六章 愛なんて なければいいと 思うのに 胸の高鳴り 捨てられませぬ   その4

 ドリーム高校に近づくにつれて、獰猛なサイレンの音が聞こえてくるようになった。耳にした瞬間に緊張感の高まる、パトカーによるものだ。君子危うきに近寄らずな俺はいつもなら「お仕事ご苦労様です」と思いつつそそくさ離れていくところだが、今日はそうはいかない。逆に音源の方へ駆けていく。

 ものすっごい響きだ。まるで音同士が真剣でチャンバラしてるんじゃないかってぐらい。これは一台や二台どころじゃない、軽く十台は越えているだろう。火照った体に冷たい汗が流れてくる。


 次第にサイレンの発生源である車両がちらほら見えてきた。

 気になったのは、普段見かけないような大型車が散見されたことだった。


 ごついワゴン車みたいな特型警備車やバスのような人員輸送車、大型トラックの野外支援車まである。

 その異様な光景に引き寄せられるように住人がこぞって外に出てきていた。休日だからか人数はかなりのものだ。

 随所に待機している警官は全員武装しており、物々しい雰囲気を発していた。

 いや、そういう空気を作り出しているのは警官よりも、その周囲の学生かもしれない。

 文化祭のクラスTシャツを着ている彼等は、警察車両と警官を順繰りに見やり、敵意やら戸惑いやらを顔に浮かべている。


 車両の中を覗き込むと、後部座席に警官に挟まれて学生らしき人物が乗っていた。

 道の先からざわめきやら足音がしたので見やると、警察に取り囲まれて大勢の学生がこちらへ歩いてきていた。その学生達の手には例外なくギラギラと光る銀色の手錠がはまっていた。


「……マジか」


 手に持っていた《祈願之筆》の感触がなくなっていく。ショックが大きすぎて、力が維持できなくなってしまったのだ。

 間に合わなかったのか……、無意識の内にギリッと奥歯を噛みしめていた。

 ふとどこからか、叫び声による懇願が聞こえた。


「なぜだ……? 我が眷属共は、誰かによって操られていたのであるぞ!? このように大々的に辱めを受けるなど、あんまりではないかッ!」

「そうは言ってもねえ。目々連を見て我を失ったなんて言われても、こちらとしても信じるわけにはいかないんだよ」

「誰かの超魂能力のせいであろう! これは国ぐるみの陰謀なのだッ!」

「百人単位で他人を操るなんて話、聞いたことないよ。それに通報者の話では、君達の学校の不良が結託して学園祭を潰そうとしてたっていう話だったけど?」

「そっ、そんな出鱈目を言ったのはどこの誰だ!? 二度と嘘などつけぬよう、我が黒魔法で一から再教育してくれようッ!」


 この微妙に残念な話し方は間違いない、マインだ。

 声は塀の向こうから聞こえる。おそらく学校の敷地内で警察と話しているのだ。

 会話を聞いている限り、彼女は元気満々で無事なようだ。


 ほっと胸を撫で下ろし、とにかく会って話を聞いてみようと足を速めた時。

 人ごみの中にいる、ある一人の人物が目に留まった。

 白髪ロングの、博女の制服を着た少女。


 ……水香?


 彼女はドリーム高校の校門をじっと見やっていたが、ふいに興味が失せたように視線を外し、どこかへと歩み去っていった。

 見た限り、ドリーム高校内の争いに加わっていたのではなさそうだ。


 じゃあ一体水香は何をしに来たのだろう?

