1章 魔王が現れた!

1 『魔王が現れた!』

 世の中にはゲームに没頭する余り、その画面の向こう側と現実の区別がつかなくなっている人が居ると言う。それは年齢を違わずに。


 俺も、小学生なんかの頃は区別が付いていなかったかもしれない。

 漫画やアニメ、ゲームの世界の中にいるようなヒーローに、大なり小なり羨望を浮かべていたのも事実。男なら誰しもそうだっただろ?

 当時は技の名前なんかを叫んでみたり、その動きを真似てみたりもした。

 まぁ、さすがに中高生となれば羞恥心の方が上回ってたのでやってないが。それをかなぐり捨てて行える奴らは、それこそ中二病ってやつだ。

 高校生の頃であれば、発売直後のRPGを勉強そっちのけで徹夜した時期もあった。仲間と集まっては対戦ゲームで夜通し盛り上がっていた日もある。


 ただ高校を卒業し、就職してからというものの、その忙しさからゲームへの関心も徐々に薄れていった。

 慣れない環境は容赦なく心身を削り落としてくる。アパートに帰って来てもゲームをするほどの体力は残っていなかったんだ。

 それでも勤め始めてから数ヶ月が経ち、社会人としてのルーチンにようやく慣れてきた頃の休日に、ふと思い出したように手を付けることはあっても、本体に電源を入れてから消すまでの時間はかなり短くなっていた。

 あの感覚は自分の事ながらに驚いたものだ。学生の頃なんか帰ってからが本番だと言わんばかりに、ゲーム機に触っていたのにな。

 昨今ではスマホで遊べるソシャゲなんかも増えてきて、手軽にゲームを楽しめる環境にあるとはいえ、こう仕事に忙殺されてしまうとそれも難しい。


 今でもゲーム自体は好きなはずなんだけどな。どうにもままならないもんだ。


 だから、今の自分があっちとこっちを区別が出来なくなってるかと聞かれれば、答えは恐らく、いいえだと思う。

 仮に区別が付かないのであれば、それはきっと夢の中での話だろう。


「……そのはずなんだけどなー……」


 この現実をどう捉えたらいいのか、未だに考えあぐねている。

 そもそも今現在俺が暮らしているこのアパートの部屋には、本来俺一人しか住んでいない。

 八畳二間といえど奥の部屋は物置程度にしか使っておらず、玄関口から近い部屋の方で衣食住がほぼ完結している。台所やトイレ、風呂も玄関側にあるからだ。


「何を仏頂面で考え込んでいるのだ」


 部屋のど真ん中に置かれたテーブルを挟んで対面上に座っている一人の褐色女が、頬杖を付いている俺に向けてそんな事を言ってきた。

 その女は色黒、とまではいかないが一時のギャルばりに色濃い玉肌。つり目がちながらも大きな瞳。その瞳孔は猫のように縦に開いていて、その不気味さから正直まだ直視するのは慣れない。

 やたらに整っていているがどこか幼さの残る顔付きは、10代後半くらいの年頃かという塩梅。可愛い上に美人とか反則だろう。

 肩辺りまで伸びているウェーブの掛かった髪は、ブリーチでもかけているのか白っぽい。非常に薄い桃色のようにも見えるが、光の加減によって灰色っぽくも見えるのでその辺りは微妙に判別しずらい。

