10 「……いや、出来れば帰して欲し」

「なんとっ。帰る手立てが見付かったとな!?」

「へぇ。こっちの準備は整いましたんで、後は魔王様次第にごぜーます」


 一週間後。

 時刻は夜の九時過ぎ。夕食を囲んだ後、各々がリビングにてリラックスタイムに入っていた時である。

 宣言通り、キールはシオンへとその節を伝えていた。歓喜によるものか、それを受けたシオンはワントーンほど声の調子を上げて答える。


「うむうむ良くやった。褒めて遣わす」

「へへー」


 キールの頭を叩きながら褒めるその様は、さながら水風船のようだ。

 一方セバスチャンは先んじて聞いていたらしく、その表情に驚きを浮かべる様子もない。ただキールがこの話を彼女にした事で実感が湧いたのか何なのか、一度だけ安堵したように息を漏らすのを、俺は目端に捉えていた。


「……一村様。これまでの御恩、決して忘れる事はありませんでしょう」

「ん、まぁ、俺もセバスチャンには随分助けられたからな。お互い様ってことで」


 深々と腰を折るセバスチャンに頭を上げるよう言いながら答える。

 実際この人が来てから今日に至るまで、家事の大半は彼が担っていたからな。


「そいつの世話は何かと面倒だろうが、あんたなら大丈夫だろ」

「恐れ入ります。ご期待に添えるよう、より一層努めて参ります」


 今までの働きとこれからの苦労を前もってねぎらうように、俺の手は自然とセバスチャンの前に差し出された。それに気付いたセバスチャンは老齢に見合わない、しっかりとした手の平を合わせてくれる。


「誰の世話が面倒だと?」

「出たよ地獄耳」

「この距離で届かんと思っておるのか貴様」


 ともすれば間近でキールを弾ませていたシオンが、交わしていた握手の合間へ割って入ってくる。


「お前だよお前。ていうか帰る前に俺の中の魔力をだな」

「知るか。貴様のような不埒者は延々と余の高貴な魔力でもって、心身共に浄化されとればよい」

「汚染されてるの間違いじゃねーかな」

「ぐぬ、貴様、言うに事欠いて余の魔力を汚い呼ばわりするとは」


 ……結局、最後までこんなやり取りをしながらこの日を迎えてしまった。キールの言っていた別れの挨拶など、している筈もない。

 だがまぁ。こいつらが帰るからって変に畏まるのもアレだし、何時も通りに見送るのだと、あの時に決めていたのだ。


「いいからほれ、取れ。このままお前が帰っちまったらこの先、俺は死ぬまで悶々とせにゃならんだろうが」

「断るっ! ならば尚更、余の置き土産として残してやろうではないか。

 くくっ、なぁに遠慮はいらぬ。貴様は死ぬまで余という偉大な存在を忘れる事は出来ぬのだ。光栄に思うがいい」

「とんでもねぇ冥土の土産だなおい」


 この期に及んでなおこんな調子であれば、どうあっても魔力を取り除く気はないらしい。わざわざ残して行くような物でもあるまいに、その意固地っぷりは最後まで変わらないようだ。


