四章 無謀なる 愚人の鼻は 高々と 天を向けども 雲は穿(うが)たず
四章 無謀なる 愚人の鼻は 高々と 天を向けども 雲は穿(うが)たず その1
我知らず漏れた声に、椅子に腰かけようとしていた美甘もやってくる。
「どうしたんですか?」
「見てみろよ、これ……」
俺の横から画面を見た美甘も「えっ……!?」と目を剥いた。
「嘘……。これ、解決数が……ゼロって……」
彼女の言ったように、水香達がここ一週間で解決した事件数は皆無。つまりまったく活動していない、ということだ。
罪悪感を感じつつもさらに調べると、六月頃から今日まで、博女はただの一件も事件を取り扱っていなかったことが分かった。
「……どういうことだ?」
「ええと……。記録をつけてなかったってことですか?」
「まさか。事件を解決しているのに記録だけつけないなんてこと、あの二人がやると思うか?」
「そういうことをする方々だとは……思えません」
口の奥に異物感を覚えた。思わず喉を擦りつつ、俺は言った。
「あの二人は治安維持委員会の活動をしてるって、嘘をついていたんだ」
美甘が握りしめた拳を、机上に置いた。顔を見やると唇をかみしめ、自身の拳をじっと睨んでいた。
「どうして……。どうして、あの二人は……ねえ、どうして?」
すがるような視線を向けられた。だがどう答えたらいいか分からず、俺は目を逸らした。
美甘は肩を落とし、ぽつぽつと言葉を漏らした。
「信じていたのに……。ちょっと気に入らない所はありましたけど、それでも水香ちゃん達のこと……」
床にくずおれ、彼女は叫んだ。
「仲間だって、信じてたのに!」
静かな室内に、その大音声は飲み込まれていった。
しばらく乱れた呼吸を整えていた美甘はやがて小さく一つ息を吐き、立ち上がった。
「大丈夫か?」
「平気です……」
表情はまだ曇っていたが、この前のように心底落ち込んでいる様子はなかった。
「……ねえ、灯字ちゃん。一つ、ものすごい滑稽なことを思いついたんですけど、聞いてくれますか?」
「何だよ?」
美甘はしばし躊躇するように口を開いては閉じを何度か繰り返した後、言った。
「もしかしたら、今回のゾンビ症を起こした犯人って……博女の二人なんじゃないでしょうか?」
「……はぁ?」
戸惑う俺に背を向け、夕日を眺めやって彼女は続ける。
「この空白の活動記録、それにゾンビ症を知らなかったことを合わせて考えると、あの二人が本当に治安維持委員会の活動をしていなかったことが事実なんだと分かります」
「だからって、そんな……」
「おかしいことを言ってるのは、自覚してます。でもそう考えると、つじつまが合うような気がするんです」
美甘の笑い声が聞こえてくる。感情を欠いた、渇いた笑い声が。
「結局、あの二人は最初からこうするつもりだったんですよ。わたし達を裏切るために今までずっと、会議に参加して内情を探ってただけなんですよ……」
最後の方の声はもうほとんど萎み切ってしまい、よく耳を澄ませなければ聞き取れないほどだった。
俺は窓に背を預け、美甘の顔を見やり訊いた。
「……だったら、どうする?」
「え……?」
「あの二人が俺達を裏切って、ゾンビ症を起こしていたらどうする?」
「どうするって、言われても……」
困惑する彼女の瞳を覗き込み、俺は言った。
「俺達は治安維持委員会だ。周辺地域の学生の素行を正し、治安を維持するために設立された。そして今、学生の手によってその治安が乱されようとしている」
「そ、そうですね」
「なら話は簡単だ、そうだろう?」
「と、言われましても……」
俺は溜息を吐き、続けた。
「水香達は学生だ。そんな彼女達が悪事に手を染めているかもしれないんだぞ」
「……まさか灯字ちゃん、彼女達を止める気なんですか!?」
丸く開かれた目の中の俺が笑う。
「当たり前だろ? それに、あの二人は仲間じゃないか。助けないでどうする」
「でっ、でも、わたし達を裏切ったかもしれないのに……」
「だから何だ? 裏切り者だったら、見捨てるのか?」
「……普通はそうすると思いますが。というか、今まで全く活動してこなかった人達を仲間だなんて認められるわけ……」
「いいや、それは違う」
俺は博女のタブレットの画面を美甘に見せた。
「見てみろ」
「……見なくても分かりますよ。空白の表ですよね」
「そうだな。でも水香達が委員会に就任した五月は、きちんと活動が記録されている」
「それって……つまりたった一ヶ月だけ真面目にやってたのを根拠に、水香ちゃん達を信用しろってことですか?」
「別に信用しろとは言わない。だが俺達を裏切るなら、こんなことをする必要はなかったはずだ」
美甘は目をすがめ、俺の顔を凝視してきた。
「……そんなの、気まぐれですよ」
「気まぐれでやれるほど治安維持委員会の活動は楽じゃない。たった一ヶ月でもだ。それぐらい、美甘なら分かるだろ?」
その問いに彼女は閉口する。
俺は窓から背を離し、歩きながら続けた。
「例えばこういうことが想像できる。この一ヶ月の活動中に、拭い難い心の傷を負った。だから治安維持委員会として活動することをやめ、その真逆であるゾンビ症の開発をすることにした」
「つまり、闇堕ちってわけね」
がらりと入口の扉が開き、弥流先生が入ってきた。
「みっ、弥流先生!? いつから……」
「『嘘……。これ、解決数が……ゼロって……』って聞こえた時からね」
