2 「紳士かつ硬派な男と言え」

 週末。俺は仕事終わりに職場から程近いファッションモールへ足を運んでいた。

 女性向けのコーナーで腕を組み、黙々と品定めをしているこの姿は端から見てどういう風に見えているだろうか。

 身長は俺より若干低かったから170は無いと思う。バストはDないしE、ウエストは知らんが男目線から言わせてもらえば丁度いい。ヒップはわりと安産型だった気がする。

 改めて想像すると、シオンの姿は世の男性陣にとって中々に理想的な体型ではなかろうか。


 それにしても驚くべき事はこの値段の高さよ。どのタグの値段を見てもげんなりする。

 生地なんて男物と大して変わらないはずなんだが、どうしてこうも差がでるのか。


「いらっしゃいませー。プレゼントでしょうか? よろしければお探し致しますがっ」


 あれこれと手を出してはその値段を見て引っ込める自分に見かねたか、それとも不審者として捉えられたかついに女性店員が話し掛けてきた。


「あぁ、プレゼントって訳じゃないんだ」


 平静を装いつつ答える。


「……いや、プレゼントって事にしとこう。店員さん、俺じゃ女物とか分からんから適当に選んでくんない?」


 そうしておいた方が都合の良いことに気付き、少しの間を置いて続けた。


「はぁ。それでしたら大体で構いませんので、その方のスリーサイズを──」


 一瞬訝しげな表情を浮かべた店員だったがそこはプロである。すぐさま営業スマイルを取り戻し、俺にあいつの身なりについて尋ねてきた。



******



「どうだ似合うだろう」


 所変わって現在アパート。

 店員が選んだ数点から自称魔王──シオンが選んだのは白のワンピース。生地の清楚な色合いと健康的な褐色肌のコントラストが妙に扇情を煽る。

 余分な装飾が付いていないだけに、余計元の素材が良いという事を思い知らされる羽目になった。なんだこの破壊力は。

 あの店員め、万単位で札が旅立ったのは許して差し上げよう。


「くくっ、見惚れて声もでないようだな。

 まぁ余の美貌を持ってすれば仕方のないことだが」


 自分にどれだけの自信を持っているのか知らんが、こんなもん男なら誰でも見惚れるに決まってる。いちいち偉そうな態度が腹立つものの、それを補って余りある程の美しさである。


「しかし何故コレが良くてアレは駄目なのだ」


 シオンは不満そうに壁際へ顔を向けた。視線の先には、こいつが最初に着ていたドレスがハンガーにかけられている。どこぞのセクシー女優が着てそうな暗色のボンテージ衣装に、気持ち布地とフリルを足したような物だった。