「しかしあれだな。いざ帰るとなれば、少なからず寂しい想いはあるな」


 そんな言い合いの中で放たれた意外過ぎるシオンの台詞に、俺は思わず目を丸くしてしまう。


「まだ全てのをクリアしておらんというのに」


 前言撤回。そんなもん、意外でも何でも無いただの駄々である。


「くく、それに貴様を余の世界に連れ帰り、その脆弱さを思い知らせるという約束も果たせておらんからな」

「そんな約束した覚えねぇなぁ」


 全く、しょうもない話を覚えてやがる。


「実際どうだ? 貴様が跪いて頼むのであれば、考えてやらんことも無いぞ?」

「嫌に決まってんだろアホか」


 何故なにゆえ危険を冒しにわざわざ頭を下げてまで行かにゃならんのだと、シオンの提案を引っ叩いて落とした。

 それを聞いたシオンは「つまらん」と述べた後、こちらに背を向けてリビングの中央へ向かって行く。


「さて、茶番はこの程度にしておこう。戻るぞ」

「はいさー。ほれセバス、こっちに寄りー」


 そう言って促すと、キールとセバスチャンは互いに目を配らせた後、シオンの元へ集まる。


「もう行くのか?」

「うむ。戻れる事が分かった以上、もはや居残る理由もないのでな」


 振り返ってこちらを見やるシオンは淡々とした言葉で返してきたものの、その表情はどこか険しい。


「向こうに帰ったらまず、作戦を練り直さねば」

「は。加えて魔王様がいらっしゃらない現状、他の魔族達が不安がっているかも知れませんゆえ」

「分かっておる。連中の士気を上げるのも余の役目よ」

「然様にございます」


 早くも二人だけで会議を始めていく中、キールはこちらに向けて、視線で何かを訴えているようにも見えた。

 俺はそれに肩を竦ませて応えてみせると向こうも察したのか、呆れたように同じ動作で返してくる。


「じゃあなー人間、中々楽しい体験だったぜー」


 そう言うと、途端にキールは自らを発光させていく。どうやら転移が始まったらしい。


「うむ、貴様もご苦労であった」


 眩い光の中でシオンは相も変わらず、お礼にも聞こえない尊大な態度でそんな台詞を吐いてくる。

 セバスチャンは何か言う訳でもなく、ただこちらに向かって慇懃に腰を折ってくれていた。


「あっ……」


 夢が醒めるかのような現実に直面した俺は思わず、無意識の内に手を前に伸ばす。それに気付いたシオンは小さく吹き出した後、口を動かした。


「此度の縁はどこかで繋がっておろう」


 と前置きをして、幾ばくか目尻を下げて続けてくる。


「実のところ、貴様と居る時間は悪くなくてな。こいつの言葉を真似る訳では無いが、中々に楽しめた日々であった。

 だからそんな顔をするな。貴様は何時も通り、可愛げのない面で見送るがいい」

「……今更それを言うのは、卑怯だろお前……」

「くくっ、ようやく貴様に一本取れたという所か。

 ではな。達者で暮らせ──」


 瞬間、キールの元から光が弾け、俺は反射的に瞼を落とした。

 それでも網膜に焼き付くような眩さに、堪らず両腕で目を庇う。


 同時に、身体の中で何かが激しく脈動を始めた。

 唐突に支障をきたしたこの身体は、まるで全身の血管が蠕動でも起こしているような、気色の悪い感覚に苛まれる。


「なんっ……だ、これッ……!?」


 内から押し上がってくる猛烈な圧迫感に息が詰まり、頭が割れるんじゃないかと思うほどの頭痛が短いリズムで襲い掛かって来る。

 間髪入れず襲来する意味の分からない苦痛に声を上げる余裕すら無く、ただ噛み締めた唇から漏れ出す呻き声で、この異常を訴える事しか出来なかった。

 追い打ちを掛けるように体全体に衝撃が走ったかと思えば、どうやらこの身体は床に伏してしまったらしい。


 脳内を打ち付ける痛みが走る度徐々に意識が遠くなっていくのを感じる中で、それでも脈動の強さは変わらない。それどころかどんどん激しくなっている気すら感じる。

 何が、とも、何で、とも考える暇も起きないまま、自分で自分の身体を抱き抱えるようにして耐えようとしたが。


 あるタイミングを境に脳内はぷつりと音を立て、俺はそのまま、意識を失くしてしまった。


******


 朧げな意識の中で最初に気付いたのは、鼻腔に漂う土の匂い。

 次いで背中に感じる、硬くひんやりとした感触。

 遠くからは大勢の声のようなものが耳に届いて来ており、金属がぶつかり合う時の高音も響き渡っている。

 ザラリとした感触が舌に伝わり、カビ臭い風味が口内に広がる。それが細かな砂利らしき物だと気付くのには、少し時間を要してしまった。

 意識は覚醒し始めているのだが、如何せん身体を動かすことが出来ず、徐々に復活していく五感のうち、視覚だけは未だ暗闇に閉ざされたままだった。


 俺は確か、シオン達が光に包まれた直後に発生した、原因不明の不調に倒れたんだっけ。

 ならばフローリングの上にでも倒れてしまったのだろうか。仰向けになっている状態らしいが、後頭部に痛みが無いというのが不幸中の幸いだとでも言うべきか。

 だとしても、この口の中の不快さは一体なぜ。砂を噛んでいるような歯ざわりは一体何なんだ。

 そう思えば耳に届いてくる喧騒にも違和感を覚える。時代劇にしては金属音が煩すぎるし、戦争ものを題材としたロードショーのある日でもあるまい。それ以前にそもそもあの時、テレビなんて付けてなかったんだぞ。