 立ち止まって考えていると、ふいに男性の声がした。


「ちょっといいかな、お嬢さん」


 最初、自分が声をかけられているとは思わなかった。

 しかし再度耳元で「お嬢さん」と呼ばれて、自分が今女の子の格好をしているのを思いだし、「はい?」と高めの声と作り笑いと共にそちらを見やった。


 声をかけてきたのは三十代ぐらいの警官だった。

 高そうな背広を着た、線の細い男。おそらくキャリア組とか呼ばれる人だ。

 彼はドラマの俳優さながらの動作で警察手帳を見せてきて言った。


「僕は桜大門千代田。階級は警視だ。ちょっと話を聞かせてもらえるかい?」

「はあ……わたくしに、ですか?」

「そう、君にだ。時間は取らせない……と言いたいところだが、場合によってはそうはいかないかもしれない」


 千代田は「メモを取らせてもらうよ」と断って、ズボンのポケットから黒いカバーのスマホを取り出した。


「最初に君の名前を教えてもらえるかな?」


 こういう場面でも、偽名を名乗ったら何らかの罪に問われるのだろうか……。

 嘘をつくのもイヤなので、どうにか話を逸らせないか試みることにした。


「わたくしは人間です。名前はまだありません」

「はぁ?」


 怪訝な顔をされた。とりあえずもう少しこのまま押し通してみる。


「どこで生まれたかもとんと見当がつきませんわ」

「……ええと、何を言ってるんだい?」


 残念ながらジョークは通じない相手らしい。なら今度はもう少し、常識的な方面からだ。


「すみませんが、わたくしは事件当時に現場にいなかったので、詳しいことは分からないのですけれど」

「あれ、そうなのかい?」


 千代田は意外そうに目を丸くした。


「博愛女学園の制服を着てたから、てっきり君が通報者なのだとばかり……」

「……通報者は博女の生徒だったのですか?」


 俺の問いに彼は慌てて口を押えた。どうやら嘘や隠し事が苦手なタイプらしい。


「どうなんですか、警視さん?」

「いや、その……」


 俺は周囲を見回した。野次馬は逮捕された学生やパトライトを光らせる大型車に夢中でこちらに気付いていない。警官達の注意も向いている様子はない。

 自分の服を見やるが、なんやかんやあった割に特に汚れやほつれはない。

 髪は乱れているが、まあそれぐらいなら逆にスパイスになるだろう。


 意を決して、俺はゆっくりと倒れ込むように千代田にしなだれかかり、厚い胸にそっと手を添えた。息を吸うと煙草と汗の混じったキツイ臭いがした。そのせいで喉の奥を焼くような液がこみ上げてきたが、必死に飲み込んで耐えた。


「なっ……、えっ!?」


 千代田は突然の出来事に目を白黒させて、こちらを見下ろしていた。

 俺は理性と羞恥を捨てて、上目遣いでヤツを見上げてしなを作り、とろけるような甘ったるい声でおねだりした。


「他言はしませんから、教えてくださいな。……ね?」


 千代田の目がより見開かれる。ごくりと喉が鳴るのが聞こえた。一か八かの賭けだったが吉と出たようだ。


「……ま、まあ、秘密にするならいいか」

「ふふっ。ありがとうございます」


 不思議と演じている内に段々、男を誘惑している自分への違和感や嫌悪はなくなり、代わりに性感に近い興奮や高揚感さえ湧いてきた。書いている内に筆が手に馴染み、気分が乗ってくるように。


「う、うん」


 千代田のヤツ、きょどりながら赤面してやがる。左胸に添えた手からは分かりやすいぐらいに高鳴った鼓動の音が伝わってきた。

 周囲を警戒するように見やった後、ヤツは俺の肩をがっしりとつかみ、耳元に口を近づけてきた。

 そして低く小さな声で言った。


「……そうだ。君と同じ、博愛女学園の生徒だ」


 俺の胸がどくんと音を立てる。さっき見た水香の姿が脳裏をよぎった。

 さらに千代田は続けた。


「これは決して口外してはならないと言われているんだが……。どうやらその生徒さんというのは……」


 そこで彼は言葉を止めた。今更躊躇しているのか、あるいはじらしているのか。

 俺は一刻も早く先を訊きたい気持ちから、胸に添えていた手をヤツの頬にやり、優しく撫でてやって「お続けになって」と耳元で熱ぼったい声で囁いた。

 鼻息をやかましく鳴らし、千代田は言った。


「通報者は君の学校の、生徒会長さんらしいんだよ」


 ……胸の奥で、チクリと針が刺さったような痛みを感じた。

 いくつかのピースが頭の中で合わさり、一枚の絵が完成する。

 嘘だと思いたい。しかし実際これなら筋が通り、全てが腑に落ちるのだ。

 気が付いたら千代田の体は離れていて、どこか落ち着かなそうに俺を見ていた。


「そのだね……、今のことは、内密に……」


 俺の意識が現実に戻り、内心で溜息を吐いた。


「分かりました。今のことは、わたくしの胸の中に秘めておきましょう。けれども」


 俺は目つき険しく、千代田を睨んで言った。


「他の子にこういうことをしたら……きっと、後悔することになりますよ?」

「しっ、しないとも! 君以外には、絶対に!」


 千代田は叫んでから我に返り、辺りを見やった。何人かは訝し気にこちらを見てきたがすぐに興味を失ったように視線を逸らした。

 彼は胸を撫で下ろし大きく息を吐いた後、抑えた声で言った。


「……ねえ、君。今度また、別の場所で会わないかい?」


 こんなのが警視なんてやっていて大丈夫なのかと、俺は美甘ではないが日本の将来が心配になった。

 どうしたものかと暗くなりかけた空を見上げ、ふと思いついた。

 視線を下ろし、千代田の鼻の穴が広がった顔に愛想笑いを向けて言った。


「今日は月がきれいですわね」

「へっ……月?」


 スーパーの売り場で見かける魚のように顔面硬直させる千代田。少し待ってみたが、変化する様子は一向になかった。

 俺は少しばかりの落胆と共にわざとらしく溜息を吐き、蔑みの視線を向けて言った。


「わたくし、教養のない方とはお付き合いしないことにしてますの。ではこれにて、ごきげんよう」


 スカートを軽く翻させて背を向け、ゆったりとした足取りを意識してヤツから遠ざかっていく。

 空を仰ぐと、まずまずきれいな月が浮かんでいた。


 ふうと溜息を吐いたところで胴乱の中のスマホが鳴った。

 音から雷印だと分かり、取り出してコメントを確認する。


 差出人を見てやっぱりかと思った。

 今日は会いたいと思った相手からすぐに連絡が来る。どうやらそういう巡り合わせの日らしい。


 鼻から息を吐きだしたところで、再びスマホが鳴った。

 画面上部から新しいコメントを受け取ったという通知が表示される。

 その差出人を目にした途端。


「……え?」


 頭の中が氷点下を下回り、冷たく凍りついた。

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