「駄目も何も。あんな露出度の高い服を着てその辺うろつかれてみろ。俺の精神衛生上よくない」

「その辺も何も、余はこの部屋から出れんのだぞ。

 それに貴様如きに見られて困るような軟弱な精神は持ち合わせておらんわ」

「お前が良くても俺が良くないっつってんだよ」

「狭量な男だのう」

「紳士かつ硬派な男と言え」


 こんな見ず知らずの女を部屋に置いてあげているばかりか、衣服まで提供している俺の懐の広さよ。


「まぁ、せっかく貴様が余に献上した物だ。住まいを借りている恩義として受け取ってやろう」

「恩義を感じている上での台詞じゃねぇなおい」


 どこまでも尊大な魔王であった。


 そして夕飯時にも関わらずテーブルのこの狭さよ。

 テーブルの上にはゲーム機の本体と、様々なジャンルのゲームソフトが所狭しと並んでいる。

 ずっと部屋に居ては暇だろうからと、シオンに適当な漫画などの雑誌を始め、ゲーム機やソフトを選んで与えてやっていたのだ。

 当初は戸惑っていたものの、今となってはすっかり夢中になっている。


 都合が良い事に、言語が通じているのが幸いだった。でなければ見ず知らずの奴と突然同棲なんて出来る訳もない。


「実際、そこんとこはどうなんだ。他所よその世界から来てんのなら、言葉だって違うんじゃないのか?」

「知らぬ。貴様が余に合わせていたのではないのか?」

「そんな都合の良い話はねぇよ。なんで俺が合わせなきゃならんのだ」


 話が振り出しに戻った挙句、謎を呼んでしまう結果に終わってしまった。

 まぁ、こうして会話が成り立っているというだけでマシだという事にしておく。


「とにかく。そっちに入れておくから適当に着とけ」

「うむ、苦しゅうない」


 ワンピースに皺が出来るのを厭わず椅子に座ってゲームプレイを再開したシオンを横目に、各衣服からタグなどを取り除いて押入れの中に仕舞う。

 その後自分も部屋着に着替えると、ようやく身体がリラックスモードに入った。途端に感じ始める空腹感。


「そろそろ飯にするから、そのテーブルの上の物をどかせ」

「何を抜かすか。貴様など床で飯を食っておれ」


 こんなやり取りももはや珍しくない。その有り余る時間を使って一日中ゲームに勤しんでいる姿はもはやニートに他ならず。


「また没収すんぞ」

「待っておれ今片す」


 配線の都合上、ゲーム機とテレビは俺が居る部屋の方でしか繋がらないのだが、事もあろうに俺が寝ている深夜にまで音量を小さくすることもせず遊び呆けていた時があった。

 頭にきた俺はそれらを袋に包んで『帰宅したら回収します。一村』との張り紙を残し、玄関先に出したまま出勤した事がある。

 その日会社から帰宅した俺を、玄関の前で出迎えてくれたシオンは「この悪魔め!」などと涙目で訴えてきた。当時の記憶がよほどトラウマ染みて効いているのか、玄関から出て回収する事が出来なかったらしい。