 目さえ開けば今の状況なんて直ぐ分かるのに、そこに神経が伝わっていないかのように瞼を動かす事が出来ない。

 見えない事による不安に駆られ、実は後頭部をしたたかに打ち付けていており、脳にダメージを与えられてしまったのかもだなんて、つい思考が悪い方へと偏ってしまう。


 ……近くで「起きよ」などと、聞き覚えのある声が聞こえるがこれは幻聴だろうか。先程別れたばかりなのに、寂しさ余って馴染みの声がもう聞こえ始めるなど、実に情けない話である。


「──起きよこの戯けが!」

「でじゃぶ!!」


 強烈な炸裂音が耳元で鳴り、同時に左頬が激しく痛む。どれほどの威力だったのか、右側頭部が勢い余って床に擦れ、地面に巻き込まれた右耳が嫌な音を立てて歪む。


「いってぇっジョリって言ったジョリって!!」


 ともすれば余りの痛さに覚醒して飛び起きた俺は、こちらの下半身を跨いだ状態で右手を振り切っていたに向かい、怒鳴り声を上げる。


「バッカかお前っ!? こないだもそうだがもっと普通に起こせ! ふつう……に……っ?」


 尻すぼみに小さくなった声は、視界に捉えていた者の所為だからだ。

 薄暗い彼女の姿を目視出来たのは端々に点在する炎のおかげか、影を揺らめかせながらもこの目に映っていたその身形は、まさしくあの時に幻視した姿のままだった。

 腰丈にまで伸びた白髪。こめかみの後ろ付近から左右に二つ、天に向かって歪に生える角。身に纏うドレスとマントは褐色の玉肌よりも色濃い配色。

 若干トラウマ染みていた記憶の中にある魔王の姿──シオンは、紅色に変化させた双眸を爛々と輝かせてこちらを見下ろしていた。


「……シオン、だよな? どこだ、ここは……?」

「ふんっ、ようやく目覚めおったか」


 その体勢のままシオンがぶっきらぼうに言い放つが、今はそんな事はどうでもいい。覚醒した視覚が辺りを認知し始めた途端、別れたばかりのシオンが目の前に居る事すら思考の優先順位から外されてしまっていた。


 ここは、俺が居たはずのマンションなんかじゃない。


 俺が横たわっていたのは、石畳で造られたテラスのような場所だった。

 シオンの背後は見慣れぬフェンスが建てられており、その向こう側はどう見ても今まで俺が目に捉えていた風景とは違う。

 慌ててシオンを押し退け、腰丈程の高さであるフェンスに掴み掛かって上半身を煽らせる。視界に収めたものは、やはり見たこともない光景。

 見上げれば空が真夜中を占めるように、俺の知る限りでは有り得ない程の大きな満月が、一際の明かりを放っている。

 その月光のおかげで地平線のきわに山や森が連なり、今立っている場所からそこに続くまで、至る所に木々が生い茂っている事が見て取れる。それこそ映像や写真なんかで見た事のある、白夜にも似た景色であった。


「……夢か」

「何なら眠気覚ましにもう一発かましてやってもよいのだぞ?」

「いてぇっ! ヒールで蹴るな馬鹿!」


 言ったそばから踵で俺の背中をぐりぐりと押してくるシオン。

 刺すような痛みにさしもの俺も、此処が現実に立っている場所だと思い知らされてしまう。


「俺まで転移しちまったってか……? 冗談じゃ──って、おいシオン!?」

「何だ騒々しい」

「冷静になってる場合か! 下を見ろ下を!!」


 困惑を隠すことも出来ずに頭を抱えていた俺がひと度下を向けば、数え切れない程の人数がこの眼下で火蓋を散らしていた。

 その喧騒は間違いなく戦闘と呼べるような代物。視覚に収めた事で聴覚も敏感になり、下方で行われている物音が更に大きくなって聞こえ始める。

 闇夜に煌めく光の数々は恐らく火花か。先程の金属音はそれだという事を直ぐに気付かされた。かと思えば目が眩むような光を放ち、様々な色をしたが彼らの元から放たれていく。

