご苦労であった。下がってよいぞ」

「はっ」


 それまで手の甲を顎に当てつつ話を聞いていたシオンがそう言うと、リザードマンは最後にもう一度頭を下げ、その目端で俺を捉えつつ元の場所に戻っていく。

 やばい。すごいアウェー。シオンは何で俺をこんな所に連れてきたんだ。


「しかしか。さしもの余であれ、それが真なら驚くべき事態であろうな」


 誰にともなく呟いたシオンは、喉を唸らせながら背もたれに身体を投げやる。

 驚くのも無理はない。何せ、シオン達が俺の世界に来た直後から昨日戻ってくるまで、こちらの世界ではそれ程の年月が経過していたと言うのだ。


「ひとまずは余の居ない間、よく城を守ってくれたと褒めるべきであろう」


 次いで投げかけられる労いの言葉に、モンスター達の表情が幾分緩んだのが見て取れる。


「ハッ! なぁにが褒めるべき、だ! この腑抜け魔王が!」


 するとモンスターの中でも比較的図体の大きい奴が、こちらを嘲笑うように大声で主張してきた。豚のような鼻面をしたモンスター……あれは、オークだろうか。

 その姿は腰巻きで陰部を隠しているだけであり、ほぼ全裸に近い形だ。しかし脂肪を蓄えたその身体は、さながら肌色の鎧でも纏っているかのようでもある。


「ほう、見ない顔だな。それで? 誰が、誰に向かって腑抜けだと?」

「てめぇに決まってんだろ! 十年以上もくらませといて、今更どの面下げて戻って来やがった!? アァン!?」


 途端にざわつき始めた大広間の中、オークはチンピラよろしくな口文句を放ちつつ、回りからの制止を振り切って前へ出てくる。

 気付けばセバスチャンが前へ出ようとしていたが、シオンは片手でその動きを御する。そしておもむろに玉座から立ち上がり、踵を鳴らしながらオークの元へ赴く。


「それについては謝っておいてやる」

「やる、じゃねぇよボケ! こちとらてめぇに代わって十年以上もそいつみてぇなゴミ共を殺してきたんだぜ!? おかげさまで悪鬼のボライアスって畏怖されてんだ俺ァ!」

「そうか。ではその勢いのまま余を殺し、魔王にでも成ってみるか?」


 威勢を張るオークが自信に満ちた自己紹介をする片や、シオンは平静さを保ったまま淡々と答え、事もあろうにそんな提案さえ起こす始末。

 互いにあと一歩という距離にまで近づくと、オークはシオンの台詞を挑発と受け止めたのか、その体躯を怒りで更に盛り上がらせた。音を立てて膨らむ筋肉の塊は、いつしかシオンを腰丈に見下ろす程に大きくなる。


「成ってやろうじゃねぇか! てめぇみてーな腑抜けた魔王なんてもういら」

「だが貴様では無理だ。あまりにも醜い」

「ね゛ッ!?」


 シオンの身体ほどもある腕が上空から振り下ろされる直前、その身が弾ける。館内に響いた炸裂音と共に、体液と内臓が内から爆ぜるように飛び散った。背後に居たモンスター達はそれから逃げるように後ずさり、一部はこちらにまで降り掛かってくる。突然の出来事に逃げることも叶わなかった俺はをモロに被ってしまい、付着してしまった生暖かい物体と、それらが放つ異臭に堪らず吐き気を催す。


「……ふむ。大分戻ってきたように思える」


 一方間近で体液などを浴びていたシオンはそれについて何の感慨も見せず、自身の手を眺めた後、周りを見渡した。


「未だ余が腑抜けた魔王だと思っている輩は、今の内に名乗り出るがよかろう」


 と言うものの、動いた素振りも無く圧倒せしめた彼女に、そんな自殺行為まがいの行動を起こせるモンスターは居なかったらしい。誰しもが表情に畏怖を貼り付け、或いは首を振ってそれに応えていた。


「クク、まぁそうであろうな。いくら時が経とうとも、魔王たる余は絶対である。ただ一つの例外を除いてはな」


 例外。ここで言う例外とは俺のことではなく、勇者と呼ばれる存在へ対し放たれた言葉だろう。

 身に付いた付着物を適当に払いながら玉座に戻ってきたシオンはセバスチャンからタオルを受け取り、身体を拭きながらついでのように口を開く。


「セバス」

「は。湯浴みの支度は整えてございます」

「うむ。……それと貴様ら」


 そして振り返った彼女が未だ怯んだ様子のモンスター達を見るなり、このタイミングで俺の手を引いた。


「此奴は余のゆえな。いくら人間だろうが、貴様らが手を出すことは許さぬ」


 よりによって物扱いかよ。いやそれよりも。


「ちょ、たんまっ、クサッ!? お前っオエッ──」


 ここに来て我慢していた嘔吐感が引っ張られた事による衝撃に加え、シオンに付着していた女性にあるまじき臭いに、ついぞ俺の胃袋は臨界点を超えてしまった。


「馬鹿者!? せっかく余がキメてやった所に何を晒すか貴様ッ!?」

「──……ふぅ、うぇ」

「じゃないわ! ……いいか貴様ら! そういう訳で、分かったな!?」


 「は、はぁ……」と呆気に取られたモンスター達の声を背に、俺はシオンに引き摺られながら大広間を後にする。この二日間でやたらに引き摺られてるのは、もしかしなくても気の所為じゃないだろう。


 そんなこんなで俺とモンスター達のファーストコンタクトは、あまりにみっともない姿を晒した形で終わってしまった。せめて一言くらいは、ちゃんとした自己紹介をしたかったものだ。


 それともう一つ。元の世界に帰るという話はまずさておき。

 彼女達がこちらに戻ってきた時点で十五年が経っていたという話において、シオンならずとも気になる所ではあった。

 まぁ、それが事実にしろ何にしろ、単なる人間である俺にはどうしようもない話でもあるが。

 しかしながら勇者である人物が事実の通りにのなら……この先の展開は、あまり考えたくはないものだ。

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