 悪い事をしたら「外に出す」とチラつかせれば大人しくなるという、自称魔王に有効な躾け方を身に付けた瞬間でもあった。子どもかこいつは。


 いそいそとテーブルの上を片付けるシオンを横目に、モール帰りに買っていたコンビニ弁当をレンジで温める。


「……そろそろ一週間くらい経つけどさ。本当に何も食わんで大丈夫か?」


 徐々に匂い立つレンジを眺めながら質問を投げかけた。

 かれこれそれくらいの期間にもなるが、シオンは相変わらず水分しか摂ろうとしない。一応その辺だけは注視してるのだが、それでもシオンの見た目に変化はなかった。


「前にも言ったであろう。余に食欲は存在せぬと」


 手を止めたシオンから呆れるような口調で返されてしまった。


「心配してんだよこっちは。普通、何日も飯を食わなきゃ空腹でぶっ倒れちまうんだぞ?」

「くどい。そもそも余は体内に溜め込んでいる魔力を消費して生命の維持を保っておるのだ。

 人間のようにわざわざ栄養を取り込む必要……も……?」

「魔力、ねぇ……」


 急にどもり始めた。というかこいつ最初の時に魔力が尽きかけているとか言ってなかったか。


「なぁシオン。その魔力とやらは何時全部無くなるんだ?」

「……分からぬ」


 答える声にいつもの張りが無い。何となくその表情に陰りが見えた気がした。


「いや真面目な話、それだと今の状況ってやばくね? ジリ貧ってことだろ?」


 例えるなら何時切れてもおかしくない、中身の見えない点滴でも刺されている状況といった所か。


「まま、まさか。よ、余は七代目にして最強と謳われる、魔力の持ち主ぞ。

 そんな、き急に尽きるなどっ」 

「めっちゃ焦ってんじゃねぇか」


 今度は明らかに慌てている模様。

 しかしそれだと困るのは間違いない。魔力が無くなれば死ぬと即答していたくらいだしな。

 が突然訪れるものなのか、徐々に衰弱していくような形なのかは分からないが、どちらにせよ深刻な状況のようだ。


『くどい。そもそも余は体内に溜め込んでいる魔力を消費して生命の維持を保っておるのだ。

 人間のようにわざわざ栄養を取り込む必要……も……?』


 そういえばつい今しがた、そんな事を言ってたな。


「なぁ」

「な、何だっ」

「落ち着け。試しに、食ってみたらどうだ?」


 レンジから取り出した、熱々の容器をテーブルの上に置く。蓋を外すと湯気が立ち、薄く香っていた香ばしい匂いの元が解き放たれる。

 本日の晩ご飯は焼きそばだった。麺類が好きなんだ俺。


「何だこれは」

「焼きそば。腹が膨れたら多少マシになるかも知れん。サラダもあるぞ」


 目の前に置かれた容器の中身を怪訝な面持ちで見やるシオン。その視線の隣にもう一つ、数種の野菜で彩られた容器も並べ加える。


「う、うぬ……貴様、人間の食べ物を余に食せと言うのか……」

「そう言うなって。騙されたと思って食ってみろよ」


 言いながら箸とフォークをシオンの手元に置いてみる。

 何とも不服そうにぶつくさと呟くシオンだったが、やがて意を決したようにフォークを手に取った。


「……毒なぞ入っておらんだろうな?」

「魔王の癖に小心者なのな」

「ぐぬぬ……後で覚えておれよ……」


 屈辱的な視線が突き刺さるも凄みは見当たらず、俺は口角を上げるだけでそれを受け止めた。

 掬い上げた焼きそばが形の良い口元へ運ばれていく。そして一口。


「むぅ!?」


 一度顎が動いたかと思うと、途端にシオンは何に驚いたのか目を見開いた。


「えっ、もしかして嫌いな味だった?」


 その様を見て思わず口を衝いて出た俺の言葉に、シオンは掃除機もかくやのスピードで口から先に出ていた残りを吸い込む。


ふぁんはふぉふぇふぁなんだこれは!!」

「飲み込んでから喋れぃ」


 次々と口の中へ運ばれていく焼きそばを見ていれば、俺の懸念は杞憂だったと気付かされる。

 あっという間に空になった容器を退け、その手はサラダの入った方へと移った。いくつかの野菜が垂直に貫かれると、口元のソースを拭ういとまもなくその中へ頬張り込んでいく。


「……ふぉむうむ! ふぉれふぉふぁはふぁはこれもなかなか!」

「せめてドレッシングかけて食え……」


 付属していた青じそドレッシングをかけてやる。それを見て一瞬手が止まったものの、液体をかけられたサラダに再びシオンは手を伸ばした。

 野菜本来の甘みや苦みを、青じそのさっぱりとした酸味が足されることで絶妙なバランスの味わいを引き出す。ドレッシングは人類の叡智。


「ふぉぉっ!?」

「ふっふ、どうだ美味うまかろう」


 歯触りの良い音を鳴らしながら、ドレッシングの付いたサラダを口に運んでいく。見ている側も思わず頬が緩みそうな食べっぷりである。

 そして間もなく完食。テーブルの上には、見事なほど綺麗な空容器が二つ並んでいた。


「……まぁまぁ、だな。褒めて遣わす」

「あれだけがっついておきながらその感想に留めとくのは逆にすげぇぞお前」


 まったく素直じゃない奴め。

 今までその必要性が無かっただけで、何だかんだ普通にご飯は食べられるようだ。

 後はこの行為が、俺の思惑に繋がってくれれば良いのだが。


「で、どうだ? 少しは腹が膨れたか?」


 ハンカチを渡して指で自分の口を叩きつつ、若干の期待を込めて確認してみる。

 俺の意図を汲んだシオンは口元を拭い、少しばかり目を瞑って間を置いた。


「そうだな……これが膨れた、と言うのかどうかは分らぬが。

 ──力は、みなぎってきた気がするぞ」


 目が開くと同時に放たれたその台詞と、その瞳孔の具合に思わず後ずさる。

 黒かったはずの瞳が、紅色を交えて鈍く輝いていた。

 それだけじゃない。今までの人生で感じたことも無い、猛烈な圧迫感が押し寄せて来る。

 その双眸を見てはいけないと直感的に判断しているはずなのに、何故か俺の視線はシオンのそれから離せなくなっていた。

 見る度に息苦しさが増していき、足元すらも覚束なくなってくる。


 あれ? というか俺は今、立っているのか?

 つーか、俺の身体は


 変貌したシオンの目を直視してしまいながら、整理の付かない思考を巡らせる。

 手足はあるはずなのだ。ただ体が言うことを効かないのだ。

 額から何かが垂れ落ちてきた。

 汗だ。そんな馬鹿な、今は暑くも何ともないんだぞ。

 なのに何で、この汗は止まらないんだ。

 何故、俺の身体はこんなにガタガタぬかしているんだ。


「おい」


 シオンはそんな俺の異変に気付いたのか、やおら立ち上がってこちらに近付こうとする。

 やめろ。こっちへ来るな。


「顔色が悪いようだが」


 やめろ。来るな。

 そこまで来て、自分は今声すら出せない状況だという事に気付く。

 すらりとした指先がこちらへ伸びて来る。

 俺には、それが凶器にしか見れなかった。


「……やめろっ! 触んな!!」


 寸での所で出せた声は、部屋中に響かんとする声量だった。これによってか、目先にまで来ていたシオンの指先がピクリと跳ねる。

 いつしか肩で息を弾ませていた俺は、そのまま情けなく床へと崩れ落ちてしまった。


「お、お前は一体何なんだ……!?」


 汗を拭くことも忘れ、目前に立ってこちらを見下ろしていたシオンに投げかける。


「随分物忘れが激しいようだが、まぁ良い。

 余は寛大だからな。何度でも答えてやる。しかと敬聴せい。

 