 見た限り火のような物もあれば、時折吹き荒ぶ強い風がこちらにまで届いてくる。


「な、なんだ……ありゃ」

「ふむ。そういえば貴様は、目視の出来るを見るのはこれで二度目であったか」

「魔法? あれが……?」


 至って冷静さを崩そうとしないシオンは俺の傍らに来ると、同じ様に首を下に向けながらそう答える。


「ククッ、良かろう。何の因果か知らんがついでだ。

 余の力の一端を、貴様にやる」


 シオンは不敵に笑い、現状に未だ困惑し続ける俺の首根っこを片手で掴むと、その見た目から想像も付かない膂力でもってこの身体を持ち上げ──フェンスを軽々と飛び越えた。


「ちょっ!? 何してんだおまえー!?」

「やかましい。黙って掴まっとれ」

「掴んでんのおめーじゃねぇか!?」


 飛び降りたテラスから真下の地面まで、およそ二十メートルはあろうかという高さ。

 下腹部が冷え込むような感覚に絶望しつつ騒ぎ立てると、落下して間もなく下から持ち上げられるような、奇妙な浮遊感をこの身に味わう。


「だから五月蝿いと言っておろう。落とすぞ」


 悪魔のような台詞にピタリと口元を押さえ、バタつかせていた足の動きも無理くり制止させる。足場の無い不安は何とも耐え難いが、静かにしないとシオンなら本当に手を離しかねない。

 深呼吸をして息を改めれば、視界がその場で停止している事に気付き、宙に浮いているのだと知るに差して時間も掛からなかった。


「……これ、もしかしなくても飛んでるのか?」

「この程度で驚かれてもむしろ困るのだがな」


 重力を無視した飛翔に戸惑いながら俺は大人しく掴まれたまま、シオンに連れられて移動をしていく。

 その先は、今もなお争いが続いている場所だ。

 月夜であれ距離のせいで見辛かった戦場が、徐々に近付いて行くにつれて鮮明になってくる。


「も、魔物モンスター……? と、人間!?」


 それこそ今までゲームとして、漫画やアニメとして見てきた景色をそのままに、異型の姿をしたモンスターと人間の兵士が、それぞれの武器を携えて戦っていた。


「やれやれ。あれ程余にの何たるかを説いてきた貴様がその様とは、呆れて物も言えん」


 頭上から溜息混じりにシオンの声が届く。というのもこの服の襟を掴んでいる指先は、レジ袋でも垂らしているかのような雑な持ち方ゆえ。

 せめてもうちょっとマシな運び方をして欲しい、などと頭の片隅で思ったのも束の間、足先が地面に着いた事で緊張感が再び膨れ上がってくる。


 やはりと言うべきか、彼女が降り立ったのはモンスター側、その後方だった。


「魔王様!? よくぞお戻りになられ……ってその人間は!?」


 いち早く彼女に気付いたモンスターの一人。全身が鱗で覆われ、背中から二枚の翼を生やし、両の足で大地に立つそのモンスターはシオンに次いで俺を見るや、歓喜の声から威嚇するようなものへと変貌する。

 爬虫類に酷似した瞳孔を細めては、腰元から生やした太ましい尾を地面に打ち鳴らし、明らかな敵愾心を露わにしていた。

 低く、しゃがれた声から察するに恐らく男性。見た感じリザードマンっぽいが翼も生えてるし、もしかしてドラゴンの類だろうか。


「これか? まぁつまらん土産だが、話せば長くなるのでな。

 それより後は余に任せよ。直ぐに終わらす」

「はっ、魔王様さえ居りゃ何てことねぇ!

 ──お前ら!! 下がれぇッ!!」


 ともすれば鼓膜を打つような大声に、俺は堪らず耳を塞ぐ。

 様々な見た目を成すモンスター達が彼の号令に気付き、揃いも揃って振り返ると瞬く間に疲労の濃い顔色から一変、歓喜のものへと変わっていく。

 勝手に土産物扱いされた挙げ句未だにその手を離そうともしてくれないシオンは、堂々と俺を引きずりながら、兵士の方へ悠々たる足取りで歩を進めていく。


「魔王様!」

「魔王様が帰って来たぞぉぉお!!」

「やっぱ可愛いぜ魔王様ァ!」

「誰だ今の」

「あいつじゃね?」

「よし、後で処す」


 何でだろう、つい突っ込んでしまった。すまんそこのゴブリンっぽいヤツ。

 モーゼの如く分けられたモンスター達の間を進んでいくと、こちらの存在に気付いた人の兵士達はいつの間にか後方に下がって群がっており、盾を構える兵士を先頭に警戒するような体勢を取っていた。


「魔王は行方不明な筈ではなかったのか!?」

「待て! 何で人間が居るんだ!?」

「人質かも知れん! 下手に刺激をするな!」


 様々な憶測が慌ただしく前方から流れてきた所に、一人の男が彼らの前に立って出る。

 見るからに屈強な体付きの兵士は、他の連中よりワンサイズ以上も大きな鎧を身に着けており、付属する装飾の派手さから兵隊の団長的な存在であると推測出来た。


「魔王……っ! 我らが同朋を盾にするとは、卑怯者め!」

「卑怯だと? わざわざ余が居ない隙を見計らい、攻めてくるような雑魚どもには言われとうないわ」


 見た目通りの大声かつ威圧的な声色にも全く動じる事無く、シオンは鼻で笑う。


「我らが雑魚だと!? ならば見せてやろうではないか!

