三章 情報の 航路を決める 船長は どんな分厚い 面(つら)をしてるか エピローグ、そして
会議の後、美甘と一緒に退室しようとしたら弥流先生に呼び止められた。
「ちょっと待って、灯字さん、委員長さん」
「は、はい。何でしょうか?」
緊張気味に返す美甘。俺もやや気まずかったが、無視するわけにもいかず足を止めた。
弥流先生は手をそろえ、深く頭を下げてきた。
「さっきはごめんなさい。頭ごなしに否定するようなことを言っちゃったわね」
「い、いえ、そんな……。わたしこそ弥流ちゃん先生の事情も考えずに、ごめんなさい」
「俺も熱くなりすぎた。だが間違ったことを言ったとは思ってない」
「灯字ちゃん……!」
怒りかけた美甘を弥流先生は「いいのよ」と制止した。
「思想の自由、表現の自由は尊重されなければならないわ。自分の思いを素直に認めて、それを伝えることが許されない世界なんて、死よりも恐ろしいディストピアよ」
「……確かにそうですね」
渋々といった空気を滲ませつつも美甘は頷き、怒りを引っ込めた。
弥流先生は微笑を浮かべて頷き返し、ふと思い出したように手を合わせて言った。
「そうそう。悪いんだけど、今から生徒会室に行ってきてほしいのよ」
「生徒会室、ですか?」
「ええ。二ヶ月後に文化祭があるわよね?」
「そうなのか?」
尋ねた途端に美甘から白い目で見られた。
「灯字ちゃん……。学校の予定ぐらい、ちゃんと把握しておいてください……」
「まあまあ。それでね、文化祭中に治安維持委員会がどのように行動するかを簡単に相談してきてほしいの」
「構いませんけど……。でもそれって、一週間後にある文化祭会議でも相談するはずですよね?」
「いい、委員長さん。会議っていうのは、人数が増えれば増えるほど無駄に時間がかかるものなのよ」
「うげぇ……」
げんなりした顔になったのが自分でも分かった。
すぐさま美甘に肘でわき腹をつつかれ、弥流先生には笑われた。
「だからね、本番の会議ですぐに内容がまとまるように、事前に上の人と打ち合わせしてある程度方向性を決めておくといいのよ」
「だけど当日には他にも文化祭委員会や風紀委員会の人達がいますけど……」
「この学校の生徒間の会議では、ちゃんとトップの生徒会が音頭を取れているわ。つまりその人達と相談しておけば、当日はそれなりにスムーズに話が進むはずよ」
「おお、弥流先生が先生っぽい!」
「ちょっと灯字ちゃん、失礼ですよ」
「いいのよ。全然勉強しない、学生さんらしくない学生さんもいることだし」
「誰だ誰だ、そんなけしからんヤツは」
とキョロキョロすると、背伸びした美甘が人差し指で鼻をつついてきた。
「どう考えても灯字ちゃんですよ」
「マジか?」
「前回のテスト、赤点だったのは誰ですか?」
「……まあ、俺か」
「書道に打ち込むのは結構だけど、勉強の方もちゃんと頑張ってね」
「だってよ、美甘」
「だから灯字ちゃんのことですよ……、もう」
俺達のコントでくすくす笑った後、弥流先生は言った。
「じゃあ、生徒会との相談頑張ってね。終わったら一旦戻ってきて、仮の段階でいいから決定事項を報告してちょうだい。先生はここで待ってるから」
「いえ、職員室で待っていただいても大丈夫ですよ?」
「ここの方が生徒会室に近いし、委員長さん達も早く帰れるでしょ?」
「はあ、分かりました」
美甘は首を傾げていたが、実際別館の職員室に行くよりここで弥流先生が待っていてくれた方が、下駄箱までの距離は近かった。
今日は朝の一件以外事件の通報もないし、たまには早く帰宅させてあげようという彼女なりの気遣いだろう。