「ほぼ最初っからじゃないか……。黙ってないで入って来てくれればよかったのに」
「何だか入りにくい空気だったから、待ってたのよ」
机に腰かけ、脚を組んで彼女は訊いてきた。
「あなた達は水香さん達を助けることにしたのよね?」
「……はい」
美甘は一瞬躊躇ったものの、力強く頷いた。
弥流先生は満足そうに頷き返して続ける。
「それなら最初に、水香さん達が所属してる博女の生徒会を調べてみたらどう?」
「え……、生徒会?」
首を傾げていると、弥流先生は垂れ目を見開いて言った。
「知らなかったの? 私立博愛女学園は生徒会が治安維持委員会を兼任しているのよ」
「……えええええええええええッ!?」
俺と美甘の絶叫がそろって響いた。
「たっ、ただでさえ激務の治安維持委員会と生徒会を兼任……?」
「か、考えただけで冷や汗が出てきます……」
顔を見合わせ青ざめる俺達。弥流先生は頬に手をやり、憂いを感じさせる目で語る。
「どうも博女には治安維持委員会をやりたがる生徒さんがいなかったようね。先生はなかなか有意義な活動だと思うんだけど」
「まあ、こんなブラックな委員会、お嬢様でなくたってごめん被るよな……」
「灯字ちゃんだってわたしが誘わなければ、やっていませんでしたよね」
「当たり前だ。おかげで放課後と休日の筆ライフが丸潰れだ。成績だって……」
「灯字さんの成績、中学の頃と大して変わってなかったと思うけど?」
ズドンと心臓をバズーカ砲で打ち抜かれたような気がした。
「……担任特権か」
「そんな親の仇を見るような目を向けないでください。灯字ちゃんが普段から勉強していればよかったんですから」
「肉体と精神労働、おまけに責任まで負わされる活動してるんだぞ。家に帰って勉強する気力が残ってると思うか?」
「何もなかった中学の頃も成績はよくなかったですよね?」
口笛を吹いてごまかすと、美甘はげんなりした顔で嘆息した。
彼女は俺への追及を切り上げ、話を本筋に戻した。
「それで弥流ちゃん先生は、何で博女の生徒会を調べてみるのがいいと思うんですか?」
「相手のことを何も分かっていない状態より、きちんと理解してからの方が話し合いするにしても、説得するにしてもやりやすいと思わない?」
「確かにそうですね。灯字ちゃんはどう思います?」
特に異論はなかったので、軽く頷いて返した。
「俺も賛成だ。情報は多ければ多いほどいいからな」
「じゃあ決まりね。ああ、あと」
ふと思いついたようにぽんと手を合わせ、弥流先生が言う。
「協力者がいた方がいいわね。灯字さん達はドリーム高校は今回の件とは無関係だと思っているのよね?」
「まあ、動機も何もないしな」
「むしろわたし達と同じで、委員会活動が忙しくてくたびれてる感じでした」
弥流先生は頷き、「それなら」と前置きして訊いてきた。
「マインさん達に協力を要請するのはどうかしら?」
あまり気の進まなそうな顔で美甘が訊き返した。
「協力……ですか?」
「きっと力になってくれると思うわよ」
「そうでしょうか……」
「委員長さんは、仲間が信用できないの?」
その言葉に美甘は自分の胸を押さえた。
仲間。
それはさっき、美甘自身が口にした言葉だ。裏切りを感じ、悔恨と共に叫んだのだ。
彼女は唇を一文字に結び、足元を睨んでいた。
胸を押さえた手には力が入っている。
俺は美甘が口を開くまで、じっと待っていた。
言うべき言葉は、もう俺にはなく、弥流先生も同様のはずだ。
後は彼女が決断するのを待つだけだった。
果たして美甘は一度深呼吸して、言った。
「……わたしは、マインちゃん達を信じます」
弥流先生は頬を持ち上げて笑い、彼女の肩に手を載せた。
「委員長さんならそう言ってくれるって、信じてたわ」
「そ、そうだったんですか?」
「ええ。じゃあ、いつマインさん達にお願いする?」
問われた俺達は顔を見合わせて考えた。
「なるべく早い方がいいと思うが……」
「とは言っても、二回も会議した後ですし……頻繁に会議を開くと向こうの仕事と学業にも差し支えますよね」
「SNSとかメールで伝えてみたら?」
「でも、直接会って顔を見合わせて話した方がいいと思うんです。そうしないと伝わらないこともありますし」
「そう。じゃあ、日取りを決めるところからね」
俺は美甘の肩を叩いて言った。
「マインへの連絡は任せたぞ」
「了解です。あ、久遠先輩への説明は灯字ちゃんがやっておいてくださいね」
美甘のお願いを聞いた途端、怠い感じが襲ってきた。
「えー……。電子メールって苦手なんだよな」
「電子メールっていつの時代の言葉ですか……。電話でもいいですから」
「よかったら、先生が話しておきましょうか?」
「え、マジで?」
これは僥倖と思ったが、美甘からびしっと人差し指を突きつけられた。
「ダメですよ。ほう・れん・そうも委員の仕事。ちゃんと務めを果たしてください」
「俺、野菜も好きじゃないんだが……」
「連絡ですよ、連絡。まったく、屁理屈言ってないでちゃんとやってくださいね!」
鬼の角を幻視せん剣幕に、俺は両手を上げて「分かったよ」と返すしかなかった。
「これから忙しくなるわね。無理しない程度に頑張ってちょうだい」
弥流先生だけは台風の目のごとく、太平でのほほんとした様子だった。
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