 胸を含めてそのスタイルは全体的に見て肉付きが良く、他国のグラビアモデルだと言われても何ら不思議じゃない。

 そんな容姿端麗な女は、別に俺の彼女でもなんでもない。

 むしろこんなスタイルの良い女が居たらこちらからお願いしたいくらいだ。


「さてな。どうしてこうなったのかと考えてんだよ」

「意味が分からぬ。余にも分かるように申せ」


 さも偉そうな口振りは素のものであるらしい。今時余とか。

 溜息だけ返すと女は鼻を鳴らし、リモコンでテレビの電源を付けた。昼のニュースがアナウンスと共に流れ始める。


 さて、どうしてこうなったのか。まじで。


「なぁ」

「何だ」


 数日振りに物事の核心へ迫る試み。チャンネルがバラエティ番組へと変わる。こちらの質問を軽く流して答えた女の視線はテレビに向けられたままだ。


「お前魔王なんだよな?」


 女はこちらに横目を寄こす。冷やりとした視線が突き刺さり、その縦に細められた瞳孔から逃げるように少し瞼を落とす。


「最初に言ったであろう。余は魔王であると」


 当然だと言わんばかりの口調。そこには引け目も何も感じられず、本心からのものであると受け取れる。


「……その魔王とやらに、何で俺は自分の服を貸した上に部屋の半分を提供しているんだろうな」


 女が着ているのは俺が差し出したTシャツとハーフパンツだ。

 胸の辺りが窮屈そうだが、俺にとっては最初の時よりも大分マシだった。謎のドレス姿、しかも露出の大きかったアレはさすがに目のやり場に困る。


「ここから出れんのだから仕方なかろう。それに余から世界の半分を分け与えられるのは勇者の特権ぞ」

「随分スケールの小さい世界だなおい」


 現在奥の部屋はこの女の寝床となっている。

 一度こいつを追い出そうと試みた事があったが、その時酷い苦痛を訴えられたので止む無く使っていない部屋で寝泊りするよう言い付けた。

 飯に関しては小食とすら例えられないほどに食べようとしない。今まででこいつが口にしたのは水だけだ。それに関しては少々心配ではあるものの、全く弱る様にも見えないのでひとまず保留にしている。


「魔王に勇者ねぇ……」

「しかし残念ながら、お前は勇者ではないようだがな」

「そんなもん幸いな事に知ってるよ」


 俺がただの一般人であることは誰の目に見ても同じだろう。

 短めに整えた黒髪。茶色の瞳。運動こそしてないものの、それなりに引き締まってると自負出来る体付き。

 イケメンだと言われた事はまぁ、ない訳じゃないが、ごくその辺に居るような平々凡々としたサラリーマン風の日本人。

 そんな俺が一般人以外の何に見えると。


「なぁ」

「何だ」


 既視感。テレビのチャンネルはまたもニュース番組へと変わっている。


「その魔王さんが何で此処にいるんだ」


 そもそもどうやってこの部屋にこいつが現れたかと言うと、それこそ突然現れたとしか言い様がなかった。


『魔王が現れた!』


「──って自分で言ってんだもんなぁ」

「笑うな戯け!」


 今になってその不自然さと台詞に対して笑いが込み上げてきた。すると女からリモコンを投げ付けられる。


「いてぇ!」

「……余ですらこの様な事態になるとは思いもしなかったのだ」


 額に当たったリモコンを回収して、改めてこいつの言っていた話を整理する。

 自称魔王の言い分はこうだ。


 こいつは第七代目の魔王としてその世界に姿を現した。

 同時に、第七代目の勇者も同じ時代に生まれた。

 今までの魔王は勇者が育ち、勇者の使命として仲間と共に旅をし、世界を巡りながら装備を整えて強くなり、何やかんやして先代魔王らと対峙するという、えらく遠回りな邂逅を果たしていた。