 何度も聞いたはずの文句だった。

 聞く度に鼻で笑い飛ばしていたはずの言葉だった。

 ただ今回に限ってはそれを馬鹿にする勇気さえ起きなかった。

 そこで俺は初めて、こいつの事を魔王ばけものだと認識をした。

 こいつは、この世界に居ていい存在なんかじゃないと確信してしまった。


「しかし何だそのざまは。今更そのように怖気付きおって。

 先ほどまでの威勢はどうしたのだ?」


 シオンは俺の様子を嘲笑うかのようにそんな台詞を言い放ってきた。


「……お前、気付いてないのか?」

「何をだ」


 その恐ろしいまでに不気味な双眸を光らせているのは、そういう事なんだろうと今なら分かる気がする。


「たぶん、魔力ってやつが戻ってるぞ」

「ほう? ……おぉっ、その様だな」


 そう俺に言われたシオンは両手の平を見て、何かを確かめるように握ったり開いたりする。やがて握ったまま喜びの声を上げた。


「……あとなシオン。その目はどうにかならんか。

 そのままだと正直怖すぎて、今後の生活に支障が出かねん」

「目? あぁ、なるほど漏れ出していたか。

 この程度で日和るとは、軟弱な奴め」


 徐々に平静を取り戻しつつあった俺が居住まいを直しながら聞いてみると、シオンは思いの外素直にその輝きを引っ込めた。


「だが一理ある。無駄に魔力を放出する訳にもいかんからな」


 瞳の色も元の黒っぽい色合いに戻っている。

 ひとまずこれで俺の心の平穏は確保された。あのままではストレスだけで死ねる。


 さて。どういうからくりかは知らんが、この世界でシオンが生命活動を維持するために必要だった魔力の代替案は、食べ物だという事がこれで実証された。食わなきゃ餓死という意味では、現実的に見ればごく当たり前の結果でもある。

 もしかしたら今まで空腹という経験が無かっただけで、この数日間シオンはほぼそれに近い状態だったのかもしれない。

 何も食わずにいたにも関わらず痩せていかなかったのは、恐らく体内に残っていた僅かな魔力を無意識に絞り出していたからだろう。


「それにしても。余に食など必要は無いものだと思っていたが……ふむ」


 くるりと方向転換したシオンは再びテーブルの元へ向かい、座椅子に腰を落ち着ける。空になった容器に視線が向けられたかと思いきや、そのままこちらへとスライドしてきた。


「何しておる。余のために早う次の夕餉ゆうげを献上せい」

「ちょっと何言ってるか分かんねぇな」


 すっかりいつもの調子に戻りやがった。俺の心労を返せ。

 ただ以前よりもどことなく、その表情が緩やかになっていたのは気のせいじゃないだろう。満腹中枢が刺激されて多少は満足感が得られたか。


「食欲など存在しないとか抜かしてたのは誰だ」

「余だな。だが魔力が回復するのなら話は別だ。食わねば」

「生きねば。みたいに言うんじゃねーよ」


 そうして、シオンに無事魔力が取り戻された。

 本人が言うにはこれでもまだ微々たるものだという。あれで微々だってことは、本来の魔力が戻ってしまったら俺はあの瞳を見ただけで発狂死でもするんじゃないか?

 それでも魔力の失われたこいつが死ぬという選択肢は、今回の件で解消された。

 とりあえず今は、それで十分かなとも思ってしまう。


 ただ。


「次」

「おい」

「何だ」

「食い過ぎだ馬鹿野郎。買い置きのにまで手を出してんじゃねぇよ」

「ならば余が満足出来得る量を買い足しておけばよかろう」


 一晩で諭吉一枚が飛ぶほどの量を一人で平らげるのはさすがに想定外だった。


「馬鹿言え俺が今日だけで何回アパートとコンビニを往復してると思ってんだ。

 いい加減店員に変な目で見られてんだよ察しろよ」

「クク、そう言いながら犬の様に尾を振って買い付けに行く貴様の健気さよ」

「しょうがねぇなーまたコンビニまで行ってやんよオラ散歩の時間だコラ」

「ちょまっ、待て待て待て今のは余が悪かったからそう引っ張るでない!」


 今後は一日に摂取するカロリーを、一般人と等しくなるよう躾けなければな。

 あぁ、懐が一気に寂しくなったぞちくしょうめ。

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