ならとっとと生徒会室に行って用事を済ませてしまおう。
「行くぞ、美甘」
「う、うん」
歩き出してすぐにふとあることを思い出し、美甘に「悪い、ちょっと待っててくれ」と言って俺は慌てて弥流先生の元へ戻った。
「あら、どうしたの?」
「忘れてたんだよ、これ渡すの」
俺は胴乱の中からラッピングされた袋を取り出し、弥流先生に渡した。彼女は首を傾げて袋を見下ろす。
「ええと、これは?」
「プレゼントだよ、誕生日の。このやり取り朝のも合わせて二回目だろ」
「……あ、そうねえ……」
弥流先生の垂れ気味の瞳が、朝のホームルーム前にみんなにプレゼントを渡されていた時みたいに潤みだす。
「み、弥流先生? 大丈夫か……?」
「……え、何が?」
「いや、……泣きそうな顔だから」
彼女は笑みを作ろうとしていたが、表情筋が上手く定まらずに泣き笑いのようになってしまっていた。
「な、泣かないわよ。そんな一日に何度も……」
「そ、そうか」
「中、見てもいい?」
「ああ、もちろん」
小さな白い手がぎこちなく紐を解き、中身を取り出す。
それを眼にした途端、弥流先生はぷっと噴き出した。
「な、何これ?」
「キーホルダーだ。……小悪魔の?」
言うなり、隣にいた美甘に溜息混じりに突っ込まれた。
「何で渡した灯字ちゃんが疑問形なんですか」
弥流先生が手に持っているのは、まあ、キーホルダーだ。
問題はそのデザインだろう。黒い角としっぽの生えたへにゃ顔の女の子がショートケーキを頬張っている。可愛いには可愛いが、どうにも間抜けだ。
「……すごいチョイスですね」
「可愛かろう? 弥流先生にピッタリじゃないか?」
「そんなわけ……」
「そうね。先生、すごく気に入っちゃったわ」
「ほ、本当ですか!?」
仰天する美甘に、弥流先生は笑いながら言った。
「ええ。こう、肩の力が抜けてる感じがチャーミングじゃない?」
「……このキャラ、少しだらけすぎな気もしますけど」
「そういうところがいいんじゃない」
上機嫌だった彼女はふと思案顔になり、俺に訊いてきた。
「でも一つ、気になることがあるんだけど」
「何だ?」
「このキーホルダーって確か『へにゃちゃん』っていうシリーズもので、他にも天使とか猫とかいろいろ種類があるわよね」
「へー、そうなんですか」
「何だ美甘、知らなかったのか。今女子校生の間で人気なんだぞ」
「……それ、今適当に思いついた設定じゃないですか?」
「何を言う。コンビニの一角をこの『へにゃちゃん』シリーズが占拠してたんだぞ。間違いない」
「購入場所バラしてますし……。朝起きて慌てて買いに行ったんですか?」
「違うな。昨日の夕食後だ」
「あのー、夫婦漫才は後にしてもらえる?」
「めっ、夫婦じゃないですから!」
美甘の必死の抗議をスルーし、弥流先生は話を戻す。
「それで、灯字さんに訊きたいんだけど。何でナースとかセーラー服とかたくさん種類があるのに、小悪魔にしたの?」
「……小悪魔にした理由か」
昨夜のことを思い出し、俺は言った。
「見た瞬間、なんかピンと来たんだよな。ああ、弥流先生だって」
「つまり、弥流ちゃん先生が悪そうに見えるってことですか?」
美甘から蔑むような視線で睨まれ、俺は慌てて「違う違う」と手を振った。
「そうじゃなくてさ、こう直感的に。もしかしたら、弥流先生の小悪魔的魅力が原因かもだが」
「それ、セクハラじゃ……」
「そっ、そんなつもりはないぞ!?」
「むう、怪しいです……」
美甘の視線が鋭さを増した。
どうにか彼女の機嫌を直そうと四苦八苦していると、ぽつりと弥流先生が言った。
「……なるほど。小悪魔ね」
彼女は目を細めてキーホルダーを見やり、くすりと笑った。