 挙句に強くなった勇者との死闘の末に負け、平和を取り戻されるおまけ付き。


 そこまでがワンセクション。実際のRPGの大半もそれがお約束ではある。


 しかしながら今回の魔王……こいつの事だが、その過程をすっ飛ばそうとしたらしい。

 つまり勇者が赤子の時にその姿を見付けて殺してしまえば、その時点で自らの脅威は無くなる。

 最悪殺せなくても攫って洗脳してしまえば以下同文。


 という所までざっくばらんに思い出しながら、思わず口をついてしまった。


「卑怯くせぇ」

「そんな当たり前の事をしなかった先代共が悪い」

「それが卑怯だっつってんだよ。何赤ちゃん殺そうとしてんだよ悪魔か」

「余は魔王だ間違えるな痴れ者めが」

「魔王の風上にもおけねぇよ何ドヤってんだよ」


 お約束も糞もないと第七代目の魔王はそうして転移魔法とやらを発動し、目的地を勇者の住む家へ向けて移動した。

 そうして勇者をぶっ殺そうと嬉々として辿り着いた先が、何故なにゆえかこのアパートの部屋だった。


「本当にどうしてそうなった」

「こっちが知りたいわ」


 同時に溜息を漏らす。


 ならば同じ転移魔法で戻れば良いじゃないかと思っては見たものの、我が身の様子がおかしい。

 なんと、いつの間にかご自慢の膨大な量を誇る魔力が尽きかけていたらしい。

 魔力とは生命力と同義とのこと。ちなみに魔力が尽きるとどうなるのかと尋ねれば「死ぬ」と一言で返された。

 ただ元の世界にさえ戻れれば、その潤沢な魔力素が含まれる空気によって回復は可能だそうだ。


「魔力ってのはそんなに簡単に回復するもんなのか?」

「余の世界であればな。しかし、どうやら此処には魔力素が存在しておらんようだ」


 と、女は少し残念そうに言葉を繋げる。要は空気中に含まれる酸素のような物らしい。 

 残された魔力を用いて転移したとしても、確実に元の世界に戻れる保証はない。その身で実践してしまったのだから。加えて新たに転移した先がこの世界のように魔力素の無い世界だとすれば、それはもう死刑宣告に他ならないだろう。

 もしかしたら元の世界には、もう帰れないのではないか。そう考えていた矢先、会社から帰宅した俺と鉢合わせた。

 まさかこやつが勇者なのか、と少々の混乱を伴った挙句に考えてしまったこいつは、やおら両手を広げてこう言ってのけた。


『魔王が現れた!』


 ……というのが、先日の出来事を二人でざっくりと整理した内容である。


 つまり、まぁ、なんだ。

 こいつはこの部屋へ転移してしまった時点で魔王とは名ばかりの、見た目外国人っぽい残念美人な存在にまで落ちぶれていたという事だ。


「落ちぶれたとは無礼にも程がある。余は魔王ぞ」

「はいはい控えおろう控えおろう」

「ぐぬぬ」


 「貴様如き矮小な人間など指先一つで肉塊に出来るのだぞ」と憤慨する自称魔王を余所に、どうしたもんかと手に持つリモコンを弄りながら考える。

 こんな話を聞いて、はいそうですか大変でしたねと言うほど優しくはないし間抜けでもない。漫画やゲームの話じゃあるまいに。

 先にも言ったが、今の俺は一応あっちとこっちの区別は付けているつもりだ。

 じゃあ何をすれば信じられるかと言われても、それ相応の事でも起きない限りはあり得ない。

 単純に頭がちょっとおかしな子なんだなーと言ってしまえばそれまでの話。


 もっとも、玄関口から離れている部屋に突然現れた事に対する推測は正直に言えば難しかった。

 外から侵入されたと言うのは簡単だが、日々ちゃんと戸締りしてからアパートを出ているのでそれは考えられない。玄関口をバールでこじ開けられたり窓が割れている形跡も見当たらなかったしな。


「……あんなん見せられたら出て行ってもらう訳にもいかんしなぁ」

「余を追い出すというのか!?」


 反応が大きいのはあの時の苦痛を思い出したからだろう。


 当初、不法侵入だと無理やり玄関先へと引っ張り出したら、その場で突然全身を震わせながら滝のような汗流した挙句に嘔吐までし始めたのだ。

 演技にしては過剰な状態を見れば、いくら初対面だろうが誰だって追い出すという考えは留めてしまうはずだ。あの様子はさすがにただ事じゃない。

 救急車を呼ぼうにも玄関から一歩出ただけでなのだ。とても呼べるような状況でもなかったし、俺自体唐突過ぎてそんな考えも思い浮かばなかった。

 

 慌てて部屋に戻したら途端に症状が治まったのでひとまず様子を見ることにしたが、もしそのまま外へと連れ出したらどうなっていたのか……という意地の悪い考えは、最悪のケースを想定して止めておいた。