 勇者など居なくとも、貴様のような女狐一人……! 全軍、掛か──!?」

「爆ぜよ。”元始の焔”」

「いかんッ魔法班、転移魔法を──!」


 団長が台詞を言い切る前に、シオンは空いた手を横に翻していた。

 それが魔法詠唱の合図かのように、真っ赤な閃光が凄まじい爆発を伴って兵士達に襲い掛かる。内臓にまで響く轟音に耳を塞げば、猛烈な熱風がこちらまで吹き飛ばさんと余波を与えてくる。


「あっつ!? ……くない? って、うわぁ!?」


 風圧に身体が浮き、後方に飛ばされそうになったが、そこはシオンが涼しい顔で襟元を掴んでいてくれたために事無きを得る。

 確かに感じたはずの高温にも髪一つ溶かされずに済んだのは、シオンが護ってくれたからだろうか。

 しかしながら風圧までは抑えてくれなかったらしく、この身は鯉のぼりの如く宙に舞う。それでも掴まれた襟元は微動だにせず、おかげで首が締められる形となってしまっていた。


「ぢょ、ジオン、ぐびっ!」


 何とか訴えるも締められた喉からはぐぐもった声しか出せず、ならばと掴んでいる手首を何度かタップして何とかこちらの状況を気付かせる。


「ええい煩わしい奴だな。いちいち辛抱も出来んのか貴様は」


 手元を手繰り寄せるように引っ張られ、その勢いに再度声なき声を発しつつ、俺はシオンの足元に身体を落とされた。


「……はぁっ、ふぅ……、ただの人間に、んなこと期待されても困るわ……」


 次第に収まりつつある風にようやく指を離されると、俺はしこたま締められた首元をさすりつつ、咳き込んでいた呼吸を落ち着かせていく。


「……しかし、とんでもねぇ威力だな……これがお前の本気ってヤツか」


 眼前で未だ広範囲に渡って燃え盛る炎を見ながら、その火力に戦慄さえ覚えていたのだが。


「何を抜かすか戯け。これが本気な訳が無かろう。

 余がその気になれば、の山岳一帯は消し飛ばせるわ」


 その業火を手の平に吸い込んでいくという離れ業をながらにこなし、更にとんでもない事をあっさりと述べる始末。

 ……いやいや。あの辺りだなんて簡単に言うが、そこまでどれ程の距離があると思ってんだこいつ。適当に見積もったとしても、向こうの山々まで数十キロは離れてるんだぞ。


「……ふむ、しかし逃げられたか」

「燃え尽きたの間違いじゃなくてか」


 爆発が生じた場所は巨大なクレーターが作られており、そこに居たはずの兵隊は誰一人として見受ける事が出来なかった。


「別にそれでも構わんのだがそこらに魔力が残っておるのでな、余の言い分の方が正しかろう」

「そうなのか……アレから逃げられるって、こっちの人はすげぇんだな」

「ふん。連中など、羽虫のように沸いてくる奴らばかりよ」


 感嘆とした俺の言葉に、シオンは不満げにそう吐き捨てる。

 実際、いつ頃から二つの種族が争っていたのか知らんがシオンが参戦した瞬間にカタが着いたのだから、その力の差は歴然なのだろう。

 それでいてあの破壊力を見せ付けてなお本領で無いと言い切るのは、さすがの魔王だとでも言うべきなのか。


 後方ではシオンが人間達をいなした事で、モンスター達が喝采を上げていた。高らかに声を上げては武器を鳴らし、魔王の誉れを讃えている。

 一辺に響き渡る歓声を彼女は気持ち良さげに受け止め、彼らの元へ歩み始めた。


 しかしシオンは途中で思い出したように背後に……つまり俺の方へと向き直すと、彼女の配下達や俺達が飛び降りた大きな建造物、更に巨大な満月を背に揃えて口を開く。


「──余の世界へようこそ一村一樹イチムライッキよ。歓迎してやろう」


 不敵な笑みをそのままに。

 それはシオンと出会ってからようやく聞くことの出来た、俺の名前だった。


「……いや、出来れば帰して欲し」

「連れて行け」

「「ははっ!」」


 心よりの懇願も虚しく、俺は促されたモンスター達に担がれその建造物、もとい──へと拉致られたのであった。

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