三章 情報の 航路を決める 船長は どんな分厚い 面(つら)をしてるか   その3

 放課後、長机の並ぶ教室にはこの前と同じメンツが再び集まっていた。

 今日は弥流先生も最初から参加している。


 口火を切ったのは不機嫌顔のマインだった。


「こう頻繁に何度も呼び出してほしくないものだな。我は暇ではないのだぞ」

「ごめんなさい。本当ならこの議題は、先日話し合うつもりだったんですけど……」

「お待ちになって」


 謝罪する美甘を遮り、水香が言った。


「その件に関しては、わたくしに非があるわ。勝手にあのような根も葉もない話を始めてしまったのだから……。この場を借りて謝らせていただくわ」


 そう締めくくり、きれいな所作で頭を下げた。

 マインはきまり悪そうに頬を掻き、ぶっきらぼうに告げた。


「面を上げるがいい。我とて、誰かを責めたいわけではないのだ」

「マインさまの温情に感謝いたしますわ」


 顔を上げた水香はマインに柔らかに笑いかけた。

 場の雰囲気が落ち着いたのを見やり、美甘が口を開いた。


「ではこれより、第十四回治安維持委員会三校合同会議を始めさせていただきます」

「……急遽の招集ということは、重大な問題でもあったのか?」

「多分、かなりの大問題です」


 マインの言葉に頷き、美甘は久遠先輩に目配せする。彼女は素早い指さばきでスマホを操作しだした。すぐに電子黒板にある画像が表示される。


「これは……、魂魄学校の活動記録ですわね」

「はい。久遠先輩がまとめてくれたものです」

「情報が詳細かつ、文章の表現が的確で分かりやすい。しかも時系列順に構成が整理されている。うちに欲しいぐらい。じゃ」

「褒めてもマジでなんも出ないからな」


 賛辞を笑って受け流す久遠先輩。まあ、鼻の下が伸びてるけど。


「注目してほしいのは直近の十日間の記録です」

「……十九件とは、かなり事件が多発しているんですのね」

「グハハハ、我等は二十四件であるぞ!」

「マインクン。黒の濃さを競ったところで、ぺんぺん草すら生えないよ」


 珍しくクジャクが疲れ切った顔をしていた。


「……そっちもかなりハードな状態らしいな」

「まあね。ミルクかシュガーがあるなら山盛りで投入しているところさ」

「今回の議題は、その事件の異常な発生数についてですの?」


 水香の問いを美甘は軽く首を振って否定する。


「確かに発生数自体も問題です。でも重要なポイントはそこではありません。久遠先輩、お願いします」

「りょーかい」


 久遠先輩がスマホをワンタッチすると、記録表の枠内の背景がいくつかを残して赤色に染まった。


「赤くなった部分をご覧ください」

「……乱行者が、正気を失っている? どういうことですの?」

「なるほど、そういうことであったか……」


 水香は首を傾げ、マインは得心が行ったように頷いていた。

 美甘はみんなの反応を窺い、語った。


「これ等は最近になって頻発するようになった、不可解な事件です。乱行者は正常な判断力を失い、ゾンビのように歩き回って人々に襲いかかる。発生場所は様々、年齢も小学生から大学生と幅広いです」

「我も気になって調べてみたが、学生以外の被害者はいないようであるな」

「……んん? つまり……学生だけがおかしくなる症状……?」


 希雨唯の発言に美甘は深く頷いた。


「その通りです。この正気を失う症状――これからは便宜的にゾンビ症って呼びますね。ゾンビ症は学生だけが発症しています。病院で調べても、特に体内から異常は発見されていないそうです」