「いや、とりあえず目途が立つまで居て良いんだけどさ」

「そ、そうか……」


 俺の言葉を聞いて、女は目に見えて安堵の表情を浮かべる。


「幸い? かどうかは知らんけど今のところ何も食ってないもんなお前。本当に大丈夫なのか?」

「無論問題はない。余に食欲というものは存在せぬ」

「左様ですか」

「うむ」


 追い出すことから話が離れると途端に尊大な態度に逆戻りである。

 あれから同じ屋根の下で暮らし始めて数日は経った訳だが、その間こいつは食べ物を口にしていない。

 おかげでって言うのも変な話だが、今のところ食費には困っていない。

 ただ、数日の間何も食っていないのに顔色が悪くなったり痩せる気配が一向に見当たらないのは、やはり一般の人と何かが違うのだろうかと勘繰ってしまう。


「服はまぁ、しばらく男物で我慢してくれ」

「おぉ、そういえばこの衣、特に下半身のは動き易いぞ。だが胸の辺りは窮屈でいかん」


 不満気にたわわに実った二つの果実をシャツの上から触れると、窮屈そうな中身が皺の伸びたシャツの内側で上下左右に動き回る。


「脱いでも構わんか?」

「駄目に決まってんだろ痴女か」


 まさかの恥じらいをお持ちで無い様子。


「いや待て、脱いでも良いっつったら脱ぐのか?」

「何を当たり前の事を。余は動き難いと言ったのだ。脱ぐに決まっているだろう」


 こいつはもしかしなくても箱入り娘なんだろうか。


「じゃあ脱い……止めてくれ、さすがに理性が持たんわ」


 さすがにこの美貌でそんな所業をされたら敵わん。

 こいつにしてみれば、肌を晒すこと自体何とも思っていないのだろう。そもそも俺を一人の男として見ている可能性すら危うい気がしてきた。

 じゃあ俺はどうかと言えば当然裸を拝み倒したいし胸だって揉み倒したい。男なのだから当然の思考だな。でもこれは自分の胸の奥に仕舞っておく事にする。

 ムッツリで結構。


「今度お前でも着れそうな服を探してきてやるからそれまで待っとけ」

「待つのは性に合わんのだが」


 そんなんだから、魔法の発動を失敗してこんな所に来ちゃったんじゃないかと小一時間問い詰めてやりたい所存。

 とはいえ俺はまだ、こいつが魔王だという話を信用している訳ではない。あくまで前提として話をしないと会話が成り立たないからな。


「何だかお前と喋ってる内に俺自体、現実とゲームの区別がつかなくなっているんじゃないかと思えてくるな」

「……そんな事より貴様」


 自己矛盾に頭を抱えそうになっているというのにこの言い様である。


「いい加減お前呼ばわりするのは止めてもらおうか。何度も言っているが余にはとした名があるのだぞ。

 グラシオンディーヌ=イフィニス様と呼べ」

「なげぇんだよ覚えきれーよ」

「ならば魔王様と呼ぶがいい」

「そんなに様付けされたいのなら貴様でいいだろ」

「あ?」

「ごめん怖いからその目止めてホント怖い」


 怒った時の視線の鋭さだけは耐えられそうもない。瞳孔がパカッて開くんだもんパカッて。


「そうだなぁ……グラシオンディーヌ……シオンディーヌ……で良いだろ。そっちのが呼び易い。短いし」

「あまり略されるのは好きではないのだが。まぁよいだろう。許す」

「シオンこそちゃんと俺の名前を呼べよ。自己紹介はしてるだろ」

「貴様なぞ貴様で十分だ。身の程を知れ」

「お前このやろう」


 そんな訳で、俺は数日前から自称魔王──シオンと謎の同棲をする羽目になっている。


 ちなみに俺の名前は一村一樹いちむらいっき

 と読み間違えられることもあるが、俺の場合はと言う。

 出来れば、覚えていて欲しいものだ。

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