「じゃあ先生は、灯字さんのことを誘惑しちゃってるかもなんだね」
「ゆっ、誘惑!? どういうことですか、灯字ちゃん!」
背伸びして上着の襟をつかんでくる美甘。服の構造上、柔道の取っ組み合いを一方的にされているような感じになる。というかまさにそれだ。
「おっ、落ち着けって、美甘。別に深い意味はないだろ、弥流先生?」
「先生と生徒だからね。最近は色々と厳しいし、美甘さんの前では正直に言えないわよね」
「うっ、うう~! 何なんですか、何なんですか、もーっ!」
着物の襟を放し、地団太を踏む美甘。
何で当事者じゃない美甘がこんなに荒れてるんだ……。
「灯字さん、これ、大切にするわね」
小悪魔キーホルダーを軽く振り、笑う弥流先生。
「まあ、喜んでもらえたなら何よりだ」
「ええ、とっても嬉しいわ。……本当、嘘じゃないから」
ただその瞳は、やっぱりちょっと涙ぐんでいる気がした。
○
「うーん、これで大丈夫なんでしょうか」
手元のスマホに表示されたメモを見やり、唸りっぱなしの美甘。生徒会室から出てからずっとこんな調子だった。
「やっぱり久遠先輩を呼んで、記録してもらった方がよかったか?」
「そうじゃなくって。あの生徒会長、適当すぎだと思うんですよ」
「ああ、なるほどな……」
俺は生徒会室でのやり取りを思い出し、苦笑した。会長の発言の八割方は『いいんじゃなーい』『そーね』『あ、じゃあ、それで』といった類の投げやりなものだった。
「笑い事じゃありませんよ。灯字ちゃんは治安維持委員会の副委員長なんですからね」
「分かってるって。まあでも、本番の会議でいくらでも修正したり詰めたりできるんだからいいだろ?」
「まあ、そうですね。今悩んでても仕方ないですよね」
美甘は溜息を零し、スマホを袖の中に突っ込んだ。
「今日はもう事件もなさそうですし、報告を済ませたら早めに帰りましょうか」
「ああ、そうだな」
教室――ネームプレートのない、治安維持委員会の会議室が見えてきた。物置兼用で、部屋の隅には不用品の類がごちゃっと置かれている。
「部室みたいな感じでさ、治安維持委員会のための部屋ってくれないのかな?」
「今までないのが不思議でしたけど、あの会長なら納得です。よくもまあ、あんな適当なのに勤まってますよね」
ぷんすかという書き文字が見えるような怒り方をする美甘。なかなか可愛い。
「でもうちの高校、他校に比べて問題児が少ないって評判だぞ」
「その分、小さなトラブルが多いですけどね」
「まあ、問題ってのは大なり小なり抱えなきゃいけないもんだい」
「灯字ちゃん、それ冬が来ちゃうからやめてください」
「いや、美甘だってダジャレぐらい言うだろ」
「わたしのネタはもっと高次元ですー」
くだらない会話をしながら教室に入った。
「弥流ちゃん先生、生徒会長と相談してきましたよ。弥流ちゃん先生ー?」
室内を見回したが、弥流先生の姿はない。
「用事ができて、出かけてしまったんでしょうか?」
「それならSNSにコメントを送ってくれるだろう。お手洗いじゃないか?」
「なるほど、きっとそうですね」
定位置に座ろうとした時、ふと俺は気付いた。
「……あれ、博女のタブレットじゃないか」
「あ、本当。忘れものですね」
「しかも電源ついてるな……。スリープモードを長めに設定してるのか?」
近づいていき見やると、ちょうど博女の活動記録が表示されていた。
覗き見るつもりはなかった。
しかし目に入った情報に、俺は思わず愕然とした。
「……何だこれ」
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