「原因も分からぬし、我はお手上げだ。魂魄の方ではどうだ?」

「……それについては後程。博女の方ではどうですか?」


 美甘が訊くと、水香は希雨唯と顔を見合わせた後、首を振った。


「いいえ。そのゾンビ症というのは、映画のように噛まれたら感染したりするものなのかしら?」

「噛まれた人はいましたが、現時点ではそれが原因で感染したケースはないと思います」


「……では、精神病的なものでしょうか?」

「それは無理があるな。うちは十九件中、九件も起きてるんだぞ」

「我のところは二十四件中、十一件だ。グハハハ、また勝ってしまったな!」

「……陛下、今は遊んでる場合じゃない。じゃろ」

「う、うむ。そうであったな」


 小さくなるマインの横で、まもるが疑問を呈した。


「でも不思議。これだけ不可解な事件が起きて、医者も気付いている症状。なのに全然騒ぎにならない」

「ネットでもあまり話題になっていませんし、局地的なものなのなのでしょう」

「……もしくは」


 水香がすっと真顔になり、言った。


「情報統制されている可能性がありますわね」

「じょっ、情報統制!?」


 場の視線が一斉に水香に集まった。

 それを意に介した風もなく、彼女は続ける。


「ゾンビ症は情報統制ができるほど権力のある方々にとって都合の悪いことが含まれている。だからその情報が広まるのを彼等は阻止している。そう考えることもできますわね」

「……いいえ。それは多分、違うと思います」


 反論されるとは思っていなかったのか、水香はちょっと目を丸くして美甘を見やった。


「どういうことかしら?」

「実はこの件、人為的なもので犯人と思しき人物がいるんです」


 博愛女学園、ドリーム高校の面々が「……まぁ」「……ん!?」「なんと……じゃ」「ほぅ……!」と、各々驚愕を露わにする。


「そっ、それは誠か!?」

「ええ。久遠先輩、謎の女性に関する情報を」

「はいよ」


 電子黒板に箇条書きの文章が表示される。


「背が高い、レディースのバッグを持った、フードの着物の女性一人……。瞳の色は、緑。口が裂けていたりはしないんですのね」

「そういう奇抜な特徴はないようです。ただ、目が合った途端に意識がなくなるという、妖怪じみた能力はあるそうですね」

「その効果時間が数日間にわたるとなると、超魂能力によるものとは考え難い。のじゃ」

「……ん。……もしかしたら……人間じゃない?」

「グハハハハハッ、となれば異形の者の仕業ということだな!」


 いつもなら誰かしらマインの発言に突っ込むのだが、今回ばかりは誰も何も言わなかった。


「……超魂能力って、確かいつだったか突然人間に発現したんだったよな?」

「確か、百年ぐらい前じゃね?」

「百二十三年前ですわね。公的に研究対象となったのが百十三年前。小、中、高の教育機関が授業で取り扱うになったのが、ちょうど九十九年前ですわ」

「そんな不可思議なことが過去にあったうえに、今回の一件だ。マインの言う異業の存在ってのも、あながち眉唾じゃないかもしれないな」


 俺の言葉に場が静まり返る。唾を飲みこむ音が聞こえてきそうだ。

 重苦しい沈黙を美甘が破った。


「……とにかく、犯人が一般の女性だという固定観念は捨てて考えた方がよさそうですね。他に気付いたことはありませんか?」

「被害者の人数はバラバラ、しかし複数名であるところは共通している、か。確かに、ボク達が面倒を見た猫達もそうだったね」

「ねっ、猫……というのはどういうことですの?」


 なぜか体を跳ねさせるほどに狼狽する水香。

 クジャクは爽やかに一笑し、髪を掻き上げて言った。


「子猫ちゃん達だけじゃなかった、ということだよ」

「……ん? よく……分からない……」

「要約してやると、男もいたということであるな」

「ああ、なるほど。人間のことでしたの」


 水香は軽く息を吐きだし、強張っていた顔を緩めた。

 心配になって、俺はそっと訊いてみた。


「大丈夫か? 顔色がよくないぞ」

「いえ、何でもないですの。お気になさらず」


 彼女は扇子で口元を隠して目だけで笑った。あまり突っ込んでほしくないことなのだろうと思い、それ以上は訊かなかった。

 その間も会議は進行していたが、大した情報は出ていなかった。

 ふいに鼻にかかった甘ったるい声が響いた。


「ちょっといいかしら?」


 場にいる全員が口をつぐみ、何事かと弥流先生を見やる。彼女はのほほんとした顔で肩の高さまで手を上げていた。


「な、何でしょうか、出先生」

「魂魄高校の活動記録には、そのゾンビ症は委員長さん達が事件を解決した後は元に戻ったって書いてあるわ。ドリーム高校さんの所はどうなのかしら?」

「我の場合も同様だったな。成敗した後は、皆正気を取り戻していた」

「せ、成敗って……」


 軽視と呆れとドン引きが混じったような複雑な表情でマインを見やる美甘。

 弥流先生は別段目立った反応はせず、手を合わせて言った。


「だったら、特に問題ないでしょう?」


 再び室内に静寂が流れた。

 誰もが耳を疑い、にこにこ笑っている弥流先生を凝視していた。


「問題ないとは、どういう……」


 クジャクの言葉を遮るように弥流先生は言った。


「問題ないでしょ。事件を解決すれば元通りになるなら、そうすればいいのよ」


 声を失ったクジャクの代わりに美甘が反論する。


「だけどそのせいで、ケガする人がいるかもしれませんし……」

「それは通常の事件でも同じじゃない?」

「で、でも……」


 食い下がろうとする彼女に、弥流先生はあくまでも穏やかに言い諭す。


「大丈夫よ。本当に深刻なことなら、その内国の人が動き出すわ」

「……はい」


 不承不承といった感じで美甘は引き下がる。

 だが俺はそんなんじゃ納得できなかった。


「ちょっと待ってくれよ、弥流先生」


 立ち上がった俺に、弥流先生は「何かしら?」と訊いてきた。


「『深刻なことなら、国がどうにかしてくれる』? それは違うだろ」

「何が違うのかしら?」


 俺は彼女の方へ体ごと向き直り、一歩踏み出して言った。


「起きた問題を深刻なことがどうか決めるのは、国でもマスコミでもない。俺達自身だ」


 長い脚を組み、手に顎を乗せて弥流先生は目を細めた。


「世論やニュースは国民の意思の鏡よ」

「自分の目で直接見て、感じたことが一番重要じゃないか?」

「感情が目を曇らせることもあるわ」

「鏡だって曇るし、おまけに薄っぺらいだろうが!」


 自分でも驚くぐらい、荒い声が出た。


「ちょっ、ちょっと灯字ちゃん」


 黒板の前から美甘が慌てて駆けてくる。


「ダメですよ、先生にケンカ腰で……」

「間違ってることを間違ってるって言って、何が悪い?」

「灯字ちゃんっ!」


 美甘の諫めるような視線を受け、冷静になった俺は弥流先生に「……すまない」と頭を下げた。

 弥流先生は笑顔を浮かべ「いいのよ」と首を振った後、みんなの顔を見回して言った。


「とにかく今は、原因の究明よりも目の前の事件を解決することに尽力しましょ。それでいいわね?」


 もう誰も声を上げることなく、そのまま会議は終わった。

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